2022年09月21日

十字架の苦痛から逃げてはいけない 文鮮明夫人の美点 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》

「環境によって変わる葉になるな」




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李ヨハネ先生のみ言。
今回は、「苦痛の中での信従」の最後です。

真のお父様(文鮮明先生)が、
真のお母様(韓鶴子総裁)について
特に褒められた3つのことが
紹介されています。


先生が御夫人を褒められた三点

(文鮮明)先生はある時、初めて御夫人(韓鶴子総裁)の
(あかし)をなさいましたが、そこでも
「妻も自らのはかりでは分からない」と語っておられます。

私たちは、自分の本当の復活を得るためには、
自分の命を捨てて進むべきであり、
この道ほど険しくて狭き道はありません。

先生は御夫人のことを、三つの点を挙げて褒めておられます。
それは、激しい試練の中でも神様を頼み勝利され、
霊的にも敏感であり、細やかに感応なされるということ。

また、二番目にはどんな逆境の中であっても
決して先生を恨まず、誠実にすべてのことをなし、
全食口の前で真の母としての務めを全うしてこられたということ。

三番目は、何か素晴らしい物を買ってあげれば、
必ずだれかに与えることを
まず考えられるお方だということです。


また、驚いたことは、御夫人はお金を使うときに
少しもけちなことはなさらないことです。

私は先生が、お金を使うときの御様子を
いつも注意して見ていましたが、
大概の家庭では夫が気前よく財布のひもをゆるめれば、
主婦は必ずブレーキをかけ、
財布のひもを締めるよう文句と愚痴を言うものです。

私たちが米国へ行ったとき、共に食事をしたのでが、
一つのテーブルに三十ドル近い料理を取りました。
また、一人が二皿も三皿も平らげますから、
一人前の食事代が八十ドル、九十ドルにもなります。

それが二十人もの大勢の場合にもなると、
莫大な出費になります。

それでも御夫人は、先生の横に座っていらっして、
「皆さん、もっと欲しいだけ召し上がりなさい」
と勧められるのですから、本当におおらかな心をもっておられる方です。

また、私たちを連れて、街で服を買ってくださる時のこと、
先生は、「作業服がいいよ。
旅行するときにもアイロン掛けも必要ないし、
さっと洗ってそのまま手で延ばしても着られるから便利だろう」
と、おっしゃりながら作業服に近いものを
選んでくださるつもりでいらっしゃるのに、
御夫人は、「講義をする時にも着なければならないから、
もっと上等な服を買ってあげましょう」と、
私たちの肩をもたれるのです。

こういうことは、先生の御家庭でのみ見られる珍しい現象です。

また、ある時、先生は御夫人のことを
「自分にとって貴重であると思う物は、
だれかほかの人に与えたいという妻の性格を
神に感謝します」と大変褒められたこともあります。


御夫人はまた、今年から(さらに)人をよく見抜くようになられたそうです。
いつも御夫人の意見が正しいので、
先生は何事も御夫人に相談なされるそうです。

御夫人は霊的にいつも正確に見抜いて、
先生の心をよく理解して適確に仕事を選ぶために
気を遣われるとのことです。

先生がどんなお気持ちで、今何を考え、
いかに事を運ぶ計画でいるのか話さなくても、
以心伝心ですべてが心情一致するそうです。

私はここで、夫婦はこのように一体化しなければならない
という教訓を得ることができました。
夫も一体となって協力する夫婦こそ、
完成基準に到達した夫婦といえるのです。


しかし、御夫人も神の愛、先生の愛、
人類の愛を受ける心構えとして、
御自身の基台を整備造成しなければならないのです。

ということは、神の苦痛が私の苦痛と相通じて
いやされるとき、初めて基礎ができるということです。

愛の土台は自分で築き上げる

信仰の基台とは何かと申しますと、常にみ言を抱いて、
すべてのことが信仰による勝利となり得ることこそが、
自分の信仰の基台なのです。
ほかのだれかが加勢して勝利させるのではないのです。

私たち食口の中で信仰の基台のない人は、
環境の支配をよく受けますし、またよく変わります。

このように土台がもろいということは、
自分自身に原因があります。
信仰の土台は自分自身が造成するものだからです。

ほかのだれかがつくってやるということは不可能なのです。
愛の土台は自分で築き上げなければならないのです。
他人を恨み、つぶやいてはいけません。

 
イエス様は、十字架の上で、
神様の愛と人類の愛のすべてを
一身に受けて基台を築きました。

イエス様が、十字架の上でだれも恨むことなく、
一言も不平も言わず、ただ父のみ旨に従い、
人類の不信仰を一身に背負うことによって、
永遠なる愛の基礎をこの地上に築いたのです。

このような事実を具体的に知って、皆様も
神様の愛の土台を造成しなければならないのです。

私たちは苦痛を放置したり、また回避してもいけません。
それは、苦痛そのものこそ、
永遠なる愛の基礎を築く上に最も貴重なものだからです。

     
(月刊『ファミリー』一九八二年十二月号掲載)


今回は、皆さんがこれから分担する仕事を、
どのように正しく、正当に果たしていくか、
「自分」というものが正しいのか、
仕事に対してどう思うべきなのかを明確にして、
新たに出発しようとするものです。

15・苦痛の中での信従
「先生が御夫人を褒められた三点」

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰

(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


韓鶴子総裁は、表舞台に立たれる前は、
文先生の奥様、ということで
あまり証しにもされていませんでした。

私が主を証しされた1985年当時も、
「主の路程」といえば、文先生の生涯を聞いたものです。

これも歴史の蕩減なのか、
女性が迫害を受けてきた歴史だったので、
日の目を見ることがなかったのかもしれません。

変わらない信仰を持ち続けてこられた、
真のお母様、韓鶴子総裁に感謝いたします。

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posted by ten1ko2 at 09:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする