2022年08月25日

思い出の8月25日! 30年前、私たちは… 《3万双祝福・2周年の日の事件》




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今日は8月25日。
3万双30周年、
36万双27周年、おめでとうございます。

当の私たち夫婦も3万双祝福家庭です。

30年前のこの日、また
2周年を迎えた日に起こったこと
(私の2度目の拉致監禁事件)の証しを紹介します。


3万双の祝福を受けるときは、
私は一度、拉致監禁された立場でありました。

その3年前に偽装脱会して教会に戻ってきたのですが、
それ以来、親にも居場所を証しすることが出来ませんでした。

当時、お世話になった先輩に、
「条件として、何か、好きな物を断つ
断食条件を立てたらいい」
そのようにアドバイスされたこともあって、
コーヒー断食を3年間行っていました。


そして、8月の前半だったと思います。
当時、在籍していた東京の江戸川教会で
教会長を通して、写真を伝授していただきました。

伝授されたあと
所属教会に連絡して、相対者に挨拶しようと、
電話をしました。
妻はその場にいなかったこともあり、
スタッフの方が応対してくださいました。

第一声が
「良かったですね」
でした。
続いて、
「○○さん(妻)は、ヤコブなんですよ」

今は、「ヤコブ」という言葉は死語らしいのですが、
『信仰二世』のことですね。
すなわち、妻はお母さんから伝道されていたのです。

私はその言葉を聞いて、
神様を実感しました。

「真のお父様は、本当に
私のために妻を選んでくださった。
私の写真をみた瞬間、
家が大変だということがわかったのだろう、
それで、家庭問題のない妻を選んでくださったんだ。
お父様、本当にありがとうございます」

お父様に感謝の祈りを捧げました。


実際のところ、
妻の家庭は、家庭問題ありの私の家庭から見れば
正反対のように見える家庭でした。

妻はお母さんから導かれ、
そして、弟さんを伝道しました。

弟の奥さんは、6500双でしたが、
相手の方が離れてしまったので、
同じ3万双のこの日、五輪スタジアムで
祝福結婚を受けています。

また、お母さんはその後、
お父さんと既成祝福を受けました。(1997年)

お父さんは教会に来ることはあまりありませんでしたが、
家庭連合(当時統一教会)反対の情報がマスコミから流れても
鵜呑みにはされず、私たちを擁護してくださいました。

(二人は、それぞれ聖和し、
聖和式で送りましたので、
今は霊界から私たちを応援してくれているでしょう。)


1992年の今日、朝方降った雨は見事にあがり、
韓国ソウルはとても暑い日でした。

祝福式に参加できたことに感謝をしつつ、
コーヒー断ちを晴れて解禁して、
妻と3年ぶりのコーヒーをともに飲んだことも
とても忘れられない思い出になりました。


そして、2年後のことになります。
妻は海外ボランティアで
ヨーロッパに派遣されました。

妻が、ヨーロッパに旅立って、
2ヵ月も経っていない頃のことでした。

祝福後、妻を紹介する時に会って以来
両親は、教会の行事にも参加してくれるようになりました。

当時は、水澤里の摂理があって、
母が「文先生のセミナーに行く」と言い出し、
教理の説明をしてくれと言われて
久しぶりに実家に帰ることになりました。

それが、ちょうど8月25日のことでした。

しかし、それは仕組まれた罠だったのです。
結果的には、騙されて再び拉致監禁されました。
この衝撃はどれほどのものだったか表現できません。

そして、妻においても、すでに海外に行っている立場でしたから、
本当にびっくりしたと思います。
それが、今からちょうど28年前のことです。


妻やお母さん、また私の教会のメンバーたちの
熱い祈祷と精誠の土台の中で、私は
無事に教会に戻ってくることができました。

(詳細は、古い記事になりますが、
私の拉致監禁体験記」「被害者の妻から見た『拉致監禁』」の
カテゴリーまとめられています。)

その後、家庭を出発し、
子女も4人与えられて、
本当に幸せな家庭を築かせていただいています。

奇跡の連続の中に、「今」という瞬間があることを
実感してやみません。

30年前、3万双の報道の後、
多くの心ない報道が世の中を席巻しました。
今はその当時以上の勢いで再燃していますね。

今日の祝福記念日のお祝いとして、
妻が作った詩を下に掲載します。

この詩のように、すべてが幸せ、
ハッピーとはいかなかった3万双の出発であり
私たちの家庭もそうでしたが、
私たちは、幸せになりました。

神様と真の父母様に改めて
心からの感謝を捧げる
新たな誓いの一日にしていきたいと思います。

(3万双・36万双の祝福に関しては、
blessed lifeの記事をどうぞ
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=16415




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「 Happy Bride 叶えたい 」

 始まりは 笑顔で 
 晴れ渡った夏空の下 
 拍手の波に押されて 
 はずむ思い 
 早まる鼓動 
 恥じらいと  
 はにかみの 
 ハーモニー 
 花嫁の求めるものは… 

 Happy Bride 叶えたい
 話してくれた夢
 Happy Bride あなたへと
 走り出した心
 Happy Bride 今までの
 ハードルはどれも
 八月の花嫁 あなたと共に
 始まる未来のため

 花嫁は今 
 はち切れそうな幸福で満たされ
 Happy Bride 涙混じりの
 ハピネスはこれから

   ハナニム
   ハヌレ プモニム チャンプモニム
   ハレルヤ アージュ
   ハレルヤ アージュ

(8月の花嫁をテーマに「は」ではじまるよう
韻を踏んで作っています)


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過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

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posted by ten1ko2 at 10:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月24日

家庭連合(統一教会)のデマが、今も信じられている理由  




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風雨に曝(さら)され、火に焼かれても、
絶対に燃えて死ぬ木に
なるわけにはいきませんでした






一ヵ月前に掲載した記事の続きを紹介します。

文鮮明先生が無実の罪で収監された西大門刑務所
それは、まさしく愛で屈服させるという、天の勝利にふさわしいものでしたが、
先生の所内での様子や、釈放前後のお話です。


(1955.7.4)文鮮明師が西大門刑務所に入ったとき、
刑務課長は文師を見てあざ笑った。
「統一教会が何だかんだ言っても、結局はこのありさまだ」

このとき文師は、次のように決意している。

「わたしがここにいる間に、必ず彼らを屈伏させる」

「屈伏させる」という意味は、人格的行動を通して
自然に尊敬の念を持たせることを示している。


収容所の中では、文師のうわさが広がっていた。
同師は人々から何と呼ばれても、何も答えず静かに座っていた。

約二週間が過ぎると、文師に対する態度が少しずつ変わり始めた。
それは、囚人たちが朝早く起きてトイレに行こうとすると、
文師はいつも祈祷していたからだ。

刑務所の中にはさまざまな人々がいた。
ある牧師は文師を見るとひどい剣幕で、
「おまえの教えとは、一体全体何だ?」と食ってかかってきた。
このような牧師も、やがては文師の人格に触れ親しくなった。


囚人の中には、皆から厄介者扱いされていた人がいた。
「こんなやつは死んだほうがいい」と、
人々から思われていた囚人である。

だれからも嫌われていたその男に、
文師は接触しながら彼をたしなめた。

「文さんが来てから、あの男が変わった」
「彼は文さんの言うことなら従う」
このようなうわさが、刑務所内に立ち始めた。


人々はこのような文師の姿と、収監されている信徒たちと
同師との触れ合い、さらには先に述べた
面会に来る信徒たちとのようすを見て、
「世間では、あのように統一教会の悪口を言って
反対しているが、文氏はできた人物だ」と、
文師に対する見方が変わっていったのである。

文師は、囚人たちに対して常に父母の心情を持って接した結果、
彼らから尊敬を勝ち取ったのだった。


刑務所内では、不思議なこともあった。

文師の知らない所で、自分だけで餅を食べた囚人がいた。
ところが、どうしたことか
その餅が喉に引っかかって飲み込めなくなったのだ。

その後、男はこの話を文師にしようとしてやってきたが、
その男がその話を言う前に、同師はそのことを知っていた。
文師はその人になぜ朝、食べた餅が喉に引っかかったかを説明した。

さらに、ある囚人に天使が現れて、
「おまえは何番のあのかたの所に行ってあいさつをせよ。
そして、差し入れがあれば全部ささげなさい」と叱りつけた。


文師の無罪判決の記事は、どの新聞も
人々が見過ごしてしまうような
小さなものでしかなかった。

文師の逮捕やスキャンダルを大きく扱ったときと比べると、
あまりにも落差があった。

信徒たちは、マスコミを通して文師と統一教会の悪い印象が
払拭されることを願ったが、その期待は完全に裏切られた。

そのため、文師が無罪であったことを知らない人も多かった。
大勢の人々の心に残ったものは、
「統一教会」が、いかがわしい教団であり、
「文鮮明」教祖は淫らな人物というイメージである。


(1955年)十月四日、午後九時四十分、文師は釈放された。

三か月ぶりに教会に戻った文師は、
出迎えた信徒一人ひとりと握手をして
彼らにねぎらいの言葉を述べた。
それを聞いて教会員たちは涙を流した。

文師は切ったリンゴを彼らに一つひとつ渡したあと、
夜が明けるまで語り続けた。


梁允永女史は、そのとき文師が語られた言葉の一部を、
次のように記憶している。

「わたしが韓国だけで裁判を受けると思っているのか! 
これから世界的な裁判の場がわたしの前に迫ってくる。
しかし、わたしは神様の御旨を成し遂げる時まで
少しも屈することなく、
ひるまず、この道を行く」

文師は、言葉で表すことのできない
苦難の道を歩んだ信徒たちを愛し慰め、
これから行く道を示されたのである。


十月九日(日)聖日礼拝が行われた。
文師の説教の題目は「真理は
すべてのものを捨てることから出発」であった。

十月十日(月)「文鮮明先生出獄歓迎会」が、
ソウル・青坡洞本部教会の二階で開催された。

その日文師は、教会員に
ポップコーンとリンゴを親しく分配された。

「受難の源流」より


刑務所に入った時には、あざ笑われた先生でしたが、
自叙伝には、人々が先生の姿に屈服し、
面会に押し寄せる食口の様子を見て感嘆したと書かれています。

釈放の日には刑務所長と課長らが
丁重に見送り、彼らも3ヵ月後には
教会の信者になっていたということです。

先生は、ダンベリーの時もそうですが、
西大門刑務所に入られる時も、
すでに予想しておられたのでしょう。。。
しかし、『わたしは神様の御旨を成し遂げる時までこの道を行く』
その決意は凄まじいものでありました。

さらには、「わたしがここにいる間に、必ず彼らを屈伏させる」
この決意も揺るがないものでした。
真の愛によって、囚人たちを自然屈服させていく精神、
これは今の私たちにおいても相続すべきものだと思います。

今、困難な時ではありますが、改めて私たちも
決意していく内容ではないか、そのように感じます。

先日、家庭連合本部からのプレスリリース(公式発表文書)の
内容について記事を作りました。
参考にしてください。
(上にも同様のリンクを貼っています)
家庭連合(旧統一教会)の公式発表と、会長記者会見映像一覧


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自叙伝のみ言

デマによって後ろ指をさされ、
(もてあそ)ばれた痛みを忘れることはできません。

大勢の人が私を激しく責め立てて、
三千里半島に私の体が立つ場がなくなっても、
一切を耐え忍んで乗り越えてきましたが、
その悲しみは今も心の片隅に物寂しく残っています。

風雨に曝(さら)され、火に焼かれても、
絶対に燃えて死ぬ木になるわけにはいきませんでした。

焦げた木の枝にも春が訪れるように、
新芽は必ず生えてきます。

強い信念を心に抱き、堂々と歩いて行けば、
世の中も正しく私を理解してくれるでしょう。


「平和を愛する世界人として」
第三章より



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2022年08月23日

体調を崩して知った、当たり前なことへの感謝、心身ともに癒されました 《自己牧会プログラム》 



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久しぶりに自己牧会プログラムの
体験談を紹介します。

今回は、「当たり前のことにこそ感謝を」です。

(女性 60代)
教会の公務をしています。
最近、体調を崩し、2週間ほど休みを頂きました。

朝、起きた時に、右目のまぶたが腫れて
ふさがっていて、自分の力では開けられない
という状態になっていたのです。

眼科で診てもらうと、いろいろな原因が考えられる
ということで、大きな病院に回されました。

以前の私だったら、原因が分からないことで
不安に襲われたでしょうし、また
時間を取られることにもイライラしたと思います。


今回、そういう思いに囚(とら)われることなく、
平常心で臨むことができたのは、
自己牧会プログラムで「自覚を取り戻す」ワークや
「囚われを手放す」ワークに取り組んでいたおかげだと思います。

こういう状況になって初めて、まぶたを
自由に開いたり閉じたりできるのは、
当たり前のことではなかったのだと身に染みました。

目が片方しか見えないだけで、道を歩くのも恐くなります。
ましてや、両目が見えない人はどんなに大変でしょうか。
そういうことにも、初めて気付くことができました。

まぶたを開けられることも閉じられることも感謝、
朝起きて呼吸ができることも感謝、
布団がたためることも感謝だな、
もっと神様に感謝をささげていかないといけないと思いました。

これまで当然のように体を酷使して活動に携わってきましたが、
健康自体が「守られた結果」だったのです。

当たり前のことにこそ、
より深い感謝が必要であると感じました。


み旨の道を歩み始めてから、これほど長く休んだのは
初めてでしたが、家族で一緒に食事をする機会が増え、
とても新鮮でした。

家族と共にある当たり前の生活のありがたさに気付き、
心身共に癒やされた貴重な体験となりました。

私の心の中にいる神様 131
当たり前のことにこそ感謝
(blessed lifeより)


当たり前ではないときに、
当たり前のことを感謝する、
というのは、よくあることですよね。

だからこそ、当たり前の時にこそ、
当たり前を感謝する思いが大切なのだ、
ということなのだ、と思います。

コロナも最近増え始め、
私たちの教会でも、多くの方が、
家族まるごと感染し、自宅待機を
せざるを得ない方がおられます。

我が家でもそういう時期があり、
今より期間が長かったので、
み旨を教会で歩めることがどれほどありがたいか、
そんなことを思いました。

毎日、毎時間、毎分、毎秒、
感謝の心情をもって、
歩んでいく者になっていきたいと思うのです。



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posted by ten1ko2 at 07:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする