2022年09月11日

「神様は見えない方がいいのです」その理由は? 文師の名言 《史吉子先生》




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史吉子(サ キルジャ)先生のみ言。
今回は、「無形としておられる神様」です。


創造原理を見ると、先ずは
「無形にいます神の神性を、いかにして
知ることができるだろうか?」

と言う部分が出て来ます。

お父様は神様について研究されながら、
「なぜ神様は形体が無いのか?」と、
深く考えられました。

霊界に行っても、神様の姿は見えないそうです。
なぜ、そうなのでしょうか?

お父様が、二つの理由を教えてくださいました。

「天聖経」の一番始めに、
「真の神様」についてのみ言が出て来ますが、
そこにも詳しく出ています。


一つ目は、神様がある形体を持っておられたとしたら、
神様の争奪戦が起こって大変であるとのことです。

世界の人々が、「神様! 私の所に来てください」、
「違う! 私の神様だ!」と言いながら、
みんなが「神様を奪う争い」をしたらどうなりますか?

それこそ、世界大戦よりもっと恐ろしい闘いが続くそうです。
そうではないですか?
それで神様は見えない方が良いのです。

実際、神様が創られた人間と万物は、
ご自分の姿を展開しておかれたものです。
そうであるので、神様がおられない所がありません。

それなのに神様が目に見える神様としていらしたら、
大変なことになるのです。


二つ目は、もし神様が人間のように
目に見える体をお持ちであったら、
大きさが問題になるとのことです。

高い山、深い海、森羅万象が全部神様の姿なのに、
神様の大きさがどれ程大きくなるでしょうか?


大邱に霊通するハルモニたちがいました。

今は皆霊界に行かれましたが、
その方たちが生きていらした頃、
証をお聞きしたのですが、本当におもしろかったです。,

「神様! 神様の声は人の声なのに、
どうして姿は見えないんですか?」 と尋ねると、
神様も慶尚道の人には慶尚道の訛りで、
「わしは体が無 いんじゃ!」とおっしゃったそうです。

「いんや、いんや! 見せてくだされ!」と言うと、
突然、津波のように大きな波が現れて、
「これがわしじゃ!」とおっしゃるそうです。

「嫌じゃ、嫌じゃ、波は嫌じゃ!」と 言うと、
台風のような強風がビュービュー吹いて来たそうです。
その時も、「嫌じゃ! 風も嫌じゃ!」と言ったそうです。

ところが、実は神様のみ言が正しいです。
風も波も皆、ご自身の姿だからです。

そのハルモニたちが、「人の姿で見せてくだされ!」とせがむと、
お父様がにこにこ笑われながら現れるのです。


本来、アダムとエバが完成していたら
アダムとエバは神様の体となり、神様はアダム
とエバの姿で現れるようになっていたからです。

神様が大きな山になって現れたら、下で
人間が下敷になって死ぬかもしれないし、
人間があちらこちらに逃げたりしないといけないので、
神経衰弱になって大変なことになるのだそうです。

それで、「いっそのこと、私に体が無い方が良い。

私が現れると、私の愛する子供たちが
皆下敷になって死んでしまうと騒ぐだろうから、
一日でも休まる時があるだろうか?

いっそのこと、私が体を持っていない方が良いんだ」と、
そう決め込まれたそうです。


お父様は、
「あなたたち、神様を見ようと思ってはいけない。
大変なことになる。
神様を見ようとすると、
そのような現象が起こるから、
神様を見ようとするな。」
とおっしゃいました。

またお父様も、「神様が
姿を持っておられないのは、
とてもありがたいことだ」
と思われたそうです。

史吉子/ 著「原理によるみ言の証」
第2章創造原理 より


神様は目に見えない、その理由を
とてもわかりやすく解説してくださっています。

先生ご自身も神様のお姿に対して、
相当考え、研究されたのだと思います。

目に見えないから、その神様の存在を
信じることが難しいのだと思います。

逆に言えば、無形の神様を感じ、
信じることができる、ということが、
どれほど貴いことであるか、とも思わされます。

また、神様を信じる人においても、
どんなお方なのか、その捉え方も
宗教、宗派によっても異なります。

さらに言えば、
同じ神様を信じていても、対立、闘争が起きるという、
悲しい現実もあるのです。

真の愛を持たれた天の父母である神様を知り、
それを実践できる私たちとなっていきたいです。


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posted by ten1ko2 at 08:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 統一原理・統一思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする