2022年10月03日

天国の入国管理審査の意外な条件、夫婦同伴 ・・お一人様はあの世では気楽でない?  《浅川先生*天活のすゝめ》




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浅川先生の「天活のすすめ」
今回は、『天国の門番 その1(お連れさんはいつ来ますか)』です。


夫婦が霊界の天国で永遠に生きるためには、
どうしたらよいのでしょうか。

天国は、天の国です。

天国には、入国管理法のような
法に定められた手続きと審査があります。
その規則に合格して入国できるのです。

空港や港などで入国審査が行われるように、
天国にも審査官がいるのです。

地獄は、欲望のままに生きて、罪を犯せば、
誰でも審査なくストレートに入ることができます。
地獄は家ではなく、無秩序・無法地帯です。


天国は天、すなわち、神様を最高主権者とするところです。

天国の門を通過するためには、
神様の定めた厳密な審査をクリアしなければなりません。

もぐりや裏口入学はできません。
天国入国に、値引きや情状酌量の余地はありません。

地獄には瞬時にたくさんの人が入っていきますが、
天国に入る人は少ないのです。

 
天国の入国管理官を「天国の門番」と名付けて、
「天国の門番物語」をしてみましょう。

天国の門まで来る人は少数なので、
門番には時間のゆとりがあります。
天国の門番は、「今日は、
どんな素晴らしい人が来るだろうか」
と胸を弾ませて待っていました。

そこに、清らかな霊人体をした男性がやって来たのです。
罪を犯した記録である黒点はほとんどなく、
心の底まで清らかです。

彼は涙ながらに言いました。

「私は物欲、出世欲、情欲を消し去るために、
山野を駆け巡って修行しました。
何日も断食をし、滝に打たれて水行もしました。

しかし、それほど修行しても、女性に出会うと、
情欲が湧いてくるのです。
わが身の罪深さを恥じました。

それゆえ、女性と遭遇しない山奥にこもり、
ひたすら修行に励んで、霊魂を磨き上げたのです。

天国は、私利私欲のない、清らかな人が入れると聞きました。
どうか、天国の門を通らせてください」

天国の門番は、彼の修行のすさまじさと純粋さに感動し、
思わず涙が込み上げてきました。

門番を担当して以来、これほど自分を厳しく律し、
修行した人に出会ったことがありませんでした。

「こんなに純粋で、誠実な人を見たことがない。
ぜひ、天国に入れてあげたい」と思いましたが、
私情を挟まず、公務に徹して、問いかけました。

「あなたが清らかで誠実な人であることは分かりましたが、
ところで、お連れさんはいつ来ますか?」。

想定外の問いに、修行者は、唖然(あぜん)として、
門番に問い返しました。

「お連れさんって、誰のことですか。
私一人では天国に入れないのですか」。

「奥さんのことですよ。
申し訳ありませんが、天国は、一人では入れないのです。
あなたがとても清い人であることは理解できましたが、
天国は、夫婦で入る国なのです」。

修行者は衝撃を受けて失神しそうになりました。
天国の門前まで来ながら入れなかったのです。
彼は、天を見上げて、つぶやきました。

「天国は一人では入れない……」

天国は一人では入れない


天国の「天」という字は、「二人の人」と書いて、
合体させて天と読ませます。

天国の住民は夫婦なのです。
夫婦でなければ、天国の住民登録はできません。

夫婦で国民とみなされます。
天国には、独り者はいないのです。
天国入籍は夫婦単位であり、一人では入れません。

肉欲と闘って、罪を犯さずに霊界に行ったとしても、
天国には伴侶という道連れが必要なのです。
妻という女性、夫という男性が道連れでなければ入れません。

二人で素晴らしい愛の家庭をつくってこそ、
入れる所が天国なのです。

 
この世では「独り身がいい、
一人のほうが気楽だ」という人がいます。

孤独や寂しさを紛れさせる、仕事、ビジネス、
スポーツ、サークル、観光旅行、テレビなどがあるからです。

湧いてくる寂寥(せきりょう)感を耐えさえすれば、
それなりに楽しく生きることができます。

なぜ結婚しないのか?
結婚すれば夫婦の煩わしさで
気楽な自由を失う、と考えるからです。

結婚に対する懐疑、失望感を抱き、
一人で生きる人たちが増えています。

家族がいなくても、財力があれば、
人生の終末を施設で迎えることができます。
結婚しようと、しまいと、
死んだら永眠すると、信じています。

人生がこの世だけならば、結婚して後悔するよりは、
多少寂しくても、
一人で気楽に過ごしたほうがよいかもしれません。


しかし、「永眠」せずに、「永生」するのです。

死んでも意識不明にならず、
喜怒哀楽を抱いて、永遠に生きるのです。

独りぼっちの寂しさを何年耐えられるでしょうか。
千年万年、永遠に、孤独と寂しさ、
(むな)しさに耐えながら、生きられるでしょうか。

一番切ないのは、愛してくれる夫(妻)、
家族がいないことです。
果てしない荒野で、たった一人で、
生き続けることになるのです。

 
文鮮明(ムンソンミョン)先生は、次のように言われます。

「一般の宗教を信じる人は、『救い』というと、
個人の救いだけを考えます。
自分がよく信じれば、天国に行くと信じるのです。

しかし、本来の神様の理想について考えてみるとき、
天国は一人で行くようになっていません。
愛する夫婦、愛する家族が共に入るようになっています」

 
また、結婚しながらも、夫婦関係で傷つき、
離別した人もいます。

結婚に託した夢と希望が裏切られ、
憎しみと怨(うら)みを持ちながら、
一人で生き続けているのです。

その人が、霊界に行けば、伴侶への怨みを抱いたまま、
孤独な生活を永遠にすることになります。

結婚せずに独身で生きた人より哀しいのは、
夫婦であったときの心の傷跡を背負っていることです。
離婚しても、夫への怨みの情念が消えることはありません。

怨みを抱いた孤独で寂しい霊人として、
千年万年、永遠に生き続けるのです。

では、その婦人が、心の修養をして、
夫への怨みを忘れて、何のわだかまりもなく
「死」を迎えたらどうでしょうか? 

それでも「天国」には入れません。
一人だからです。

では、結婚して夫婦が円満であったなら、
確実に「天国」に入れるのでしょうか?

第四章 天国入国祝福結婚
天国の門番 その1『お連れさんはいつ来ますか』


神様は父なる神、ではなく父母なる神、
すなわち、天の父母様、であるといいます。
ですから、メシヤも真の父母として来られるのです。

天国は夫婦で入る、という所以は、
そういうところからきていると思います。

もちろん、夫婦が一つにならない限りは、
天国に行ったとしても、天国生活であるとはいえないでしょう。
(次回以降で説明されています)

いつでも一つでいることが喜びである、
という信仰生活を送っていきたいと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 10:53 | Comment(1) | TrackBack(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする