史吉子(サ キルジャ)先生のみ言。
今回は、「無形としておられる神様」です。
☆
創造原理を見ると、先ずは
「無形にいます神の神性を、いかにして
知ることができるだろうか?」
と言う部分が出て来ます。
お父様は神様について研究されながら、
「なぜ神様は形体が無いのか?」と、
深く考えられました。
霊界に行っても、神様の姿は見えないそうです。
なぜ、そうなのでしょうか?
お父様が、二つの理由を教えてくださいました。
「天聖経」の一番始めに、
「真の神様」についてのみ言が出て来ますが、
そこにも詳しく出ています。
☆
一つ目は、神様がある形体を持っておられたとしたら、
神様の争奪戦が起こって大変であるとのことです。
世界の人々が、「神様! 私の所に来てください」、
「違う! 私の神様だ!」と言いながら、
みんなが「神様を奪う争い」をしたらどうなりますか?
それこそ、世界大戦よりもっと恐ろしい闘いが続くそうです。
そうではないですか?
それで神様は見えない方が良いのです。
実際、神様が創られた人間と万物は、
ご自分の姿を展開しておかれたものです。
そうであるので、神様がおられない所がありません。
それなのに神様が目に見える神様としていらしたら、
大変なことになるのです。
☆
二つ目は、もし神様が人間のように
目に見える体をお持ちであったら、
大きさが問題になるとのことです。
高い山、深い海、森羅万象が全部神様の姿なのに、
神様の大きさがどれ程大きくなるでしょうか?
☆
大邱に霊通するハルモニたちがいました。
今は皆霊界に行かれましたが、
その方たちが生きていらした頃、
証をお聞きしたのですが、本当におもしろかったです。,
「神様! 神様の声は人の声なのに、
どうして姿は見えないんですか?」 と尋ねると、
神様も慶尚道の人には慶尚道の訛りで、
「わしは体が無 いんじゃ!」とおっしゃったそうです。
「いんや、いんや! 見せてくだされ!」と言うと、
突然、津波のように大きな波が現れて、
「これがわしじゃ!」とおっしゃるそうです。
「嫌じゃ、嫌じゃ、波は嫌じゃ!」と 言うと、
台風のような強風がビュービュー吹いて来たそうです。
その時も、「嫌じゃ! 風も嫌じゃ!」と言ったそうです。
ところが、実は神様のみ言が正しいです。
風も波も皆、ご自身の姿だからです。
そのハルモニたちが、「人の姿で見せてくだされ!」とせがむと、
お父様がにこにこ笑われながら現れるのです。
☆
本来、アダムとエバが完成していたら
アダムとエバは神様の体となり、神様はアダム
とエバの姿で現れるようになっていたからです。
神様が大きな山になって現れたら、下で
人間が下敷になって死ぬかもしれないし、
人間があちらこちらに逃げたりしないといけないので、
神経衰弱になって大変なことになるのだそうです。
それで、「いっそのこと、私に体が無い方が良い。
私が現れると、私の愛する子供たちが
皆下敷になって死んでしまうと騒ぐだろうから、
一日でも休まる時があるだろうか?
いっそのこと、私が体を持っていない方が良いんだ」と、
そう決め込まれたそうです。
☆
お父様は、
「あなたたち、神様を見ようと思ってはいけない。
大変なことになる。
神様を見ようとすると、
そのような現象が起こるから、
神様を見ようとするな。」とおっしゃいました。
またお父様も、「神様が
姿を持っておられないのは、
とてもありがたいことだ」と思われたそうです。
史吉子/ 著「原理によるみ言の証」
第2章創造原理 より
第2章創造原理 より
☆
神様は目に見えない、その理由を
とてもわかりやすく解説してくださっています。
先生ご自身も神様のお姿に対して、
相当考え、研究されたのだと思います。
目に見えないから、その神様の存在を
信じることが難しいのだと思います。
逆に言えば、無形の神様を感じ、
信じることができる、ということが、
どれほど貴いことであるか、とも思わされます。
また、神様を信じる人においても、
どんなお方なのか、その捉え方も
宗教、宗派によっても異なります。
さらに言えば、
同じ神様を信じていても、対立、闘争が起きるという、
悲しい現実もあるのです。
真の愛を持たれた天の父母である神様を知り、
それを実践できる私たちとなっていきたいです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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