伝道教育局石尾局長の
「真の父母様との小さな出会い」
今回は、『聞くことで本心を育む、
真の父母様の愛し方』です。
☆
真の父母様が2005年の7月と9月にアラスカ・コディアクで
主管してくださった2回の7日修練会について、
前回と前々回で紹介しました。
コディアクのノースガーデンに到着して、
参加者たちの顔ぶれを見たとき、とても驚きました。
実は、日本からの12人は現場から推薦された食口たちでしたが、
他の国からの参加者は
国家的責任者レベルの方々だったのです。
この2回目の修練会(8月30日~9月8日)に
日本から参加することになった12人は、
各地から成田空港に集合して
アラスカ行きの飛行機に乗り込む手はずでした。
成田空港での出来事です。
当時、私は日本の全国祝福家庭総連合会総会長の補佐官でしたので、
自然と12人の中では、まとめ役になっていました。
私が参加者たちに、ひととおりの説明を終えてから、
飛行機に搭乗するまでの約1時間、
私たちは各自でフリーに過ごすことにしました。
そのとき、ある婦人Aさんが私のところへやってきました。
そして、搭乗時刻までずっと、A さんは、
「私は若かった頃、伝道されましたが、
あんなことやこんなことがあって、つまずき、教会を離れました。
その後、あんな苦労やこんな苦労をしながら
あーして、こーして......」と、
個人路程を休みなく話し続けたのです。
飛行機の搭乗が始まったとき、
私は 「やっと、この状態から解放される」
と内心ホッとしました。
☆
コディアク入りしたあと、私は、まとめ役という立場上、
“Aさんが全体集会の場で、とっぴな言動をしないだろうか?”
と、不安を抱いていました。
実は、この不安は、的中してしまったのです。
9月1日、真の父母様が昼食時にコディアクにある
チンヤクの川辺で私たち修練生に
バーベキューをふるまってくださることになりました。
コディアク沖で釣り上げたサーモンを焼いて食べる
バーベキューはとてもおいしかったです。
食べ終わったあと、青空の下、河原にみんなで扇形に座り、
真の父母様を中心として集会が始まりました。
世界的なリーダーが前方に座り、
私たち日本からのメンバーたちは比較的後方に座っていました。
そこで、Aさんが急に手を挙げて、
「お父様、私の話を聞いてください」と叫んだのです。
☆
そこから長時間にわたって(約40分前後だったと記憶しています)、
Aさんはしゃべり続けました。
成田空港で私に話したことを、
録音テープを流しているかのごとく、
同じように真の父母様に話したのでした。
Aさんが話し始めてから10 分、20分と過ぎていく中、
前方に座っていた幹部の方々が、Aさんではなく、
私を熱視線で見詰め出しました。
“おまえが日本のまとめ役だろ。
だったら早く、この婦人の話をやめさせろ”
という幹部の方々の声が聞こえてくるようでした。
☆
ようやくAさんの話が一区切りつきそうになりました。
ところが、ここで最後にAさんが、
「お父様、私を祝福してください」と言ったのです。
私も周囲も「えっ!?」と心の中で叫びました。
辺りは一瞬の静寂に包まれました。
次の瞬間、静寂を破ったのは真のお父様の声でした。
お父様は落ち着いた声でゆっくりと、
「それは、できないよ」と言われたのです。
実は、長時間にわたってAさんがしゃべり続けた間、
真のお父様は「ふーん、ふーん......」と聞き続けられ、
言葉として声に出されたのは
「それは、できないよ」という、この最後の一言だけでした。
この一言で、Aさんのための時間は終わり、
集会はまた真のお父様のみ言を中心に進行していきました。
河原での集会が終わったあと、Aさんは私の近くに寄ってきて、
「石尾さん、すみませんでした」と申し訳なさそうに言いました。
私は笑顔で、「真のお父様が聞いてくださったのですから、
よかったじゃないですか」と返しました。
☆
この後、7日修練会は急展開していきます。
真のお父様が、「先生は、きょうからもう釣りはしないよ。
先生は伝道します。
みんなもこれからペアになってコディアクの町で
一軒一軒訪問しながら伝道しなさい」という趣旨で語られたのです。
当初、「釣り」を中心に組まれていた修練会の内容が、
「ペアによる伝道活動」へと一変しました。
そして、修練会の終盤に復興会が組まれました。
その復興会にコディアク島の住民を動員することとなったのです。
私はフランス人宣教師とペアになって3日間、
個別訪問による伝道活動をし、
一人の島民を復興会へと誘うことができました。
☆
ところで、この伝道活動を誰よりも頑張ったのがAさんでした。
正確な人数は覚えていませんが、
Aさん一人で10人近くの島民を動員したのです。
その中には校長先生のような地元の名士も含まれていました。
この結果を見て、 私は
真の父母様の面談方法の素晴らしさに驚かされました。
先述のとおり、真のお父様は
Aさんの話を聞くことに徹しておられました。
そして、この面談を通してAさんは最高に復興し、
誰よりも伝道活動に励むようになり、
素晴らしい成果を上げたのでした。
私は改めて「真の父母様の愛し方ってすごいな」
と感服しました。
一言も挟まずに一人の食口の話を最後まで聞き続けられた結果、
その食口の天に向かう孝情を引き出されたのです。
そんな真のお父様と、その斜め後ろから
集会の一部始終を見詰めておられた
真のお母様のお姿は、食ロ一人一人の話を大切に聞きながら、
わが子として温かく愛してくださる優しい父母そのものでした。
伝道勝利が何よりも願われている今この時、
真の父母様のような愛し方ができる私たちになりたいものです。
世界家庭2022年7月号より
☆
※Aさんの個人情報的なことは
一部省きました。
一部省きました。
人の話を聞く、というのも愛することである、と思います。
この証しの方のように、同じ話を
録音テープが回っているかのように
何度も話す人がいますよね。
自分の思いが本当の意味で、
解放されていないのだろうと思います。
お父様のように、真剣に話を聞くことで、
本当に開放されるのです。
実際、祝福を希望していたのに、
お父様は、「できない」と断られました。
それでもAさんは、受け止められ、
そして、伝道を頑張ったのでした。
お父様は、しゃべることにおいても
卓越しておられますが、
聞くこともプロ級なのです。
私たちが、もしも真の父母様のように
真の愛をもって、一人の話をきくならば
その40分の話で、もうすべてが解かれて、
同じような恨み言は言わなくなるでしょう。
ある人が同じ話ばかりするとしたら、
まだまだ愛が足りないということかもしれません。
何十年もの恨みは、そう簡単には消えませんね。
また、私たちは歴史の結実体なので、
何代もの先祖の思いが表れるといいます。
さすがにお父様のように、40分1回では無理な気がします。
しかし、一人の人の心が解放されたとしたら、
その人を通じて何十代何百代もの歴史が
解放されていくことでしょう。
もう亡くなった両親の愚痴は聞くことができませんが、
懐かしく思い出します。
一人ひとりの食口の話も、
愛をもって聞いていきたいなと思わされました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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