久しぶりに自己牧会プログラムの
体験談を紹介します。
今回は、「当たり前のことにこそ感謝を」です。
☆
(女性 60代)
教会の公務をしています。最近、体調を崩し、2週間ほど休みを頂きました。
朝、起きた時に、右目のまぶたが腫れて
ふさがっていて、自分の力では開けられない
という状態になっていたのです。
眼科で診てもらうと、いろいろな原因が考えられる
ということで、大きな病院に回されました。
以前の私だったら、原因が分からないことで
不安に襲われたでしょうし、また
時間を取られることにもイライラしたと思います。
☆
今回、そういう思いに囚(とら)われることなく、
平常心で臨むことができたのは、
自己牧会プログラムで「自覚を取り戻す」ワークや
「囚われを手放す」ワークに取り組んでいたおかげだと思います。
こういう状況になって初めて、まぶたを
自由に開いたり閉じたりできるのは、
当たり前のことではなかったのだと身に染みました。
目が片方しか見えないだけで、道を歩くのも恐くなります。
ましてや、両目が見えない人はどんなに大変でしょうか。
そういうことにも、初めて気付くことができました。
まぶたを開けられることも閉じられることも感謝、
朝起きて呼吸ができることも感謝、
布団がたためることも感謝だな、
もっと神様に感謝をささげていかないといけないと思いました。
これまで当然のように体を酷使して活動に携わってきましたが、
健康自体が「守られた結果」だったのです。
当たり前のことにこそ、
より深い感謝が必要であると感じました。
☆
み旨の道を歩み始めてから、これほど長く休んだのは
初めてでしたが、家族で一緒に食事をする機会が増え、
とても新鮮でした。
家族と共にある当たり前の生活のありがたさに気付き、
心身共に癒やされた貴重な体験となりました。
私の心の中にいる神様 131
当たり前のことにこそ感謝
(blessed lifeより)
当たり前のことにこそ感謝
(blessed lifeより)
☆
当たり前ではないときに、
当たり前のことを感謝する、
というのは、よくあることですよね。
だからこそ、当たり前の時にこそ、
当たり前を感謝する思いが大切なのだ、
ということなのだ、と思います。
コロナも最近増え始め、
私たちの教会でも、多くの方が、
家族まるごと感染し、自宅待機を
せざるを得ない方がおられます。
我が家でもそういう時期があり、
今より期間が長かったので、
み旨を教会で歩めることがどれほどありがたいか、
そんなことを思いました。
毎日、毎時間、毎分、毎秒、
感謝の心情をもって、
歩んでいく者になっていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)