お父様を一言でいうと、どんな方か?──
史吉子(サ キルジャ)先生の「原理に関するみ言の証」
今回は、「誰よりも神様を愛されるお父様」(1)です。
☆
私たちが霊界に行くと、神様は必ず三つのことを尋ねるそうです。
誰にでも、必ず尋ねるそうです。
一番目は、おまえは地上にいる間に、
神様をどれくらい愛してきたか?
二番目は、おまえは人間をどれくらい愛してきたか?
三番目は、おまえは万物をどれくらい愛してきたか?
この三つは必ず尋ねるそうです。
それで、お父様は「あなたたちが地上にいる時、
神様を愛し、人を愛し、万物を愛さなければならない」
といつも話されます。
☆
私はお父様が神様をどのように愛されるのか、
おそばで見てきました。
そのことを全て知っているわけではありませんが、
近くで侍りながら拝見したいくつかのお話をしたいと思います。
時々、お父様は
「私は神様に狂った。原理に狂った。
私は神様が願われること、
原理が願うこと以外には
絶対にすることはない」
と言われます。
狂った状態とは何ですか?
それは自己意識がないという意味です。
お父様は、「神様のみ意がどこにあるか?
神様は何を願われるか?」と、
ただそれだけを日久月深(月日の流れとともに待ち、
願う心がより切実になること)に考えていらっしゃる方です。
☆
お父様がじっと座っておられる時は、何でもない方のようです。
何も持っているものがなく、
何もご存知でないような無念状態にいらっしゃるようでした。
ある時は小さな声で鼻歌を歌ったりもしながら、
何かを待っている人のような時もあります。
ご自身が全くない状態で、
ゆらゆら揺れるアンテナのように、
神様のみ意をいつでも掴もうとしながら、
常に心を空けておかれるのを時々拝見します。
そうしていても、一度何かを始められると、
雷のように急がれます。
☆
それで、アメリカの食口たちが私に尋ねるのです。
「お父様を一言でいうと、どんな方だと言えますか?」
これは、本当に返事をするのが難しい質問です。
しかし、私は返事をしました。
’He has nothing,and everything.'
すなわち、「この方は何も持っておられない方であり、
同時にすべてを持っておられる方です」
と、このようにしか私には返事ができません。
☆
文先生が提唱された教育理念「愛天愛人愛国」
これは、神様からの三つの問いから来ているんですね。
神様を愛し、人を愛し、万物を愛すること。。。
肝に銘じていきたいと思います。
また、全てを持っておられるお父様を、
『真のお父様』とお呼びし、
侍ることができることを、心から感謝いたします。
不定期に続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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