2022年10月25日

自分につばを吐きかける人の幸せを祈っていくと・・・ 《自己牧会プログラム》




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天正宮の花☆


自己牧会プログラムの体験談。
今回は、『つばを吐きかける人の幸せを祈る』です。

(祝福二世男性 20代)

私は看護師です。
職場に対応の難しい年配の患者さん(男性)がいます。

その人は、「私は死んでいる」「もう死ぬ」
などと、口癖のように言います。

そして、自分の思いどおりにいかないと、
すぐ相手を罵倒するので、
スタッフの皆が手を焼いていました。

私も名指しで罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられ
つばを吐きかけられたこともありました。


当然、激しく葛藤します。
しかし、反発したい思いを脇に置いて、
この人と良い関係を持つことを大事にしていこうと、
心に決めました。

意識を「今ここ」に置き、この人の人生が
幸福に満ちあふれるようにと「祝福の祈り」を
折々にささげるようにしました。

また、この人の人生を知りたいと思い、
折に触れて尋ねました。

「そういうことがあったんですね」
「そんなこともあったんですか」と、
相づちを打ちながら聞きました。

その男性が薬剤師として頑張ってこられた内容には、
同じ医療従事者として、感謝の思いを伝えたりもしました。


そういうことを繰り返しても、
変わらず怒られることも多かったのですが、
ある時、体を拭いた後に
感謝の言葉を言ってくれたのです。

初めてのことだったので、驚きました。


その後、小さな変化が起き始めました。
他のスタッフがこの患者さんと関わった後で、
「あなたのことを褒めていたよ」と教えてくれました。

私が出勤すると、「来たか」と言いながら、
名前を呼んでくれるようになりました。

私が休みの日は、「彼はどこだ」と
周囲に私のことを聞いているそうです。

他のスタッフたちは、
「どうしてこういうふうになったの?」と不思議がっています。


ある時、このかたが、
「今まで頑張って生きてきたけれど、
死んでしまう。それが悔しい」
と吐露しているのを聞きました。

それを通して、このかたがいつも「死ぬ」と
口癖のように言っていた理由が分かりました。

このかたにとって「死」というのは全ての終わりであり、
悲しみでしかなかったのです。

医療で肉体の治療はできても、
心が元気になるとは限りません。

心が元気でないと、また体に異変が起きて、
病院に戻ってきてしまいます。

心の世界、霊的な世界をきちんと伝えて、
希望を持ってもらうこと、
それがみ言を知った私の務めだと感じています。

私の心の中にいる神様 143
つばを吐きかける人の幸せを祈る
(blessed lifeより)


いろいろ考えさせらました。
この患者さんは、彼の愛に屈服して
慕ってくれるまでになったのでしょう。

私が正しいからといって
相手を間違っている、と責め
自分の正当性を主張したとしても
その人は受け入れるでしょうか。

その人の心が動かないと
たとえ間違っていたと気づいたとしても、
その人は受け入れることができないと思います。

自分に対して、批判的な人だったり、
恨みや心配事でいっぱいの人も、
何を言っても聞く耳をもってくれないでしょう。

あくまでも個人的な意見であり、
ちょっと抽象的な表現かもしれませんが、
今、私たちが置かれている立場が、
このような立場なのかな、と思わされます。

証しにもあるように、「祝福の祈り」を捧げる、
そして私たちの思いが、
すべての神様の子女を、神様の代わりに愛そう、
そんな愛に満ちたものになっていくことが
大切だと思うのです。






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posted by ten1ko2 at 10:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする