文先生のみ言を紹介します。
20年以上前に語られた短いみ言ですが、
今の私たちに当てはまるものだと思います。
☆
反対される理由
統一教会は今まで反対を受けてきましたが、
反対される理由が何かというと、
悪いから反対されるのではありません。
悪の世界にとって、自分たちが
不自由になるようなことをするので、
反対しているのです。
その反対を受ける場で、
それ以上に感謝すべきことが間違いなくあります。
天のみ旨がその足場に立てられると考えれば、
感謝しなければならないのです。
ですから、「不平」という言葉は
地獄にもあり得ません。
地獄に行っても、
不平を言わなければ天国になります。
天国に行っても、
不平を言えば地獄になるのです。
(マルスム選集301ー284,1999.5.5)
☆
今のマスコミの報道は異常をきたしています。
私たちの過去をほじくり出し、歪曲して
私たちの負の部分として、ないことを
あるようにして流し続けています。
まさに偏向報道です。
報道は「第4の権力」とも言われ、
その影響力は凄まじいものがあります。
本来、報道は、「中立・客観・公正」でなければならないのに、
その機能がまったく果たされていないのが現実です。
たとえば、拉致監禁のことを
取り上げているメディアは、一つもありません。
個人的にも、私自身が経験している立場なので、
こういう事実があったことを知ってほしいと
切に思っているところです。
しかし、先生は、「感謝しなければならない」とおっしゃるのです。
また、不平を言わないとも語られています。
先生が歩まれた道がまさにそのような道でした。
☆
文先生の自叙伝に、このようにあります。
私は、たった三文字にすぎない
この名前を言うだけでも
世の中がざわざわと騒ぎだす、問題の人物です。
お金も、名誉も貪ることなく、
ただ平和のみを語って生きてきただけなのですが、
世の中は、私の名前の前に数多くの異名を付け、
拒否し、石を投げつけました。
私が何を語るのか、
何をする人間なのかを調べようともせずに、
ただ反対することから始めたのです。
・・・しかし今、私の心の中には
小さな傷一つ残っていません。
真(まこと)の愛の前にあっては、
傷など何でもないのです。
真の愛の前にあっては、
怨讐(深い怨みのあるかたき、敵)さえも
跡形もなく溶けてなくなるのです。文鮮明自叙伝「平和を愛する世界人として」
☆
このような思いをもつことは、簡単ではありません。
しかし、師であり、親として慕っているお方が
そのような道のりを歩んでいかれたのですから、
私たちも相続していかなければならないのだ、と思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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