入山部長の「幸福な人生には原則があった」
その第2回目、『人間の無知』です。
☆
第1講座 神の実在
人間の無知
人間の無知
「統一原理」は、『原理講論』という600ページ以上ある
一冊の書物にまとめられています。
その冒頭の一文を紹介します。
「人間は、何人といえども、
不幸を退けて幸福を追い求め、
それを得ようともがいている。
個人のささいな出来事から、
歴史を左右する重大な問題に至るまで、
すべては結局のところ、等しく、
幸福になろうとする生(せい)の表現に
ほかならないのである」
(『原理講論』21ページ)
人は誰もが幸せになろうと一生懸命努力しています。
努力に応じて幸福が得られるなら、誰も文句を言わないでしょう。
しかし、現実はそうではありません。
幸福を願って努力しているのに、不幸になることもあるのです。
それはなぜなのでしょうか?
誰もが平和を願っているのに戦争が絶えません。
なぜなのでしょうか?
このような理想と現実の矛盾から
生きる苦しみが生まれています。
この答えを誰も得ることができないまま、
人類歴史は今日まで流れてきました。
☆
しかし、この問題に対し、「統一原理」では、
たった一文でその答えを出しているのです。
それは、「(人間が)堕落することによって
……無知に陥ってしまったため」(『原理講論』34ページ)
であるというのです。
☆
「堕落」というのは、人間が本来あるべき姿を
失ったということです。
そして、人間として当然知っているべきことを
知らないで生きているというのです。
皆さんは努力していろいろなことを
学んでこられたでしょうから、
「無知」などと言われれば、
一体何を知らないと言うのかと思われることでしょう。
意外に思われるかもしれませんが、
それは「神がわからなくなったこと」
だと「統一原理」は教えているのです。
☆
「神がわからなくなった」ことが根本的な無知となり、
目に見えない無形世界のことがわからない
「内的無知(霊的無知)」に陥りました。
その結果、人間が何のために存在しているのか
ということもわからなくなってしまったのです。
さらに、物質世界の根本や、自然界が
どのような法則で成り立っているのかがわからない
「外的無知」に陥ってしまったのです。
☆
人類は、宗教や科学を探究することを通じて、
こうした内外の無知を克服する努力をしてきました。
その結果、多くの答えを得てきたことは事実ですが、
幸福と平和に関する人間の生きる苦しみは
いまだに解決されていません。
「神がわからない」という根本的な無知の問題が
解決されていないために、問題を
根本的に解決することができないでいるのです。
それゆえに、「神の実在」を
明らかにしなければならないのです。
入山 聖基・著
(光言社・『幸福な人生には原則があった』より)
スマホで立ち読み Vol.13
生き方を学ぶ統一原理セミナー
幸福な人生には原則があった 2
人間の無知
(blessed lifeより)
(光言社・『幸福な人生には原則があった』より)
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生き方を学ぶ統一原理セミナー
幸福な人生には原則があった 2
人間の無知
(blessed lifeより)
☆
「人間は、無知に陥っている」と言われると、
入山部長も言われているように、「何を!」
と反発したくなる人も多いのではないでしょうか。
日本人は、一神教で言われている「神様」に
抵抗がある人が多いようです。
「八百万の神」の方が馴染みがありますね。。。
私も最初友人から紹介され、原理を学び始めた時、
「神様の勉強をするんだ。。。」というと
何か反発というか、疑問や偏見的な思いがわきました。
しかし、この「神の実在」を学ぶ中に、
とてもスウーっと納得できたのでした。
次回、その核心部分に入っていきます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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