2022年10月28日

コディアク島、ノースガーデン、夢の”地獄の訓練”の始まり 《私のアラスカ体験A》 




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ニューヨーク在住の小林政久さん(777双)による
アラスカでの証し、そのAです。

コディアク島

私はアラスカのコディアク島 へ、
妻は東京へと出発しまし た。

アラスカは米国の州ですが、 ニューヨークからコディアク島の
修練所(ノース・ガーデン) に行くには十数時間かかります。

日本へ行くのと同じくらいの時間です。
そんなにかかるのかと驚く方もいるでしょう。
私もびっくりしました。

シアトルで飛行機を乗り換えてアンカレジ。
アンカレジで小さなプロペラ機に乗り換えて
コディアク島に着くまで、それぐらいかかるのです。
ちなみに、ニューヨークとの時差は四時間です。

アンカレジ空港では、島々と結ぶ
たくさんのプロペラ機が離着陸しています。

それぞれの島は小さくて乗客が少ないため、
一つの島への便数は限られ、待ち時間も長くなります。
しかも、天候不順でプロペラ機が飛ばなかったり、
遅れたりすることがよくあります。
天候の急変など、予測不可能なことがいつでも起こりうるのです。

アラスカは、大都会とは違う別世界が広がっています。
夏は「白夜」が見られます。
秋になると日ごとに日が短くなり、
冬は、全く太陽が昇らない「極夜」という世界が訪れます。

コディアク島の空港はとても小さくて、
空港とは思えないほどの規模です。
巨大な熊の剥製が出迎えてくれました。

迎えの車に乗り、深い木々の間を抜けて、
コディアクの町へ入りました。
小さな田舎町なので、ホテルも簡素なところしかありません。
繁華街には、かろうじてマクドナルドがあり、
小さなレストランがいくつか営業しています。

街を通り抜けると、漁業会社の事務所や倉庫が立ち並び、
船着き場が備えられた港には、大型漁船が何隻か係留されています。
この中に、真のお父様の思想を土台として設立された
ISA(国際アラスカ水産会社) という会社があります。

車はそこを通り抜けて、ついに、うっそうとした木々に囲まれた
真の父母様の公館ノース・ガーデンに到着しました。

ノース・ガーデン

この建物は、食口たちが真の父母様にお捧げしたものですが、
真の父母様は教育と訓練の日々を送られているので、
プライベートの時間を楽しむという発想はありません。

公館は、修練の場にほかならないのです。
しかも、世界から幹部たちを集めて、徹底的に訓練するのです。

外から見ると、決して大きくはありません。
木造二階建てで、自然の中に溶け込んだ山小屋を思わせる、
その柔らかい外観は、全体的に落ち着いた印象を与えます。

ところが一歩、中に入ると、意外な広さに驚かされます。

居間にはカーペットが敷き詰められ、
皆が床に座れば、百人ほどで礼拝を捧げることができるのです。
また、同じ規模の食堂もあります。

玄関の階段から二階に上がると、
ソファーのあるラウンジ があります。

その右側に真の父母様のお部屋があり、
左側に部屋が幾つか並んでいます。

各部屋には、十から二十台前後のベッドが備えられ、
修練生たちが利用します。
また、地下にも修練生やスタッフが寝泊まりする部屋があります。

声を出せば届くような所で、
真の父母様が寝起きされているのです。
そのような光景を思い浮かべてみてください。

同じ屋根の下で、真の父母様と二十四時間、
生活を共にするという、夢のような恵みを受けて、
心はどれだけ、うきうきするでしょうか。

陰の功労者、後方部隊

幾ら頑張っても、修練所の収容スペースには限りがあります。
しかし、真のお父様が、そのような
物理的限界などを問題にされないことは、
読者の皆様もよくご存じでしょう。

釣りシーズンたけなわになれば、
さらに人を呼ばれるのです。
それは、教会の指導者や食口に限りません。
いわゆるVIPと言われる方々もゲストとして招待されます。

最盛期には、 公館に全てのゲストを収容するのは不可能になるので、
同じ敷地にあるコディアク教会に寝泊まりする人もいます。

これだけ多くの人が集まり、 修練を受けるためには、
後方部隊が必要です。

”兵站(へいたん)が整っていなければ
戦いに勝てない”のは当然のことでしょう。

車やボートも相当な数が必要です。
百人が毎日、一日中釣りに行くとしたら、
数台の車と十数隻のボートを使います。


ところで、コディアク島は車の制限速度が
時速二十五マイ ル(40キロ)です。

米国の一般的な高速道路が六十マイル(97キロ)、
市街地でも四十マイル (64キロ)ほどで走れるのと比べると、
大変な徐行運転です。

それでも交通渋滞は皆無であり、
島の生活がいかにのんびりとしているかがよく分かると思います。

そのような島で、天宙的に多忙な修練会が行われていることが、
対照的で、とても面白く感じます。


後方部隊のメンバーたちは、 早朝から深夜、そして深夜から早朝まで、
文字どおり二十四時間態勢で頑張っています。

百人が、一日中釣りをするのに必要な餌と、
針や重りなどの掛けは膨大です。

かかった魚が逃げて仕掛けを失うのは当たり前。
帰ってきたボートは、 折れたさお、針がなくなった仕掛け、
泥や魚の血で汚れたレインギア(雨がっぱ)などでごった返しています。

それらを片付け、きれいに洗って次の日に備えるのは、
並大抵の仕事ではありません。

釣りのライセンス(許可証)取得を怠ってはならず、
車やボートのエンジントラブルも頻繁に起こるので、
入念な整備、 点検が欠かせません。

どれ一つ取っても、粗相があれば、
真のお父様が真剣勝負をなさっている
修練会に大きな支障を来すのです。

修練生にとって訓練は過酷で真剣そのものですが、
それを支える後方部隊も、
それに劣らず大変な闘いをしており、
まさに陰の功労者なのです。

小林政久
寄稿 永遠の宝物となった真の愛による神霊体験(前編)
世界家庭2022年9月号

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アラスカは米国ですが、東のニューヨークからだと
カナダを挟んだ
遥か北西にあるので、遠いんですね。

ノースガーデンのある
アラスカ・コディアク島。。。
いつかは行ってみたい地です。

後方部隊の件ですが、
どんな部署においても、
縁の下の力持ちとして、後方部隊は、
とても重要な役目であります。

ある先生のみ言にあったと思いますが、
どんな心情で責任分担を歩むか、
それが重要である、というのです。

目の前のアベルに侍る(愛しつつ仕え従う)のですが、
実体にはおられなかったとしても、
真の父母様に侍るように、
責任分担を全うしていく、
そのような歩みをしていきたいと思うのです。

真の父母様と過ごすのは夢のようなことですが、
さて、地獄の訓練は、どういう風に展開するのでしょうか。
続きをお楽しみに。




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2022年10月27日

女性として生涯一番の苦痛、最愛の息子を失って。。。 《お母様と興進様@:池生蓮先生》




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皆様ご存知のように、今回大きな人事が成され、
私たちの教会長も二世教区長の一人として、
栄転になります。

しかし、発令された日の夜は
一睡もできなかったと聞きました。
大きな決意の中での出発であることでしょう。

ふと、御子女様のことを思わされ、
興進様の顔を思い浮かべました。

池生蓮(チ センニョン 지생련)先生の証し。
興進様のエピソードを紹介します。



興進様の昇華を前後して

1984年1月2日、ご父母様の家庭の次男である
興進様が昇華(聖和)なさった事件は、
お母様にとって一生で最も大きな苦痛だったと思います。

お母様は、女性が生まれて経験しうる最大の苦痛の時間を、
み旨に対する絶対的信仰とご自身の忍耐と沈黙で忍ばれました。

興進様の昇華(聖和)を通じて
霊的な勝利の基台を争奪していくお父様の道に、
少しも乱れることなく同参なさいました。


ご父母様の家庭のご子女様たちは皆、
ずば抜けた容貌と素晴らしい資質を備えておられます。
その中でも、お母様は興進様を格別に愛されていました。

ある時、お母様と興進様が、
数人の周囲の食口たちと外出されようと準備しておられました。

興進様は涼しげに白い半袖ワイシャツを着ていらっしゃいましたが、
幼かったそのかたが、16歳となり高等学校に通っていて
とてもすらりとしてずっしりしておられたので、広く張った肩の線が、
決して小さいとは言えないお母様の背丈を越えていらっしゃいました。

興進様がお母様と腕を組んで
子供らしく親しげに横にくっ付かれます。
今やとても大きくなった息子が少し気恥ずかしく感じるのか、
お母様は、そっと微笑みを浮かべながら
興進様をちらりと見上げられます。

私はそのときにお母様の顔に現れた満足と幸福の表情を
いまだに鮮やかに覚えております。
どれほど微笑ましく誇らしげに見つめられたことか…。

立派に成長する息子を見つめるお母様の微笑ましい表情が、
私の目にもとても幸福そうに見えました。


興進様は、ご自身の秀麗で輝く外貌だけでなく、
人並み外れた活気と愛情のこもった言行で
数多くの食口たちの記憶の中に永遠に生きておられます。

アメリカの食口と祝福された後、アメリカに来て
あまりたたない一人の韓国の女性食口がいました。
初めは英語も話せなくてアメリカの社会も充分に分からず、
家にばかり引きこもっていました。

そうこうするうちに、なんとかご父母様の家庭で
奉仕したいという意向が教会から承認され、
イーストガーデンで衣類の洗濯及び手繕いを担当する
奉仕生活を始めることになりました。

この女性は、すべてのことが不慣れで、
真のご父母様の邸宅の雰囲気が注意深いので、
毎日地下の洗濯室で仕事ばかりしていました。


これを興進様が少し痛ましく思われたようでした。

ある日、興進様がこの食口が働いている
地下の洗濯室の階段を急いで降りてこられて
何か大声で言われました。

英語がほとんど分からないこの女性は、
何のことか分からず急いで興進様の方に顔を向けると、
興進様が左腕を右手で白い布切れで覆うようにしておられましたが、
布切れには血の跡のようなものがじっとりとにじんでいました。

間違いなく左腕に大きな傷を負われたようでした。

この女性はそれまで興進様と一度も話すこともできないで
注意深い限りだったのですが、
突然の救急事態が起こったので、我知らず飛び出して
興進様の腕をつかみました。

「興進様、大変なけがをされたのですか?」と、
この女性は目を大きく開けてとても驚き、
興進様が覆っていた白い布切れを注意深く開いて傷口を見てみると、
血の色が少しおかしいのです。

当時12歳の中学生だった興進様は
ハハハと大きくお笑いになりました。
真っ赤な絵の具を白い布切れににじませて、
少し意地の悪いいたずらをなさったのでした。

ところが、女性はとても驚いてから安心したので、
妙にこれまで凝り固まっていた心が一度に溶けたそうです。
明るくハハハと笑われる興進様につられて一緒に笑いました。


そのように一緒にひとしきり笑ったら、
興進様が近しく感じられるのは当然です。

興進様のほうから
まず自分と親しくなりうるきっかけをつくってくださったのが、
イーストガーデンの生活を始めたばかりのこの女性にとっては、
とてもありがたい関心と心配りでした。

翌日、興進様が学校から帰ってこられる頃、
果物一皿を準備してお部屋に入れておきました。

これを知られたのか、興進様は時々、
彼女が仕事する地下の洗濯室に降りてこられました。

とくに多くの話はされませんでしたが、
地下の洗濯室がとても安らかな休息の場であるかのように、
そこにあるソファーでしばらく休まれたり、
時折、居眠りして行かれたりしました。

興進様にいかなる警戒や、感情の壁も
感じなかったといいます。


女性が最近、この話を聞かせてくれて、私は涙が出ました。

興進様が周りの食口たちと親しく過ごされるのは
大体このような具合であり、
そのかたを心よりお世話して侍った食口たちの純粋な心は
おおむねこのようなものでした。

(2003年4月発行の証し集「真の愛の勝利者」より
『真のお母様の愛の世界』)

日本語として自然になるように
一部編集しました。
文責:ten1ko2


この後、孝進様、そして文先生の聖和を
見送られたお母様でありますが、
この興進様を亡くされたことは、
女性として生涯で最大の苦痛だったに違いありません。
何度そのような境地を越えていかれたのでしょうか。

お母様と興進様のお姿。。。
お母様から信頼されていた興進様、
お母様を愛しておられた興進様。

興進様が今、地上におられたなら、
どれだけお母様を支え、
お母様のために歩んでおられただろう、
そんな思いをもつのは私だけではないと思います。

しかし、霊界で活躍しておられる興進様であり、
お父様の代身として、先駆けて霊界解放の道を
歩まれた興進様であることを思うと、
お母様も誇りに思われているに違いないと思うのです。




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2022年10月26日

天国の入国審査は、所持品チェックなし、丸裸の真心勝負 《浅川先生》




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浅川先生の「天活のすすめ
〜天国への準備はできていますか」
今回は、『天国の入国審査』です。

第五章 天国への愛磨き
天国の入国審査

「天国」への入国には、パスポートのチェックとして
「祝福結婚」の証明書が必要です。

それだけではありません。
天国人にふさわしい「人格」の審査があります。

天国への準備活動、すなわち天活≠ヘ、
祝福結婚を受けることと、
天国人にふさわしい愛の人格を身につけることです。


この世では、空港で入国カードを提出し、
指紋や顔写真のチェック審査を通れば入国できます。

麻薬や爆発物など危険物を所持していれば、
透かし映像チェックで明るみになり、入国できません。
それどころか、逮捕されて、本国へ強制送還されます。

天国入国では、所持品のチェックはありません。

もっとも、死んだら所持品など持参できません。
持参できるのは、自分の霊人体と心だけです。
自分自身の真実だけです。


霊界では、嘘(うそ)偽りは通用しません。
この世では、外見、学歴、職歴などによって判断されますが、
霊界では、人格そのものが審査対象になるのです。

この世で、本人が所有した財力、土地、家屋、
地位、名誉、学歴や職歴、すべて評価されません。

偽らざる赤裸々な人格、愛の分量、
それが評価の対象です。
愛の実践力だけが問われるのです。


「天国」の生活力は、真の愛だけです。

この世では、財力がなければ、豊かな生活はできませんが、
霊界では、真の愛がなければ、無能力者なのです。

運転免許証を持っていても、運転能力がなければ、
自動車の運転はできません。

天国入国の重要な持参品は、
自分が身につけた真の愛の実践力なのです。

天国に行きたければ、天国に行くことができる
内容をもたなければなりません。

浅川勇男・著
(光言社刊『“天活”のすすめ〜天国への準備はできていますか』より)
第五章 天国への愛磨き
天国の入国審査
(blessed lifeより)


天国へ入るためには、
パスポートが必要だということです。

すなわち、『天国人にふさわしい
「人格」の審査』であり、
『天国人にふさわしい愛の人格を身につけること』
である、と浅川先生はまとめてくださっています。

このことに私たちは、どれだけの意識をもって、
日々努力しているでしょうか。

もちろん、こんなに多くの試練を受けている状況にあって、
なお信仰を持ち続けるのは、
それだけでも、各々
簡単なことではないと思います。

しかし、「問題のある団体だと言われているけど、
教会にいる人はいい人たちだし。。。
本当にそうなのか?」
と言われるほどになっているかといえば、
まだまだ足りないと感じます。

本当に証しを立てられるように、
努力していかなければ、と思うのです。




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