お父様直伝、不信仰に陥ったときの3つの秘策
心が不信仰に陥るときには、
三つのことを試してみなさい。
1.初めてこの道に入った時の
感動の心を思い出しなさい
2.人々にみ言を伝えなさい
3.できないときには、
必ずよく奉仕をしなさい
文鮮明(ムン ソンミョン)
☆
三つのことを試してみなさい。
1.初めてこの道に入った時の
感動の心を思い出しなさい
2.人々にみ言を伝えなさい
3.できないときには、
必ずよく奉仕をしなさい
文鮮明(ムン ソンミョン)
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かつて、金元弼(ウォンピル)先生が
日本の食口の質問に答えながら話してくださったみ言です。
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祈りの必要性
祈りの必要性
私たちには立派な服がないかもしれません。
しかし、世の中の人たちの服は、
自分のために着られている服ではありませんか。
自分のために稼いで着た服です。
しかし私たちは、自分が稼いで着た物を
自分のために使わなかったとしたら、
この服とその人たちの服とどういう話し合いをするでしょうか?
一方は自分のためにある物で、
自分のためにある人に着られているのです。
しかしもう一方は、神のために、
人類のために生きる人に着られているのです。
その服に、「幸せですか?」と聞いたら、
前者は「私は幸せではありません」と言い、
後者は「私は幸せです」と言うでしょう。
☆
肉と霊があります。
この肉というのは、一種の土として考えてください。
次に霊、霊人体または心というのは、水として考えてください。
日常生活をすることは、これを振り回すことと同じなのです。
そうすると、この水の色はどうなるでしょうか?
濁った暗いものになるのです。
しかし、私たちが日常生活を終えて、静かな時間をもつとします。
そうしたらこの土がどんどん沈んでいき、
今度は清い水が浮かぶのです。
このきれいな水というのは霊界と同じ構成要素ですから、
霊界と授受作用ができるのです。
☆
私たちが日常生活に振り回されているときには、
静かな時間を取ってお祈りするのです。
そのような心をもっていくとするならば雑念が静まり、
清い心が浮かび上がります。
そうすると何が大切かということが、はっきりと分かるようになるのです。
ですから二千年前のイエス様も「常に祈りなさい」と言われたのです。
また先生も常に祈る時間をもたれました。
ですから私たちも、常にこういう心をもっていかないと
何も分からなくなってしまいます。
私よりも他の人のほうが、もっと幸せなように見えてきます。
☆
このように、他の人が問題ではなく、私が問題なのです。
先生も常に
「心が不信仰に陥るときには、三つのことを試してみなさい」
と言われました。
まず第一に
「初めてこの道に入った時の感動の心を思い出しなさい」と。
二番目は、「人々にみ言を伝えなさい」と。
そうすることによって、自分自身が生き返るからです。
三番目は、
「できないときには、必ずよく奉仕をしなさい」と言われました。
この質疑応答は1987年1月29日の説教
「祝福家庭の使命」の後になされたもの
質問:伝道しなければならないのは分かるのですが、
周囲を見ると外的に自分よりいい生活をしているし、
自分のほうがもっと問題をもっているように思えてきます。
深く考えれば分かるのですが、往々にしてやはり難しいのです。
どうしたらいいのでしょうか?
「祝福家庭の使命」の後になされたもの
質問:伝道しなければならないのは分かるのですが、
周囲を見ると外的に自分よりいい生活をしているし、
自分のほうがもっと問題をもっているように思えてきます。
深く考えれば分かるのですが、往々にしてやはり難しいのです。
どうしたらいいのでしょうか?
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今、心が折れるような、
そんな思いの中にあります。。。
何も手につかない、
身の置き場のない気持ちに襲われている
そのような方もおられるかもしれません。
「心が落ちている時ほど、為に生きたらいい」
まだ信仰の幼い時、お世話になった信仰の先輩から、
そんなアドバイスを受けたことがありました。
お父様の三つのアドバイスも、
まさにそのようなことだと思います。
心が落ちているときは、
自分の殻に閉じこんでしまうものです。
そういう時ほど、
外に目を向けることが大事なのだと思います。
よく祈り、み言を求め、精誠をささげていく、
そのような時を過ごしていきたいと思います。
金元弼先生略歴: 1928年 9月 平壌で出生
1946年 3月 平壌師範学校卒業 7月入教。弘益大学 西洋絵画科受講
文鮮明師の第一弟子であり、3家庭の長として、36家庭の祝福を受けられた金元弼先生は、韓国・統一教会初代理事長(1963年)、日本・全国祝福家庭総連合会総会長(1991年〜94年)、ノルウェー国家的メシヤ、分捧王(1996年〜)などを歴任。統一教会の草創期から文師のそばで教会の発展に尽力され、2010年4月7日(陽暦)に聖和されました(享年81歳)。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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