浅川先生の「天活のすすめ」
今回は、『天国の門番 その1(お連れさんはいつ来ますか)』です。
☆
夫婦が霊界の天国で永遠に生きるためには、
どうしたらよいのでしょうか。
天国は、天の国です。
天国には、入国管理法のような
法に定められた手続きと審査があります。
その規則に合格して入国できるのです。
空港や港などで入国審査が行われるように、
天国にも審査官がいるのです。
地獄は、欲望のままに生きて、罪を犯せば、
誰でも審査なくストレートに入ることができます。
地獄は家ではなく、無秩序・無法地帯です。
☆
天国は天、すなわち、神様を最高主権者とするところです。
天国の門を通過するためには、
神様の定めた厳密な審査をクリアしなければなりません。
もぐりや裏口入学はできません。
天国入国に、値引きや情状酌量の余地はありません。
地獄には瞬時にたくさんの人が入っていきますが、
天国に入る人は少ないのです。
☆
天国の入国管理官を「天国の門番」と名付けて、
「天国の門番物語」をしてみましょう。
天国の門まで来る人は少数なので、
門番には時間のゆとりがあります。
天国の門番は、「今日は、
どんな素晴らしい人が来るだろうか」
と胸を弾ませて待っていました。
そこに、清らかな霊人体をした男性がやって来たのです。
罪を犯した記録である黒点はほとんどなく、
心の底まで清らかです。
彼は涙ながらに言いました。
「私は物欲、出世欲、情欲を消し去るために、
山野を駆け巡って修行しました。
何日も断食をし、滝に打たれて水行もしました。
しかし、それほど修行しても、女性に出会うと、
情欲が湧いてくるのです。
わが身の罪深さを恥じました。
それゆえ、女性と遭遇しない山奥にこもり、
ひたすら修行に励んで、霊魂を磨き上げたのです。
天国は、私利私欲のない、清らかな人が入れると聞きました。
どうか、天国の門を通らせてください」
天国の門番は、彼の修行のすさまじさと純粋さに感動し、
思わず涙が込み上げてきました。
門番を担当して以来、これほど自分を厳しく律し、
修行した人に出会ったことがありませんでした。
「こんなに純粋で、誠実な人を見たことがない。
ぜひ、天国に入れてあげたい」と思いましたが、
私情を挟まず、公務に徹して、問いかけました。
「あなたが清らかで誠実な人であることは分かりましたが、
ところで、お連れさんはいつ来ますか?」。
想定外の問いに、修行者は、唖然(あぜん)として、
門番に問い返しました。
「お連れさんって、誰のことですか。
私一人では天国に入れないのですか」。
「奥さんのことですよ。
申し訳ありませんが、天国は、一人では入れないのです。
あなたがとても清い人であることは理解できましたが、
天国は、夫婦で入る国なのです」。
修行者は衝撃を受けて失神しそうになりました。
天国の門前まで来ながら入れなかったのです。
彼は、天を見上げて、つぶやきました。
「天国は一人では入れない……」
天国は一人では入れない
天国の「天」という字は、「二人の人」と書いて、
合体させて天と読ませます。
天国の住民は夫婦なのです。
夫婦でなければ、天国の住民登録はできません。
夫婦で国民とみなされます。
天国には、独り者はいないのです。
天国入籍は夫婦単位であり、一人では入れません。
肉欲と闘って、罪を犯さずに霊界に行ったとしても、
天国には伴侶という道連れが必要なのです。
妻という女性、夫という男性が道連れでなければ入れません。
二人で素晴らしい愛の家庭をつくってこそ、
入れる所が天国なのです。
☆
この世では「独り身がいい、
一人のほうが気楽だ」という人がいます。
孤独や寂しさを紛れさせる、仕事、ビジネス、
スポーツ、サークル、観光旅行、テレビなどがあるからです。
湧いてくる寂寥(せきりょう)感を耐えさえすれば、
それなりに楽しく生きることができます。
なぜ結婚しないのか?
結婚すれば夫婦の煩わしさで
気楽な自由を失う、と考えるからです。
結婚に対する懐疑、失望感を抱き、
一人で生きる人たちが増えています。
家族がいなくても、財力があれば、
人生の終末を施設で迎えることができます。
結婚しようと、しまいと、
死んだら永眠すると、信じています。
人生がこの世だけならば、結婚して後悔するよりは、
多少寂しくても、
一人で気楽に過ごしたほうがよいかもしれません。
☆
しかし、「永眠」せずに、「永生」するのです。
死んでも意識不明にならず、
喜怒哀楽を抱いて、永遠に生きるのです。
独りぼっちの寂しさを何年耐えられるでしょうか。
千年万年、永遠に、孤独と寂しさ、
虚(むな)しさに耐えながら、生きられるでしょうか。
一番切ないのは、愛してくれる夫(妻)、
家族がいないことです。
果てしない荒野で、たった一人で、
生き続けることになるのです。
☆
文鮮明(ムンソンミョン)先生は、次のように言われます。
「一般の宗教を信じる人は、『救い』というと、
個人の救いだけを考えます。
自分がよく信じれば、天国に行くと信じるのです。
しかし、本来の神様の理想について考えてみるとき、
天国は一人で行くようになっていません。
愛する夫婦、愛する家族が共に入るようになっています」
☆
また、結婚しながらも、夫婦関係で傷つき、
離別した人もいます。
結婚に託した夢と希望が裏切られ、
憎しみと怨(うら)みを持ちながら、
一人で生き続けているのです。
その人が、霊界に行けば、伴侶への怨みを抱いたまま、
孤独な生活を永遠にすることになります。
結婚せずに独身で生きた人より哀しいのは、
夫婦であったときの心の傷跡を背負っていることです。
離婚しても、夫への怨みの情念が消えることはありません。
怨みを抱いた孤独で寂しい霊人として、
千年万年、永遠に生き続けるのです。
では、その婦人が、心の修養をして、
夫への怨みを忘れて、何のわだかまりもなく
「死」を迎えたらどうでしょうか?
それでも「天国」には入れません。
一人だからです。
では、結婚して夫婦が円満であったなら、
確実に「天国」に入れるのでしょうか?
第四章 天国入国祝福結婚
天国の門番 その1『お連れさんはいつ来ますか』
天国の門番 その1『お連れさんはいつ来ますか』
☆
神様は父なる神、ではなく父母なる神、
すなわち、天の父母様、であるといいます。
ですから、メシヤも真の父母として来られるのです。
天国は夫婦で入る、という所以は、
そういうところからきていると思います。
もちろん、夫婦が一つにならない限りは、
天国に行ったとしても、天国生活であるとはいえないでしょう。
(次回以降で説明されています)
いつでも一つでいることが喜びである、
という信仰生活を送っていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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