柴沼邦彦先生の誌上説教より
「真のお父様を証した囚人」を紹介します。
☆
真のお父様の「ために生きる」生活
真のお父様(文鮮明先生)は、1984年、無実の罪で
ダンベリー連邦刑務所に収監されました。
お父様は200人ほどいた囚人たち一人一人の
名前を覚え、彼らの考え方や生活に気を配られました。
例えば、「あの囚人には誰も面会に来る人がいない。
彼のためにできることはないだろうか」といった具合です。
お父様にとって、
「この刑務所にいる全ての囚人は、
神様から任せられた自分の子供」でした。
本人も気づいていない
囚人たちの本心を見抜いて愛していかれたのです。
☆
囚人たちは当初、真のお父様を
「ヘイ、ムーン」と呼んでいたのですが、
4か月もたたずに「ファーザー・ムーン」
と呼ぶようになりました。
お父様の真の愛と「ために生きる」生活に触れ、
囚人たちの心が転換されていったのです。
☆
ダンベリーにイグナチオという囚人がいました。
あるとき、彼が、真のお父様が
み言を訓読していらっしゃるところへ来て、
「私の聖書はこれだ」と言って『ハスラーマガジン』
というポルノ雑誌を投げつけていきました。
しかしお父様は、何事もなかったように
訓読をお続けになりました。
のちに、その雑誌に
「レバレンド・ムーンは、米国の若者たちを洗脳し、
彼らを自分のために働かせている」
という批判記事が載りました。
イグナチオはその記事を読んで非常に憤慨しました。
そして雑誌の編集長に抗議の手紙を書いたというのです。
☆
ハスラーマガジンへの抗議の手紙
1984年12月12日 ザスティン・イグナチオ
私は『ハスラーマガジン』の愛読者であるとともに、
ダンベリー・プリズンキャンプの囚人である。
私の友なる囚人のレバレンド・ムーンについての
あなたの記事はあまりにもひどく、
かえって私を笑わせたほどである。
私にとって、また多くの友なる囚人たちにとっても、
その記事がレバレンド・ムーンを
悪く書くつもりであったとしたら、
1マイルも的を外れているからである。
ミスター・ターナー(記事を書いた人)のちっぽけな主張と、
ジム・フォーレスによる、明らかに薄っぺらで
ヒステリックな報告以外の何ものでもない。
レバレンド・ムーンは、われわれ米国人が
われわれの子孫たちに伝えたいと希望する、
全ての事柄のために戦いを挑んでいる。
それは、婚前交渉やドラッグに反対し、
反共であり、妻への愛、家庭への献身である。
……
最後に、これは言わせてくれ。
私はレバレンド・ムーンと並んでキッチンで働いている。
そして私は、彼が彼に要求された全ての義務、
すなわちトイレを洗うことや、
床の雑巾掛けを含む全ての仕事を、
笑顔で、一言の不平も言わずに遂行するのを見てきたのだ。
ここにいる他の囚人たちについて、
これと同じことが言えたとしたら、
どんなにいいかと思うのだが。
彼は決して偉ぶることをしないで、
われわれの仲間の一人として生活している。
私の面会日と、レバレンド・ムーンの面会日が同じなので、
私は、彼が彼の家族に会うのを見て、
レバレンド・ムーンが献身的な夫であり、
愛し愛される父親であることを知った。
もし米国にレバレンド・ムーンのような人が
もっといたならば、恐らくこの国は
今のような悲しい姿になっていなかったであろうと思うのである。
真のお父様の「ために生きる」生活を目の当たりにし、
感動することで、彼の心は変化を遂げていったのです。
☆
真の愛の人間に生まれ変わろう
人類のメシヤなる真のお父様、真のお母様は、
人々に対するとき、その人の背後にある神様の心、
神様の願い、神様の思いを感じられ、
さらには、人間の奥底にある
本心を感じて生活していらっしゃいます。
堕落した血統の中に生まれ、また堕落した
環境の中で生きなければならない私たちの心は、
真の父母様のような心になることは
簡単ではありませんが、神様を中心として
物事を見詰めようと意識して、
自分の生活を変えていかなければなりません。
神様と真の父母様とのかかわりの中で、
私たちが真の愛の人間に生み変えられ、
重生していくのです。
私たちが真の愛をもって人間の本心を見詰め、
生活することの大切さを教えてくれています。
誌上説教「本心を見られるメシヤ」
柴沼邦彦(777双)
『祝福家庭』79号(2015年 冬季号)
(blessed lifeより)
柴沼邦彦(777双)
『祝福家庭』79号(2015年 冬季号)
(blessed lifeより)
☆
文先生は、言葉ではなく、身をもって、
真の愛とは何か、そのことを教えてくださいました。
ポルノ雑誌の愛読者であることを公言している囚人に対しても、
屈服させる姿は、本当の本物である、と思わされます。
私たちが文先生のように、
真の愛の姿を実体で示していれば、
もっと家庭連合に対する認識が変わったかもしれません。
かつての歩みを反省しつつ、
本当に変わっていく時を迎えていると感じます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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