2022年08月23日

体調を崩して知った、当たり前なことへの感謝、心身ともに癒されました 《自己牧会プログラム》 



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久しぶりに自己牧会プログラムの
体験談を紹介します。

今回は、「当たり前のことにこそ感謝を」です。

(女性 60代)
教会の公務をしています。
最近、体調を崩し、2週間ほど休みを頂きました。

朝、起きた時に、右目のまぶたが腫れて
ふさがっていて、自分の力では開けられない
という状態になっていたのです。

眼科で診てもらうと、いろいろな原因が考えられる
ということで、大きな病院に回されました。

以前の私だったら、原因が分からないことで
不安に襲われたでしょうし、また
時間を取られることにもイライラしたと思います。


今回、そういう思いに囚(とら)われることなく、
平常心で臨むことができたのは、
自己牧会プログラムで「自覚を取り戻す」ワークや
「囚われを手放す」ワークに取り組んでいたおかげだと思います。

こういう状況になって初めて、まぶたを
自由に開いたり閉じたりできるのは、
当たり前のことではなかったのだと身に染みました。

目が片方しか見えないだけで、道を歩くのも恐くなります。
ましてや、両目が見えない人はどんなに大変でしょうか。
そういうことにも、初めて気付くことができました。

まぶたを開けられることも閉じられることも感謝、
朝起きて呼吸ができることも感謝、
布団がたためることも感謝だな、
もっと神様に感謝をささげていかないといけないと思いました。

これまで当然のように体を酷使して活動に携わってきましたが、
健康自体が「守られた結果」だったのです。

当たり前のことにこそ、
より深い感謝が必要であると感じました。


み旨の道を歩み始めてから、これほど長く休んだのは
初めてでしたが、家族で一緒に食事をする機会が増え、
とても新鮮でした。

家族と共にある当たり前の生活のありがたさに気付き、
心身共に癒やされた貴重な体験となりました。

私の心の中にいる神様 131
当たり前のことにこそ感謝
(blessed lifeより)


当たり前ではないときに、
当たり前のことを感謝する、
というのは、よくあることですよね。

だからこそ、当たり前の時にこそ、
当たり前を感謝する思いが大切なのだ、
ということなのだ、と思います。

コロナも最近増え始め、
私たちの教会でも、多くの方が、
家族まるごと感染し、自宅待機を
せざるを得ない方がおられます。

我が家でもそういう時期があり、
今より期間が長かったので、
み旨を教会で歩めることがどれほどありがたいか、
そんなことを思いました。

毎日、毎時間、毎分、毎秒、
感謝の心情をもって、
歩んでいく者になっていきたいと思うのです。



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posted by ten1ko2 at 07:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする