Blessed Life 「真のお母様、感謝します」から、
安豪烈(アン・ホヨル)対外本部長の、
『記者懇談会で独り娘宣言』を紹介します。
☆
2015年5月10日、真のお母様をお迎えして、
欧州統一運動50周年祝賀会が
オーストリアの首都ウィーンで開催されました。
翌11日、韓国の主要メディアから7人が参加し、
お母様を中心に記者懇談会が行われました。
私は対外協力本部長としてその場にいながら、
正直、緊張していました。
記者たちからどんな質問が出てくるか予想がつかず、
お母様の権威を汚すことがあってはいけないと思ったからです。
☆
懇談会はしばらく、健康の話や
家庭連合の業績などの紹介が行われ、和やかに進みました。
やがて記者の一人がお母様に、
「総裁、194カ国で宣教活動をしておられるそうですが、
具体的に戦略があるなら、お聞きしたいです」
と質問しました。
そうしたら、お母様は「そうね」と言われた後、
「皆さんは、私が誰なのか、知らないでしょう?」
と切り出されました。
その瞬間、会場内が静かになりました。
皆が黙っていると、お母様はこう続けられたのです。
「私は、独り娘ですよ。
私が万人の真の父母です。
あなたたちも私を通じなければ、
霊界の良い所に行くことができません。
独り娘が誰であり、真の父母がどんな人なのか、
それを知るためには、
原理を勉強しなければなりませんよ」
☆
私は気絶する寸前でした。
記者たちが強く出ると思っていたのですが、
お母様のほうがもっと強く出られたのです。
後に、参加していた一人の記者が
お母様のみ言をそのまま記事に書きました。
見出しは「神様の使命を受けた真の父母、
独り娘として、人類救援のために真の家庭運動を広める」
で、内容は
「インタビューに臨む韓(ハン)総裁の印象は、
カリスマ性あふれる宗教指導者というより、
慈愛に満ちた母のようだった」
というものでした。
私はこの記事を読んで、正直、
「この人の記者生命は終わった」と思いました。
韓国のキリスト教会が放っておくはずがないからです。
1週間くらいして、その記者に
「批判はなかったのですか?」
と聞いたところ、彼はこのように答えました。
「もう言葉にならないくらい、多くの人たちが反対してきました。
それで私は反対する人に対して、
『私がヨーロッパまで取材に行って韓総裁に
直接会ったとき、韓総裁が、私が独り娘であり、
救世主であり、私たちが真の父母だと言ったから、
そのとおりに書いただけです。
あなたの教会に、もし救世主、メシヤ、
再臨主がいるのだったら、
私がインタビューして記事を書きますから、
紹介してください。
あなたたちの教会には、牧師、長老、勸士(クォンサ)、
執事しかいないではないですか』と言ったのです。
そうしたら、二度と何も言ってこなくなりました」
☆
【お父様がお母様について語られたみ言】
見掛けはおとなしく見えますが、度胸があるのです。
……お母様の顔は優しそうに見えますが、
手を見れば違います。
分厚く、腹が据わっています。
(『真の御父母様の生涯路程』I 54ページ)
『真のお母様、感謝します』3
記者懇談会で独り娘宣言
記者懇談会で「私が独り娘、真の父母です」と宣言
安豪烈(アン・ホヨル、1982年既成祝福)
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=16254
記者懇談会で独り娘宣言
記者懇談会で「私が独り娘、真の父母です」と宣言
安豪烈(アン・ホヨル、1982年既成祝福)
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=16254
☆
「私は、独り娘(独生女)ですよ」
そのように語られるお母様。。
その時の心情は、母の心情だったと思います。
実際に記者が、
「慈愛に満ちた母のような印象だった」
そのように書いています。
今、韓鶴子総裁を「独り娘」として、
アメリカの牧師たちが証ししています。
英語には、
「Only Begotten」神の独り子
すなわちイエス様を表す言葉はありますが、
「Begotten Daughter」独り娘、
という言葉はありません。
ある意味、新語ですね。
このお方がどのような方なのか、
噂だけで知ることなく、
自叙伝や文献を通して、
また、語られるみ言を通して、
本当の姿を知っていただきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)