2022年09月09日

「それが、私が会った母の最後の姿でした」 冷たい言葉しか掛けられなかった主 《金元弼先生》




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機を織る金慶継・忠母様(文鮮明師の母)


今日は、真のお父様(文鮮明先生)のお母さんである
金慶継(キム ギョンゲ)・忠母様のお話です。

金元弼(ウォンピル)先生のみ言
「天情と人情」の続き。

”死の収容所”と呼ばれる興南に、
お母さんが面会に行きます。
それが、文先生が、お母さんに
お会いした最後の姿でしたが──

先生のお母様の愛

韓国の三八度線の南側がソウルとしますと、
平壌は北側で、この北の方に
先生の故郷・定州があります。

興南は半島の東の方です。

先生が刑務所におられた時、御家族、親戚
すべての人たちは北の方にいらっしゃいました。

先生のお母様は、興南から
四〇〇キロほど離れた所に住んでおられたのです。
最も先生のことを心配されたのはお母様でした。

故郷からお母様が訪ねてこられました。
そして先生との面会を終えて帰る途中、
先生のお世話をしておられた玉おばあさんの家で、
私は初めてお母様にお会いすることができました。


その当時、韓国動乱が始まって人々は全部疎開し、
玉おばあさんと私だけが残って、
玉おばあさんの家で日曜日には二人で礼拝をしました。

その時、お母様は私に向かって、
「学生の時から苦労しているのを見ると、
母の心としてたまりかねます。
今度帰ってきたなら、これからは
私のそばから離さないようにしましょう。
私が守りたい」と話されました。

先生は学生の時から、罪なくして
たびたび牢屋で苦しまれるということを経験されたので、
お母様としては絶対に自分のそばから離したくない
という心が起こるのも、当然なことと思います。

お母様は、兄弟の中でも特に先生を信頼していました。
また愛しておられました。

先生が終戦前から官憲に捕らえられて、
苦しまれたということをよく知っていらっしゃいました。

今度も先生がこういうことになって苦しんでいる
ということを考える時、年取っている身ですが、
乗りにくい汽車に乗って、四〇〇キロも遠い
興南の地まで訪ねてこられたのでした。


それゆえに、帰る時には泣きながら家まで帰って行ったそうです。

そして家に帰ると、「私は再び息子を訪ねない。
また、何も持っていかない」と言われたそうです。

というのは、お母様が真心を尽くして持って行った物を、
先生は御自分では食べられないで、他の人に分けてあげたからです。

それで「心が痛くて痛くてなりません。
持って行っても、他の人に全部あげてしまうから」
というのです。

寂しい心に耐えきれなかったのです。
ですから再び先生の所へは行かないというのでした。
しかし、お母様は次の機会を準備して、
先生の所を訪ねたのでした。

お母様の御家庭は非常に大きく、また農家でしたので、
農作業の面倒も直接みなければならないというように、
いろいろな仕事に携わっていました。

先生のお父様は口数が少なく非常にまじめで、
一つのことを始めたら終わりまでなさるお方でした。
村の人とはそんなに交際することはない様子で、
家のことすべてはお母様がやっておられたようです。

そういう中でも、愛する子供のことを考えて、
差し入れのためにいろいろな食べ物などを準備なさいました。

先生のために何か月もかけて食べ物やら服を準備して、
先生の所を訪ねたのですから、お母様の心は、
先生だけが食べてほしいということであって、
それが自然だと思います。

お母様は先生を本当に愛しておられました。

 
一九四五年八月に、私たちの国は解放されたのですが、
それ以前、先生は日本で勉強しておられ、
戦争のために故郷へ帰るようになりました。

ずっとさかのぼりますけれども、
先生は四三年八月に短縮卒業され、
韓国に帰る前に、何日の何時に船で帰る、
という電報を打ちました。

ところが韓国に向かうその船(崑崙丸)は、
途中で沈没して、乗客は全員亡くなったのです。

そこでお母様は、電報に書かれていた
先生の乗る予定の船が沈没したというニュースを聞いて、
先生の安否を気遣って気が狂わんばかりになり、
先生に会うために、お一人で八○○キロの道のりを
釜山まで来たのでした。

けれどもとうとう見付けることができず、
気が狂ったような姿で家に帰りました。

夏から秋にかけてのことで、自分の故郷に入る時には、
靴が脱げているのも知らず、裸足で歩いていたら、
やぶのとげが刺さりました。

足の裏がめちゃめちゃになって化膿しても全然気が付かず、
泣きながら故郷に帰ってきたのでした。
その時着ていた着物は、やぶの中で破れてしまって、
一見すると気違いの姿だったということです。

 
先生は、この世を救わなければならないという
神のお告げのことや、どういう道を歩んでいるのかを、
お母様にも兄弟にも全然話していませんでした。

では、その時先生はその船に乗ったのでしょうか、
乗っていなかったのでしょうか。
それについてお話しします。

先生は、その船で出発するつもりで電報を打って、
その日にふ頭に出掛けたのですけれども、
途中で足が地について動かなくなったのです。
行こうとしたら足がくっついて、
なかなか行けないので、“何か事が起こる”と思い、
その日のスケジュールを変えたのでした。

先生もその船が沈没するとは、気が付きませんでした。

ところがお母様はそれを知らずに、
とても切ない思いをされたのでした。

 
その上、さらにお母様が心に痛みを感じたのは、
面会の時のお母様に対する先生の言葉でした。

子供がいくら成長したといっても、
母親の目から見れば、いつも幼い子供のように考えるのが通念です。

子供がおじいさんになっても、外に出掛ける時には、
そのお父さんは「体に気を付けて」と言うのが親の心です。

そこで、先生の囚人服、散髪された様子、
自由のない姿、惨めそうな様子を眺める時に、
お母様は最初から涙を流さざるを得なかったのです。

監視する人がいて、自由に話すこともできない
環境で話すのですから、
涙をこらえきれないというのも当然であると思います。


ところがお母様が泣かれるのが、
先生には気にかかったのでした。

本当に愛しているお母様が泣いている姿、
先生に面会するためにいなかのおばあさんが、
忙しい中をやって来たのです。

そして今までの過去のことが連想され、
先生にしてもどんなに心が痛かったことでしょうか。

我が子が苦しんでいることに、お母様がただ肉親の情で
涙を流すのを先生は喜びませんでした。

先生としてはお母様に、「我が子はほかの人とは違うのだ。
神と全世界の人のために立派に働き、牢屋の中でも、
このように苦労をする私の息子は本当に立派である。
元気でいるのが素晴らしい。
勝利して無事に行ってほしい」と
そのように思ってほしかったのです。

そのような涙なら、その涙は受け入れるというのです。


先生はお母様が一、二度面会に行っても、
故郷の親戚とかあるいは父母に対しては
二日(2回と)も安否のお話はされず、
信仰によって結ばれた食口たちのことを、
いつも心配してくださったのです。

それで、はるばる忙しい中を訪ねてきて、
泣いているお母様に対して、先生は
「息子が苦労しているのをかわいそうに思って泣くのなら、
早くお帰りになってください。
そういう涙を見せるならば、再びここを訪ねないでください」
ときっぱりとお話ししたのでした。

面会の時間が限られており、
時間になると厳しく、別れなければならないのでした。

お母様としては、話したいことが
たくさんあったのでしょうけれども、
涙が先立ち、いつの間にか、
話したいことも話せないで帰るようになりました。

本当に人情の厚いお母様の後ろ姿を眺める先生の心には、
どのようにしながら家に帰っていくのだろうか、
家ではどんな心でいるのだろうか、
とお母様に対する情が、いつもいつも誰よりもあったのでした。

このようにお母様は、我が子が正しく、
人のために善いことをしているということを
御存じでしたけれども、
牢屋の生活をするたびごとに、内心、
大きな悩みと心の苦しみを受けたのでした。

平壌開拓から興南解放
第四章 天情と人情
「先生のお母様の愛」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


文先生のお母さん(忠母様)の
先生に対する深い愛を感じる文章でした。

今回の証しはご存じの方も多いと思いますが、
直接お会いした元弼先生の証しを通して、
その心情の世界に触れ、胸が熱くなりますね。。。

天情と人情。。。
私もこの証しを通して、
拉致監禁を乗り越えることができました。
偽装脱会した時の親の喜びといったら。。。

偽装脱会したあと、父と銭湯に行きました。
父の背中を流した時、
「身も心もさっぱりする、というのはこのことだ〜」
と言っていた言葉が忘れられません。

しかし、この道にいるということがどれだけ感謝なことか、
霊界にいる父も感じていることだと思います。

なぜ、ここまで迫害されるのに、
愛する親たちから反対されるのに、
ここまでみ旨を歩むのか。
それは、この先生のみ言につきると思うのです。


「今までこういう事をやってきたのは、
 御飯がないから…名誉が欲しいから
 …誰かが恋しいからそうするんじゃない。

 これはたった神様をわかったから、
 そなたのその心情がわかったから。

 そなたの悲しみというのは我々には問題にならない。
 千万倍にもなる。
 例に例える事ができない」



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posted by ten1ko2 at 09:05 | Comment(2) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする