2022年07月03日

神に願いを叶えてもらいたかったら、人事を尽くしなさい  (病気を治してくださいという祈りは聞かれるか) 《金元弼先生》



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金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
「自分の責任による体の管理」です。

自分の責任による体の管理

先生はいつも「霊界の助けは、自己の限界を
克服しなければありえない」とおっしゃっています。

それと同じく、体の管理においても、
無理をしてほったらかしにしておいて、
神が全部助けてくれるのだから健康になる
という考えはありえません。

自分が管理すれば管理できるのに、
怠けて管理しないでいるにもかかわらず、
神が全部やってくれるだろうと考えてしまうのです。

しなければならないことがあって無理をした時には、
神に任せるより仕方がありません。
しかし、自分の体を管理できるにもかかわらず、
神がすっかり病気を治してくれるということはありません。

病気にかかったメンバーがいました。
彼は無理をしていたのでした。
こういう場合は、どのようにして治したらいいのでしょうか。

自分で病気にかかるようにしたのに病気を治してくれ、
と言ったらどうなるのですか。
病気にかからないようにするのは、
自分がやることです。

高い所から飛び降りながら、
「神様、どうぞ私がけがをしないように
してください」と言うのと同じです。


ですから、先生が五年という刑期を無事にもちこたえるためには、
御自身の健康を顧みなければなりませんでした。

先生は健康の管理法として、六時が起床時間だとしたら、
その一時間前に起床して、みなが寝ている間に運動しました。
御承知のとおり、先生は特に水がお好きです。

しかし、興南では夏でも水は少ししかくれません。
そこで先生は水を飲みたくても、
それを少しだけ飲んで、少し残しました。

そして小さな手ぬぐいをその水でぬらして、
次の朝、体を摩擦されました。

そして、その摩擦が終わったら、
深呼吸から始めて運動をするのです。
こうして神の聖殿としての体を守られたのです。

先生には先生だけの運動があるのです。
ヨガというものがありますが、
先生にもヨガに似たような運動があるのです。
いつもそうして健康を保たれました。

そういう難しい中にあっても、刑務所を出られた時の体重が
七〇キロあったということは、
いかに運動を怠らなかったかを示しています。
運動のお陰だったというのです。

平壌開拓から興南解放
第四章 天情と人情
「自分の責任による体の管理」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


やはり、「天宙主管の前に自己主管を完成せよ」ですね。
心霊面においては、教育を受けますが、
外的なこと、健康面に関しては、
特別な管理をされているわけではありません。
ある意味では、自己管理が願われています。

最近、HJ天宙天寶修錬苑においても、
MBTセンターなるものが開設され、
役事の前に体操、運動などをすることがあります。
https://jp.hjcbt.org/subpage.php?p=mbt01

しかし、最終的には、自己管理です。
真のお父様の基準には及びませんが、
天から頂いた貴い身であることを自覚して、
体の管理をしていきたいと思います。


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posted by ten1ko2 at 08:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする