2022年10月06日

神は助けてくれなかった・・・だから神などいない?! 旧統一教会の教理のぞき見 《入山部長・統一原理4》




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入山部長の統一原理より、
今回は、「神が信じられない理由(後)」です。

第1講座 神の実在
神が信じられない理由(後)

第三に、神の沈黙に対する疑念です。

これは、「神は、人(私)が苦しんでいるとき、
助けを求めたのに助けてくれなかった。
だから神なんか信じない」
という人生経験から来る不信感です。

自分の求めに沈黙する神に対して
絶望したことが原因になっています。

皆さんの周りで、断定的に
神の存在を否定する人がいるとしたら、
もしかしたらこうした過去の経験が
原因になっているかもしれません。

その人も、もともとは
神を信じていた人だったかもしれないのです。


ここで例に挙げてみたいのは、皮肉なことですが、
進化論の生みの親といわれる
チャールズ・ダーウィン(1809〜1882)です。

あまり知られていないことですが、ダーウィンには
10人の子供がいて、子煩悩な良い父親でした。
ところが、その子供の中でも特に可愛がっていた
長女のアニーが、10歳のときに熱病にかかってしまうのです。

その頃のダーウィンは教会にも通っている
クリスチャンで、神を信じていました。

ですから、娘のために熱心に祈り、
あらゆる治療を施しました。

しかし、努力の甲斐(かい)なく、1年もの
闘病生活の末に亡くなってしまったのです。
ダーウィンはひどく落胆しました。


ダーウィンの玄孫(やしゃご)であるランドル・ケインズ氏が書いた
『ダーウィンと家族の絆』(白日社)という本があります。

サブタイトルには、
「長女アニーとその早すぎる死が進化論を生んだ」
と付けられています。

原題は『ANNIE'S BOX』です。
それは、アニーが大切にしていた、「お道具箱」のことです。
それをダーウィンは生涯大切に持っていたというのです。
どれほどアニーを愛していたか、そして
その死がどれほど耐えられないものであったかが伝わってきます。

この本には次のようなことが書かれていました。

 
ダーウィンは自然の中に神を発見する自然神学者であり、
神を信じる信仰者だった。

しかし、(愛娘の死に)絶望したダーウィンは信仰に疑問を持つ。
「神はなぜこのような悲しみを与えるのか?
これが神の思(おぼ)し召しとは思えない。
そんな無慈悲な神など信じたくない」。

ダーウィンはその日から教会に行かなくなった。
そして猛然と研究に没頭する。
そのテーマは、「自然闘争」──
この世は無慈悲な世界であることを証明しようとした。

ガラパゴス諸島でヒントを得たダーウィンは、
8年後に『種の起源』を世に発表する。

ダーウィン臨終の言葉は、「神様!」だった。


あまりにも簡単なあらすじですが、ダーウィンが通過した
悲しみ、苦しみが伝わってきませんか?

彼もまた、「神の沈黙」から来る絶望により、
神を見失ったのです。

このように、その人の思想の背景には、
その人の人生経験があるのです。

入山 聖基・著
(光言社・『幸福な人生には原則があった』より)

幸福な人生には原則があった 4
第1講座 神の実在
神が信じられない理由(後半)
(blessed lifeより)


ダーウィンも以前は、神様を信じていたんですね。

実は、共産主義思想の出発ともいえる
マルクス主義を打ち立てたカール・マルクスも、
ユダヤ教徒からキリスト教に改宗しなければならず、
社会から孤立せざるを得ない状況になり、
恨みをもってしまうことになりました。

ダーウィンもマルクスも、
結局、神様を否定しただけでなく、
恨みの境地に至ってしまいました。

進化論も共産主義思想も、
神様を否定するところから出発しています。

神様が人間の苦労や不幸に対して、
どうして手を差し伸べることができず、
沈黙したのでしょうか。

ダーウィンが我が子を病気から救うことができなかったように、
親は子のために何でもしてあげたいと思いますが、
時に無力です。

親なる神様も、どうすることもできなかった
事情があるのではないでしょうか。

根源を否定する、というところから、
本当の真理を見いだすことができないと思います。

神様は目に見えないけれど、明らかに存在している、
そのことをこれから紹介していきます。




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