777双家庭、飯野貞夫先生の証し
「父は厳しく、母は優しく」です。
☆
1972年9月、日本のリーダーたちが訪韓し、
真の父母様とご一緒に雪岳山(ソラクサン)に
登ったことがあります。
当時はまだ、観光地として
十分整備されていない登山道でした。
真のお父様の健脚は予想できましたが、
真のお母様がお父様と手をつなぎながら、
足場の悪い急坂のでこぼこ道や、
よじ登らなければならない岩場も、
さっさっと軽快に進まれる姿に驚いたものです。
私も少しは足腰に自信があったのですが、
この時は付いていくのがやっとでした。
頂上に登り切った時、既に父母様は、
仲良く大きな岩の上に座って、
私たちの到着を待っておられました。
私が汗を拭っていると、
「飯野君、何か歌を歌いなさい」と
お父様から声が掛かりました。
私は歌が下手なのですが覚悟して、
お母様もご一緒なので韓国語の歌がよいと思い、
その頃覚えた「オンマヤ ヌナヤ」を歌いました。
☆
歌い始めてすぐに、お父様が
「発音が違う。カンビョンサルヂャだ」と注意してくださいました。
でも、私には違いが聞き取れないのです。
いろいろと口の中を変化させて発音しても直りません。
すると今度はお母様が、私の目の前で
「カンビョンサルヂャ」と笑顔で発音してくださいました。
私は、顔を30センチくらいまで近づけながら、
お母様の口元を見て真似をしました。
お母様は根気よく五回ほど発音しながら直してくださいましたが、
やはり駄目で、とうとう父母様に大笑いされてしまいました。
集まってきた韓日の幹部たちも一緒になって笑っていましたが、
私は笑われて恥ずかしいというより、とてもうれしかったのです。
駄目と分かっても、一生懸命に私の発音を
直そうとしてくださった父母様の愛を感じたからです。
☆
それから10年近く経った1980年、ご相談したいことがあり、
手紙をお父様に差し上げたことがありました。
すぐ呼ばれてアメリカに行き、
ニューヨークのベルベディアに伺いました。
何かお父様からお話があるかと思ったのですが、
到着のご挨拶をした日に「一人で来たのか」
と聞かれた以外は何も話されず、
厳しい雰囲気のまま数日が過ぎました。
私はみ意(こころ)でなかったと悟り、
悔い改める思いで断食を始めました。
しかし、父母様を中心とした幹部十数人の
朝食のテーブルに着かないわけにはいかず、
参加していました。
お母様が食事をしない私を目ざとく見つけ、
そばに来て優しい言葉を掛けては、
食事をするよう勧めてくださいました。
相変わらず、お父様は厳しい目で見ておられます。
でも、お母様は、しきりと私を慰め、励まし、
時に肩や背中をそっとなでてくださり、
心を癒やしてくださいました。
父は厳しく、母は優しくという
典型を見るような心の出会いでした。
お母様に救われるようにしてから数日が過ぎ、
お父様から新しいご指導を賜って、ようやく解放されました。
あの時、お母様がいらっしゃらなかったら、
いや、いらっしゃったとしても、
お父様と同じように厳しく接しておられたら、
私には居場所がなかったと思います。
母の愛に救われ、生かされたことを忘れることができません。
真の子女様を愛する以上に、カインの子女としての
私たちを愛するという蕩減復帰の原則に立ち、
心情の十字架を越えて、毅然として
私たちの前に立ってくださったお母様。
真の母として、日夜、私たちより
はるかに凄まじい血のにじむ苦労をしながらも、
食口のために祈り続けてくださったお母様。
そして、それは今も変わりなく続いているのです。
☆
【お父様がお母様について語られたみ言】
神様が心配される必要のないお母様、
与えすぎてかえって神様のほうが心配されるぐらいに
天性的に生まれついているということは、
母としての性格を備えているのです。
(『真の御父母様の生涯路程』E 213ページ)
☆
やはり、父母というのは、厳愛、慈愛の両面を
感じられることがありがたいと思います。
今は、『厳しい父』である文先生がおられなくなり、
韓総裁が父母の役目をしなければならないので、大変です。
日本の状況を思い、涙を流さない日がない、と言われていますが、
これは、母の愛情から来ているものである、と言うほかないです。
父母の愛の中に生かされている私であることを自覚しつつ、
歩んでいきたいと思うのです。。。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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