2022年11月30日

人間のために宇宙は創られた?! 旧統一教会の教理のぞき見 《入山部長・統一原理9》




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入山部長の統一原理。
今回は、「宇宙の目的は人間にあった」です。


佐治晴夫博士(1935〜)という方がいます。
NASAの研究員まで務めた理学博士で、
VHSビデオの3倍モードの開発者としても有名です。

その佐治先生が、
『からだは星からできている』(春秋社)
という面白いタイトルの本を書いています。

その中の一節を紹介します。


「私たちの体を構成しているすべての物質は、
 星が輝く過程でつくられ、その星が
 超新星爆発というかたちで終焉を迎え、
 宇宙空間に飛び散った、その『かけら』です。

 つまり私たちは、『星のかけら』なのですが、
 その『かけら』からつくられた『かたち』にも、
 宇宙の性質が投影されているということなのです」(131ページ)

「あなた自身という存在も、137億年前
(最近、138億年前に修正された)に、
 一粒の光から生まれ、何度も枝分かれしながら
 進化を繰り返し、今ここにいるのだという事実を
 教えてくれるのは、現代科学によって語られる宇宙論です。

 もし、“神”というものが存在するのならば、
 こうした不可思議としか言いようのない
 生命のからくりの中にこそ、
 存在するのかも知れません」(149ページ)

 
星が爆発するということを聞いたことがあると思います。

星が自らの重力に耐えられずに爆発するのですが、
これを超新星爆発といいます。

宇宙ではこれが繰り返し起きており、
その度に新しい元素ができていったというのです。

そして、その元素は、人間の体を構成するのに
何一つ無駄なものがないというのです。

それで人間は宇宙が投影されている小宇宙であり、
星からできている「星の子」だというわけです。

 
ところで、『原理講論』は1966年に発刊されましたが、
その中にこのような記述があります。


「今日の科学は、物質の最低単位を素粒子とみなしているが、
 素粒子はエネルギーからなっている。

 ここにおいて、物質世界を構成している各段階の
 個性真理体の存在目的を、次元的に観察してみると、
 エネルギーは素粒子の形成のために、
 素粒子は原子の構成のために、
 原子は分子の構成のために、
 分子は物質の形成のために、
 すべての物質は宇宙森羅万象(しんらばんしょう)の個体を
 構成するために、各々存在していることを
 知ることができる。

 それゆえに、エネルギーの運動の目的は素粒子に、
 素粒子の目的は原子に、原子の目的は分子に、
 分子の目的は物質に、すべての物質の目的は
 宇宙形成にあるのである。

 それでは、宇宙は何のためにあるのであり、
 その中心は何であるのだろうか。
 それは、まさしく人間である」
(『原理講論』59ページ)


宇宙の目的は人間にあった──。
今から半世紀以上も前に発刊された『原理講論』に、
すでに最新の宇宙論が書かれているのです。

まさに「統一原理」が天啓によって
明らかにされた真理であることがわかります。

入山 聖基・著
(光言社・『幸福な人生には原則があった』より)

幸福な人生には原則があった 4
第1講座 神の実在
「宇宙の目的は人間にあった」
(blessed lifeより)


「人間原理」という言葉があります。
「宇宙は、人間が存在するために造られた」
という理論です。

「造られた」という表現は、
宗教を否定している科学者からは、
容認されない言葉でしょうけれど。。。

しかし、「人間原理」は、現在、
宇宙を研究している人たちの
最も最先端の学問であるといいます。

原理講論は、1966年に発刊されましたが、
真理自体は、文鮮明先生によって
終戦前の日本留学時代、1940年代初めには
解明されたと言われています。

最先端の科学の内容を、文先生は、
今から80年くらい前には、すでに
ご存じであったということになります。

いずれは霊界や神様に対しても
科学で証明されるかもしれません。

そういうことを考えると、
文先生は、偉大なる科学者である、
ともいえるかと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 07:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 統一原理・統一思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月29日

揺れてもいい! 折れそうで折れない、柳のような強さをもつためには 《阿部先生》




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阿部先生の「家族の絆づくり」
今回は、『「しなやかな強さ」を持った最強の人』です。

ただ忍耐しているのには限界があります。
「柳のようなしなやかさ」をもち続けるために、
「『メリットは何か?』という魔法の質問」を
紹介してくださっています。どうぞ。


柳のようなしなやかさ

一般的には、強い風が吹いてもびくともしない大木が
最強の木と考えがちです。

しかし、どんな大木でも
強烈な台風が吹き荒れれば、
真っ二つに折れることもあります。

実は本当に最強な木とは、
柳のように右に左にいくら揺れても
しなやかに揺れ続ける木かもしれません。


人生も同じように、どんな状況でも揺れない
非の打ち所がない人が最強なのではありません。

波瀾(はらん)万丈の人生の中で激しく揺れても、
平常心を持って受け入れる
しなやかな強さを持った人こそ最強の人と言えるでしょう。

しなやかな人は、恵まれたときだけでなく、
恵まれないときでも変わらず
その状況に身を任せる柔軟さがあります。

「恵まれるもよし」「恵まれぬもよし」
と受け止める絶対肯定の姿勢です。

どんな状況であっても、
それを人生の肥やしにして成長する姿勢が
大切だということです。


「メリットは何か?」という魔法の質問

それでは、全てのことに対して
「よし!」と受け止めるためには、
どうしたら良いでしょうか。

それは、全ての出来事に対して、
「メリットは何か?」と問うことです。

望んだこと、願っていることが実現したときに
メリットを考えるのは簡単です。

しかし、困ったこと、嫌なこと、
苦しいことに対してもメリットを探してみるのです。


「病気になったメリットは何か?」
「受験に失敗したことのメリットは何か?」
「事故に遭ったメリットは何か?」というように、
メリットに焦点を絞って考えてみるのです。

そうすると、何もメリットなんてない
と思っていたとしても、
捉え方を変えると良いことが見えてくるものです。

「病気になって健康の大切さを実感した」
「失敗を通して挫折する人の気持ちを味わうことができた」
「苦労と困難を通して精神的に成長することができた」
など、メリットに気付くことでしょう。

どんな状況でも「私に必要だ!」と受け止める
「しなやかな強さ」を持って生きたいものです。

ナビゲーター:阿部 美樹
「しなやかな強さ」を持った最強の人
(blessed lifeより)


「あの時、こうすれば良かった」
重大な過ちをした時ほど、
悔やんでばかりで、何も手につかず
悔やんでいても仕方がないのに、
風に倒されたまま、元にかえれないことがあります。

柳のようなしなやかさで、
揺れながらも倒れないためには、
前向きになるしかありません。

阿部先生は、
そういうときほど、「メリットは何か?」
と問いなさい、と教えてくださいました。

自己牧会プログラムでも、
良心に問いかけることを通して
意外なほどに前向きな答えを発見することができます。

頭も心情も柔軟にすると、
苦しい状況でも、感謝に変えられそうです。

柳の木のように、どんな風にも
しなやかに揺れながらも、しっかり根を張って
けっして倒れない木を
目指していきたいと思うのです。




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2022年11月28日

夫の大きな声が嫌だった私、180度変わったのは・・・ 《自己牧会プログラム》




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自己牧会プログラムの体験談より、
「声が大きいのは悪くない」です。


(女性 50代)
私の夫はいつも声が大きく、
まるで怒鳴っているようです。
それを聞いていると、心が傷つくように感じ、
嫌な気持ちになります。

義母(夫の母)と同居しています。
義母は介護が必要な状態で、
夜は何が起きるか分からないので、
いつも気にしていなければなりません。

私は寝たかどうかも分からないような夜を
過ごしているのに、夫は手伝ってくれない、
私の苦労を何も気にしていない、
そんな様子にイライラします。

そして、そんな中で大声を出されると、
なおさら嫌な気持ちになるのです。


自己牧会プログラムの先輩にこの件について相談したところ、
「『声が大きくても良い』
『声が大きいのは悪くない』」と
心に繰り返してみたら?」という答えでした。

以来、夫の声が大きくて耳に障る時には、
そのように唱えるようにしました。


それを繰り返していると、
声が大きいことの良い点も見え始めました。

言葉がハッキリするから気持ちが伝わりやすい、
声が大きい人は意志が強いことの現れではないか、などです。

確かに夫は、決めたことは必ずやるし、
仕事で苦しいことがあってもあまり表には出さず、
最後までやり抜く人だったと改めて気付きました。

声が大きいのは悪いことではない、
ということが腑(ふ)に落ちてきました。


すると、ずっと悪者に見えていた
夫の優しい面が目に入り始めました。

夫は植物を育てるのが趣味なのですが、
きちんと一つ一つの植物に目を配っています。
そんな夫の姿を見て、近所のかたは
「ご主人は優しいんだね」と言ってきます。

「そうか、夫は優しいんだ。
花にも怒鳴っていることがあるけれど、
愛するが故に、情があふれるが故に
声が大きくなるだけなんだ」と分かってきました。

今では夫と一緒に花を見ては、
「きれいだね」と共に喜べるようになりました。

私の心の中にいる神様 147
声が大きいのは悪くない


声が大きいのは、悪くない、
確かにそうです。。。

手前味噌の証しですが、
今は亡き、父は声が大きい人でした。

母は、お見合いの時、
「この人は声が大きいから、正直な人だ」
それで結婚する決意をしたそうです。
確かに大きい声でうそをつく人はいないですよね。。。

やはり、良い点、悪い点、人それそれです。
ただ、同じ現象に対しても、
良心の声に耳を傾ければ、良い点がたくさん見えてくる、
そのことを改めて感じるのです。

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posted by ten1ko2 at 09:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする