2022年10月19日

囚人たちにファーザー・ムーンと慕われた、監獄の救世主・文鮮明師 《柴沼先生誌上説教》




211023-1984.0720-1985.0820Danbury.jpg


柴沼邦彦先生の誌上説教より
「真のお父様を証した囚人」を紹介します。

真のお父様の「ために生きる」生活

真のお父様(文鮮明先生)は、1984年、無実の罪で
ダンベリー連邦刑務所に収監されました。

お父様は200人ほどいた囚人たち一人一人の
名前を覚え、彼らの考え方や生活に気を配られました。

例えば、「あの囚人には誰も面会に来る人がいない。
彼のためにできることはないだろうか」といった具合です。

お父様にとって、
「この刑務所にいる全ての囚人は、
神様から任せられた自分の子供」でした。

本人も気づいていない
囚人たちの本心を見抜いて愛していかれたのです。


囚人たちは当初、真のお父様を
「ヘイ、ムーン」と呼んでいたのですが、
4か月もたたずに「ファーザー・ムーン」
と呼ぶようになりました。

お父様の真の愛と「ために生きる」生活に触れ、
囚人たちの心が転換されていったのです。


ダンベリーにイグナチオという囚人がいました。

あるとき、彼が、真のお父様が
み言を訓読していらっしゃるところへ来て、
「私の聖書はこれだ」と言って『ハスラーマガジン』
というポルノ雑誌を投げつけていきました。

しかしお父様は、何事もなかったように
訓読をお続けになりました。

のちに、その雑誌に
「レバレンド・ムーンは、米国の若者たちを洗脳し、
彼らを自分のために働かせている」
という批判記事が載りました。

イグナチオはその記事を読んで非常に憤慨しました。
そして雑誌の編集長に抗議の手紙を書いたというのです。

ハスラーマガジンへの抗議の手紙

1984年12月12日 ザスティン・イグナチオ

 私は『ハスラーマガジン』の愛読者であるとともに、
 ダンベリー・プリズンキャンプの囚人である。

 私の友なる囚人のレバレンド・ムーンについての
 あなたの記事はあまりにもひどく、
 かえって私を笑わせたほどである。

 私にとって、また多くの友なる囚人たちにとっても、
 その記事がレバレンド・ムーンを
 悪く書くつもりであったとしたら、
 1マイルも的を外れているからである。

 ミスター・ターナー(記事を書いた人)のちっぽけな主張と、
 ジム・フォーレスによる、明らかに薄っぺらで
 ヒステリックな報告以外の何ものでもない。

 レバレンド・ムーンは、われわれ米国人が
 われわれの子孫たちに伝えたいと希望する、
 全ての事柄のために戦いを挑んでいる。

 それは、婚前交渉やドラッグに反対し、
 反共であり、妻への愛、家庭への献身である。

 ……

 最後に、これは言わせてくれ。
 私はレバレンド・ムーンと並んでキッチンで働いている。

 そして私は、彼が彼に要求された全ての義務、
 すなわちトイレを洗うことや、
 床の雑巾掛けを含む全ての仕事を、
 笑顔で、一言の不平も言わずに遂行するのを見てきたのだ。

 ここにいる他の囚人たちについて、
 これと同じことが言えたとしたら、
 どんなにいいかと思うのだが。
 彼は決して偉ぶることをしないで、
 われわれの仲間の一人として生活している。

 私の面会日と、レバレンド・ムーンの面会日が同じなので、
 私は、彼が彼の家族に会うのを見て、
 レバレンド・ムーンが献身的な夫であり、
 愛し愛される父親であることを知った。

 もし米国にレバレンド・ムーンのような人が
 もっといたならば、恐らくこの国は
 今のような悲しい姿になっていなかったであろうと思うのである。


真のお父様の「ために生きる」生活を目の当たりにし、
感動することで、彼の心は変化を遂げていったのです。

真の愛の人間に生まれ変わろう

人類のメシヤなる真のお父様、真のお母様は、
人々に対するとき、その人の背後にある神様の心、
神様の願い、神様の思いを感じられ、
さらには、人間の奥底にある
本心を感じて生活していらっしゃいます。

堕落した血統の中に生まれ、また堕落した
環境の中で生きなければならない私たちの心は、
真の父母様のような心になることは
簡単ではありませんが、神様を中心として
物事を見詰めようと意識して、
自分の生活を変えていかなければなりません。

神様と真の父母様とのかかわりの中で、
私たちが真の愛の人間に生み変えられ、
重生していくのです。

私たちが真の愛をもって人間の本心を見詰め、
生活することの大切さを教えてくれています。

誌上説教「本心を見られるメシヤ」
柴沼邦彦(777双)
『祝福家庭』79号(2015年 冬季号)
(blessed lifeより)


文先生は、言葉ではなく、身をもって、
真の愛とは何か、そのことを教えてくださいました。

ポルノ雑誌の愛読者であることを公言している囚人に対しても、
屈服させる姿は、本当の本物である、と思わされます。

私たちが文先生のように、
真の愛の姿を実体で示していれば、
もっと家庭連合に対する認識が変わったかもしれません。

かつての歩みを反省しつつ、
本当に変わっていく時を迎えていると感じます。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


2022年10月18日

自分の心情の声を聞くのが祈り、そうすれば神様のものになる 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》




221018.jpg


李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言。
「結実時代」から、今回は、『自分の心情の声を聞く祈祷』です。

 
では、どういう時、自分の本性の心情に
マイナスになることをやっているのでしょうか。

目で見た生活、耳で聞いた生活、
それから血統を原因としての生活、
これが結局、自分の本性を堕落させ、
心情を発展させないのです。

祈祷というものは、
自分の心情の声を聞くためのものであって、
口先でわいわい大騒ぎしながら、神様の耳に
自分の話を聞かせるためのものではありません。

「自分」を知って暮らせば、
神様の創造した「自分」を聞いて暮らせば、
神様のものになることは、
絶対的に決まっていることなのです。

しかし、心情にいつもプラスする生活を
知らないので、霊人体を育てにくいのです。

皆さんが今、霊人体がどれほど悟って、
神の事情を実感するか、
み言をどれほど体恤したかは知りません。
その本人しか知りません。
人が言っても仕方がないのです。

  
先生に会う数カ月前に、釜山で霊通者たちが私に、
「あなたは素晴らしい方ですね」と言うのです。

そう言われても、私が私をどうするか、
自分が自分を知らないのに。

あとになって、先生にクリスチャンとして
私が一番先に会ったので、
その人がそう証したのだと分かったのです。

  
また、無視されたにしても、自分が自分の欠点を知って泣くほど、
本当に胸が痛いほど、自分の価値を自覚したのならば、
何でもプラスになります。

皆さんの欠点を言っても、自分が欠点を悟った時より、
悔い改めの動機にはなかなかなりません。
自分の罪を知っていないのです。
心情が鈍くなっているのです。

 
ですから私たちは、神と因縁をもった
その因縁を生命視して、それを失わずに、
崩さずに、サタンに奪われずに、
打撃を受けずに暮らさなければならないのです。

自分の心情に希望の力を蓄えて暮らせば、
自分の生活の中で価値を求められるのです。
原動力をもてる。

希望の力をもった人が、自分の生活の中で、
もっと希望の力を得るのです。
希望をもっていない人は、生活に打撃を受けて
マイナスになったり、少しあったものまで奪われてしまうのです。

たくさんある人は、たくさんもらえる。
愛の世界では、そうであるという聖句があります。
愛の本質をもった人は、苦痛があっても
無視されても、かえって自分に価値を得るのです。

 
結局原理的に説明すれば、み言によって、
心情の本性に作用しながら、刺激させながら、
み言の味を味わいながら、自分を喜ばせて暮らすのです。

できれば、食事が三回あるから、
三回ぐらいは喜ばせなくてはなりません。

朝起きて、み言を悟って感謝。
そして昼ごろ、午前中の仕事を通じ、
み言的な秘訣を悟って喜ぶ。
それから、午後の生活においても、
その心情を基盤として、勝利したその結果をもって喜ぶのです。

 
今は闘う時代というよりも、
もうける時代、実る時代です。
今は秋、結実時代。
自分も蓄えて実る時です。

それから、あまり自分の秘密を、
自分の喜んでいる内容を話さない時です。

絶対言わないで、隠して、自分の心情の力とならせるのです。
何かをおいしく食べたなら、吐き出さないように、
食べたものは秘密にしておかなければ力になりません。

牛がはんすうするように、
人間も言葉を学んで生活を続けるのです。
そして、み言でもう一度消化しなくてはならないのです。

それは、生活そのものをみ言的に考え直しながら
仕事をしなくては、自分の心情の糧を得られないからです。
それが皆さんの生活の中で、自分の心霊を育てる方法です。

16.結実時代
「自分の心情の声を聞く祈祷」

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰

(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


ヨハネ先生のみ言は、
言葉の表現が独特で、
少し解釈が難しいことがあります。

個人的には今回もそんな印象をうけますが、
要するに、最近私も取り上げている、
自己牧会プログラム=良心に尋ねる生活
このことなのではないか、と思います。

祈りを深めて良心を啓発して、
み言の訓読も、そこに一日の糧を得るためであると思い、
自分で自分の心霊を育てることが
できるようにしていきたいと思います。


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 08:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月17日

(証し)地獄の釣り訓練が、永遠の宝物になりました 《私のアラスカ体験@》 

青天の霹靂から始まった私のアラスカ体験




221017.jpg


世界家庭に寄稿された
ニューヨーク在住の小林政久さん(777双)による
アラスカでの証しを紹介します。

始めに

真のお父様が投入された釣りの摂理は、
娯楽や趣味といったレベルのものではありません。

ただの魚釣りでしょう。
などと軽くとらえたら大変なことになります。
お父様にとって釣りは、
霊力、精神力、胆力を訓練する場でした。

当時、牧会者や統一運動諸団体の責任者など、
いわゆる幹部には、釣りの訓練が必須だったようです。
真のお父様は、全世界から呼び集めた指導者たちと寝食を共にし、
釣りを生活の中心に置いて彼らを訓練されました。

ここに、米国・アラスカでの修練会の思い出をつづります。

その期間は私にとって、表現し難いほど苦しく、
葛藤の多い日々だったはずなのですが、
今も心に残るのは、真の愛に包まれた至福の思い出ばかりです。

かくも貴重な真の愛の経験、神霊体験を、
私の記憶にのみとどめ、独り占めにするのは
あまりに申し訳ないため、今後も末永く
天のみ旨に従事する食口たちに一人でも多く伝えたいと思います。

天の計画は、「アラスカ精神」を
精鋭部隊の訓練の伝統にすることです。
全ての食口が、この証しを読んで終わりとするのではなく、
同様の体験ができるよう祈ってやみません。

突然の召命

当時、「アラスカ精神による釣り修練」といえば、
”地獄の訓練”というイメージがあり、
兄弟たちから恐れられていました。

そのような訓練を私が受けるようになるとは、
夢にも思いませんでした。

私は渡米するまで、釣りにはからっきし縁がありませんでした。

米国に来てからは、真のお父様のご指導のもとで
釣りをする機会にも恵まれましたが、
どうにかこうにか”こなす”という雰囲気で、
正直、釣りをする意味を見いだすことができず、
”できることなら避けたい”と思っていたのです。

今は、真のお父様があれほど力を入れておられたのだから、
もっと釣りに関心を持つべきだったと深く反省しています。


一九九二年の(九月)、イーストガーデンに滞在しておられた
真の父母様は、アラスカに出発されることになりました。

毎年、秋になると、真の父母様はアラスカで釣りをしながら
精誠を尽くされるのが恒例だったのです。

出発の日、いつものように
ニューヨーク近郊で歩む幹部たちが集まってきました。

そして、皆で真の父母様の乗っておられる車に向かって
億万歳を三唱し、正に車が走り出そうとした瞬間、
真のお父様が車窓から顔を出され、
そこにいた教区長に向かって、
「小林をアラスカに呼ぶように」とおっしゃったのです。

青天の霹靂でした。

真のお父様が乗られた車は空港に直行するので、
私も即座に出発しなければ間に合いません。
アラスカへの航空券の手配をはじめ、
目まぐるしく走り回って旅支度を整えました。


天には事情があり、全ての摂理は
このようにして進むのだと身をもって教えられました。

真のお父様はかつて、米を買いにいかれたときに、
天から「三十八度線を越えろ!」と啓示を受け、
そのまま北(現在の北朝鮮)へと向かわれました。

偶像商として豊かに悠々と暮らしていたアブラハムは、
突然の天の召命に応じました。
そこには、自分の事情を後回しにして、
問答無用に天命に従う信仰者の姿がありました。


神の召命とは、このようなものでしょう。

思い返すと、この道を献身的に歩み始めたときは、
これとは比較にもならないほど大変なところを通過しました。

(献身した)当時、私は「日本一の優良会社」
と言われた企業に就職が決まっていました。
それにもかかわらず、入社を辞めるというのですから、
親や親戚がどれほど反対したでしょうか。

それを押し切り、皆が”一生を棒に振る”
と思うような行動に出たのです。

その頃、教会員は全国で百人ほどでした。
統一教会(家庭連合) は、
この世から見れば”無に等しい団体”だったのです。

子供を預けて

例年、真のお母様も真のお父様に同行して
アラスカに行かれていましたが、その年は違っていました。

世界平和女性連合の摂理を進めるため、
日本訪問のご予定があったのです。
九月から日本の主要都市で講演されることになっていました。

その出発の直前、真のお母様が、
「葉子(私の妻)を日本に来させてください。
私が面倒を見ますから」とおっしゃいました。
正に寝耳に水です。

子供たちのことを考えると、不安もありましたが、
信仰を立てて真心を尽くせば、
天が必ず手を差し伸べてくださるに
違いないと思い、感謝してお受けしました。

その後、既述のように私も妻と時を同じくして
家を空けることになったのです。
それは、”青天の霹靂のダブルパンチ”でした。

幸い、上の子が高校生になっていたので
何とかなると思いましたが、急いで、知り合いの姉妹に
下の子供たちのことを頼み込みました。

その姉妹は快く、わが家に来て
子供たちの面倒を見ることを承諾してくれました。
人柄の良い姉妹を準備してくださった天に
心から感謝しました。

小林政久
寄稿 永遠の宝物となった真の愛による神霊体験(前編)
世界家庭2022年9月号
一部割愛し、順序を入れ変え
要約させて頂きました
文責:ten1ko


221017-Kodiak_Alaska.png



「アラスカ精神」というのは、
魚釣りを通して修練、訓練をし、
責任者、メンバーを鍛えるため、
精誠を尽くすことを教えるもの。

簡単に言えば、最後まで責任をもつ、
絶対あきらめない精神といえるかもしれません。

趣味における魚釣りではなく、
あくまでも修練なのです。

小林さんは、突然の天の導きにより、
その修練に参加することになりました。

今後、証しを紹介させていただきます。
お楽しみに。



アラスカ精神とは何か

海に勝つ人が世界を支配します。
海は陸地の3倍になります。
すべての金銀財宝が
海に埋まっています。

それが、主人を待っているのです。
その主人は誰でしょうか。
統一教会の輩です。

「それ(海)を占領して残ろう」
というのが、アラスカ精神です。

(マルスム選集263-135)
世界家庭2022年9月号



にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)