2022年09月15日

天国には、黒人がいない理由(ワケ) 差別のない世界 《浅川先生*天活のすゝめ》




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浅川先生の「“天活”のすすめ
〜天国への準備はできていますか」
今回は、『世界人類がみな、兄弟姉妹となる』です。


地球上には様々な民族がいて、国家があります。

人種によって皮膚の色が違います。
白人、黄色人種、そして黒人がいます。

天国でも、それぞれの人種によって皮膚の色が違うのでしょうか?
皮膚の色が黒いために、黒人は、歴史的に多くの苦難を受けました。
天国でも人種差別はあるのでしょうか?

天国では決してありません。
なぜなら、黒いのは肉体の皮膚だけだからです。
霊人体(魂)には、肉身の皮膚の色は全く影響しません。
人間の良心と愛の濃度が、霊人体に表れるのです。

表向きは善人を装って、心の底では陰謀をめぐらし、
人を貶(おとし)めることしか考えない人を、
腹黒い人といいます。

腹が黒いのではなく、心が黒く、薄汚れているのです。
その人の霊人体は、心が表れて、どす黒い色をしているのです。

良心と愛に生きた人は、輝く色の霊人体をしています。
この世で黒人だった人が、天国では、輝く霊人体になるのです。

 
文鮮明先生は、次のように言われます。

「霊界に行けば色がありません。
 あまりにも明るくて銀色のように見えます。
 銀色のように見えながらも、あまりにも明るくて
 きらびやかなので紫色に見えるのです。

 フィラメントに電気が通ると、本来黒だったものが
 明るい白色に光るのです。
 それと同じです。

 霊界に行けば黒人はいません。
 地上にいる時は黒人に見えた人が、
 霊界ではそのように見えないのです。

 真なる良心をもって生きた善人は、
 高いレベルの霊界に行くのです」

“天活”のすすめ〜天国への準備はできていますか 15
浅川勇男・著
第三章 天国は永遠の青春時代
世界人類がみな、兄弟姉妹となる
(blessed lifeより)


霊界に行くと、人種の差別などはありません。
皮膚の色の違いで悩む必要などないのです。

地上生活で、いかに愛の人格を築くか、
そのことが重要であるというのです。

私たちに対する多くの非難、中傷に対しても、
決してあげつらうことなく、
感謝して乗り越えていきたいと改めて思います。


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2022年09月14日

旧統一教会の教えで、私も世界も幸せになれる?! 入門編をのぞき見しよう 《入山部長・統一原理1》




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私たち家庭連合は、文鮮明先生が解明された、
「統一原理」を新しい真理として信じております。

今回、世間でも注目されている中、
特に批判的報道が多いのも事実です。

また、家庭連合の教えについて、
YouTube動画などで解説しているものもありますが、
批判書籍などを参考にしているものもあり、
解釈の仕方は疑わしいものが多いです。

今回は、入山部長の『幸福な人生には原則があった』から、
統一原理に対して、わかりやすく解説しているので、
紹介させていただきます。


これから紹介するのは、「統一原理」という新しい真理です。

この真理には、人生の問題から世界の問題に至るまでの
解決法が秘められています。

皆さんの抱える課題を解決するヒントが、
必ず得られることでしょう。


「統一原理」を解明されたのは、
文鮮明(ムンソンミョン)先生という方です。

1920年に韓国でお生まれになった文鮮明先生は、
世界が第1次世界大戦から第2次世界大戦に向かう、
戦争と混乱の時代に若く多感な時期を過ごされました。

祖国である韓国も1910年の日韓併合で国を失って以降、
苦しみの中にありました。

戦争、貧困、離別という、人の生きる
あらゆる苦しみが現れた時代において、
文鮮明先生は、
「人はどうしたら幸せになれるのか」を、
誰よりも深刻に探究されたのです。

しかし、どんなに宗教や哲学に精通したとしても、
その中に答えがないことを悟った文鮮明先生は、
絶頂期には、1日12時間以上も祈祷しながら過ごす
修道生活に入っていかれました。

そんな真理探究の生活を9年も続けた末に、
ついにこの「新しい真理」を見いだされたのです。


文先生が

「(これは)決して人間の頭脳から出てきた
 言葉や教えではありません。

 天がかわいそうな人類を救援するために下さった
 天道を教える教本です」


と語っておられるように、
天啓によって与えられた真理なのです。

それを文先生自らが生涯を通じて実践され、
実証されたのが「統一原理」なのです。

本書は、はじめて「統一原理」にふれる方のために、
一読して全体像が一望できるように、
できるだけ平易な表現で「統一原理」を紹介しています。

聞き慣れない言葉も少し出てくるかもしれませんが、
神からのメッセージと思って読んでいただきたいと思います。

「統一原理」との出合いが、
皆様の新しい人生の出発となることをお祈りします。

スマホで立ち読み Vol.13
幸福な人生には原則があった 1
はじめに
入山 聖基・著
(光言社・『幸福な人生には原則があった』
※本書は新規向け「統一原理2日セミナー」の
8講座の内容がまとまっています。)より


文先生が9年もの長い時間をかけて、
時には12時間以上祈り続けられたというように
本当に求め求め続けていかれ、
そして、この真理を与えられ解明しました。

私たちも改めてこの統一原理を理解し、
生活の中で活かしてきたいと思いますし、
また、教会員でない方が、もしご覧になっていたら、
正しい目でご判断してくだされば幸いです。




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2022年09月13日

(証し)愛する人を失った絶望から、立ち直れたのは 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》




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ヨブ


李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の
「苦痛の中での信従」の続きです。

今日は、日本のある教会信徒の証しを通して
お話してくださっています。


死を越えて蘇生した真の自我

アブラハムの運命を見るとき、神はイサクを与えましたが、
与えた息子を再び祭壇にささげるように命じました。
神様が祝福をして、再び取り去ったのです。

ヨブにも神様は財産を与え祝福しましたが、
再び奪い去りました。

ヨブは、息子もまた命までも神に与えましたが、
みな奪われたのです。

そこでヨブは言いました。
「神は祝福を与えることも取り去ることも、
生命を与えてから、死を授けることもできるお方です」と……。

ヨブは本当に忠実に神に信じ従った人でした。


真の自己というものは、
与えて奪い取るとき蘇生するのです。

神様に再び返せと言われる時、
「なんだ、いつかはくれたではないか」と、
自我が頭をもたげてくるのですが、
その時、「はい」と応じる人こそ
自己を無にすることのできた人です。

生命を差し出せと言われるときには、
「はい」と即座に応じるべきです。
神様が創造なさった生命です。
堕落性だけに苦痛の要素が潜んでいるのではありません。

神が取らんと欲する時、躊躇することなく、従うことこそ
正しい十字架を負うことだということができます。


せんだって福良(ふくら)さんが、本当に驚くべき話をされました。
それは、彼の夫人がこの世を去った時の話でした。

彼はその瞬間慌てふためいて、
夫人の死体の前でおののいていました。
(きっと助かるだろうと思っていたので)
祝福されたのちに死ぬなどとは
とても信じられなかったからです。

彼は全身の力が抜けるほど打ちのめされたとのことです。
永遠なる祝福を受けたはずなのに、
なぜこんな惨めな結果に終わるのだろうか、

既に魂のこと切れた妻のなきがらを見ながらも、
絶対に死ぬということはあり得ないと彼は信じていたので、
最後に「これ以上望みがありません」
と宣告されると、気が遠くなったと言いました。

何時間か苦痛の中で身もだえしているうちに、
(文)先生の事情と苦痛を思い、
今の自分の現状とを結びつけてみたとき、
初めて自分の心に新生復活の光が
差してくるのを覚えたとのことです。

先生こそ私の苦痛を救う方であり、救われてみて、
先生こそ偉大なるお方であると思ったそうです。

苦痛の中を通り抜け、新生復活して初めて
先生の真の偉大さを悟ったという、貴重な証を聞きました。

また彼は、神様の苦痛が内的に私自身の苦痛として相通じるとき、
初めてその苦痛圏内から抜け出すことができ、
その喜びは言いようがなかったと言っておられました。

 
私はここで、あいさつの言葉には
最も気をつけなければならないことを感じました。

悲しんでいる家に行って、
天国に行かれたと喜ぶわけにはいきませんし、
慶事を営む所で、悲しいことですねとも言えないからです。

慶弔の場では、注意深くあらねばなりません。

葬儀の時、福良さんの心情を知らない多くの人はみな、
顔をこわらばせていましたが、
彼は先生の苦痛とぶつかり合って、
死という暗黒の中から復活の光を得ることができたのです。


きょう私がこの話をするのは、
私の苦痛と神様の苦痛が結び合わされる時こそ、
神様の愛による復活がなされるからです。

全人類の苦痛をすべて集めたとしても、
神様の苦痛は比較にならないほど大きいものですが、
苦痛をより多く経験した人こそ、
神様の重荷を負うことができるのです。

子供の悲しみが母の懐で解決されるということは、
お母さんの愛情の温かさが真実なる力をもっているからです。

これと同じように今日の人類のすべての苦しみも、
神の苦痛と置き換えられたとき、
初めていやされるということです。


福良さんは、苦痛の領域から愛の世界に入りました。
これが本当の復活です。

これは自分が求めて得ることのできた愛であり、
苦痛の中を通って神の愛を探し出した人です。

15・苦痛の中での信従
「死を越えて蘇生した真の自我」

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰

(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


「私の苦痛と神様の苦痛が結び合わされる時こそ、
神様の愛による復活がなされる」
これは本当に貴重な言葉だと思います。

私にとって、苦痛なこと、
誰も私のことをわかってくれない、
そのような苦しみを味わったとしても、
同じように苦しんだ方がおられる。。。

それが神様御自身であり、
神様の苦しみを感じることによって、
心情を共有することができ、
解放される、というのです。

だから、どんな苦しみを受けたとしても、
すでに勝利された神様がおられるし、
真の父母がおられる、ということを
どれだけ求めることができるか、
そのことが重要なのだと思うのです。




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