仕事(責任分担)に関する、ちょっと深く
真剣なお話です。
李ヨハネ先生のみ言、
「結実時代」から2コマどうぞ。
☆
自分のための仕事
何を任されても、「自分」というものを
離れて仕事をするのではないのです。
どんな摂理を担当しても、「自分」がやるのです。
何をやっても、
自分が成長、発展しなくてはならないのです。
仕事のための自分ではなく、
自分のための仕事なのです。
「自分は自分であるのに、
仕事によって自分を失ってしまう」。
人生において失敗する人がいますが、
原因はそこにあるのです。
同じ仕事をするとき、習慣的にやってしまい、
また、新しい仕事を担当すると、「新しい」
「知らない」「初めてだ」という観念で、自分を失う。
いろいろな場面で自分を失うのです。
先入観的、習慣的にやって、また、新しいからといって、
また、その仕事自体を学ぼうとしながら
自分を失って仕事をするから、信仰的にマイナスになる。
心霊にプラスにならないのです。
「自分」は「愛の実体」、
「心情の実体」と言ってもいいでしょう。
ですから、喜ぶために暮らしている、
心情を生かすがために暮らしている「自分」なのです。
☆
心情法則
私たちが運動、仕事をするのは、そうしないと
自分の体を健康に保てないからです。
食べて、仕事をしないで、
じっと座っていると自殺をする。
足と手に、私たちの生命のポイントは全部結ばれています。
だから、「歩け、出て仕事をせよ」と、
こういうふうに神様は私たちを創造されたのです。
結局、仕事、活動をするのも、
自分の生命を本来の生命にするためであり、
生命論から見ると、食べるために働くのではなく、
お金のために働くのではありません。
信仰者は、心情論から見て、何のために活動しているのか。
自分の心情を本来の心情にするためです。
自分を本来の自分に、自分を価値化するための責任分担です。
これがポイントです。
仕事のための自分とか、お金のための自分だとか、
目的のための自分だとか、そうではなく、
目的は「自分」が目的であり、
神様の目的も「自分」です。
☆
神様は私たちを造るとき、それは絶対のみ言で造られたので、
私たちは、絶対、み言的に暮らさなくてはならないのです。
造られた原則に違反すれば、すぐに
体と心情がぶつかり、苦痛になるのです。
「心情が平安である」というのは、
心情法則に合致したときにそうなるのです。
心情法則に違反した場合、必ず不安や、
恐怖や、減少感を、敏感に感ずるようになっているのです。
ですから、私たちは仕事を通じて自分を喜ばせれば
力が出るようになっているのです。
仕事を価値化して、自分の心霊を喜ばす。
相手を中心として、相対によって自分を成長させる。
これが私たちです。
☆
自分は何のためにこの責任を担当したのか
と心配するよりも、正当に、正しく
自分の価値を求めながら成長している自分なのか、
本当に情にあふれて暮らしている自分なのか、
生活を通して具体的に価値を発見して心情を刺激する自分なのか、
これを知らなければ何もできません。
これを知らない者はみな、偽者であり、人をだます人です。
例えば、教会長がいるとします。
自分が学んだ知識を人に教えるのみで、
自分自身を伝道しないのです。
これは偽善者です。
ですから、今の宗教は全部偽善です。
メシヤが来ても、それを知らないのを見れば、そうです。
イエス様が来られても、ユダヤ人までも知らなかった。
本当に自分の心情のために暮らしたのならば、
説明を聞かなくても、イエス様をすぐ知るようになっている。
良心をもっていれば、愛をもっていれば、
愛の豊富な方を、すぐ知るようになっています。
☆
私たちの心情は、どれほど敏感でしょうか。
お母さんたちは、子供には正しいことを言っても、
子供の欠点を見て、自分は泣かず、
「子供が悪い」と思っている母親は、偽善者です。
自分が産んだ子がしくじったのに、なぜ涙がないか。
自分の欠点を見て心配しない者は、これは偽善者です。
自分に欠点、過ち、罪、癖がありながらも心配しない者、
知っていながらもその癖を繰り返す人には、教育はできません。
神様もどうすることもできないのです。
☆
神様が、「取って食べるな」とおっしゃったのはなぜか。
自分に責任をもてということです。
心情をもった者に対して、
「心情に対して自分が責任をもて、
心情にマイナスになることをやるな、したなら心情が死ぬ」
と言われることを、エバに対して、
「取って食べるな」とおっしゃったのです。
責任をもっている者がそれを勝手に取り扱えば、絶対に死ぬ。
私たちは、肉体の生命と霊人体の生命をもっていて、
内外とも、自分の責任をもっているのです。
16.結実時代
「自分のための仕事」「心情法則」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
「自分のための仕事」「心情法則」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
☆
「仕事」を「神様のみ旨」と捉えて読んでみました。
この道に導かれた時、み言に感動して復活して歩みました。
なにもかもが、新鮮でありました。
いつしか、慣れてしまい、感動も薄れてしまい。。。
さらに、今の家庭連合への過熱報道により、
気持ちを上げることも難しい状況なのが現実です。
しかし、心情を復活させることは、「私の責任」なのです。
私自身を価値あるものとして捉え、
強い信念と信仰をもって、
今、この時の試練を乗り越えていきたい、と切に思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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