入山部長の統一原理。
今回は、「宇宙の目的は人間にあった」です。
☆
佐治晴夫博士(1935〜)という方がいます。
NASAの研究員まで務めた理学博士で、
VHSビデオの3倍モードの開発者としても有名です。
その佐治先生が、
『からだは星からできている』(春秋社)
という面白いタイトルの本を書いています。
その中の一節を紹介します。
☆
「私たちの体を構成しているすべての物質は、
星が輝く過程でつくられ、その星が
超新星爆発というかたちで終焉を迎え、
宇宙空間に飛び散った、その『かけら』です。
つまり私たちは、『星のかけら』なのですが、
その『かけら』からつくられた『かたち』にも、
宇宙の性質が投影されているということなのです」(131ページ)
「あなた自身という存在も、137億年前
(最近、138億年前に修正された)に、
一粒の光から生まれ、何度も枝分かれしながら
進化を繰り返し、今ここにいるのだという事実を
教えてくれるのは、現代科学によって語られる宇宙論です。
もし、“神”というものが存在するのならば、
こうした不可思議としか言いようのない
生命のからくりの中にこそ、
存在するのかも知れません」(149ページ)
☆
星が爆発するということを聞いたことがあると思います。
星が自らの重力に耐えられずに爆発するのですが、
これを超新星爆発といいます。
宇宙ではこれが繰り返し起きており、
その度に新しい元素ができていったというのです。
そして、その元素は、人間の体を構成するのに
何一つ無駄なものがないというのです。
それで人間は宇宙が投影されている小宇宙であり、
星からできている「星の子」だというわけです。
☆
ところで、『原理講論』は1966年に発刊されましたが、
その中にこのような記述があります。
「今日の科学は、物質の最低単位を素粒子とみなしているが、
素粒子はエネルギーからなっている。
ここにおいて、物質世界を構成している各段階の
個性真理体の存在目的を、次元的に観察してみると、
エネルギーは素粒子の形成のために、
素粒子は原子の構成のために、
原子は分子の構成のために、
分子は物質の形成のために、
すべての物質は宇宙森羅万象(しんらばんしょう)の個体を
構成するために、各々存在していることを
知ることができる。
それゆえに、エネルギーの運動の目的は素粒子に、
素粒子の目的は原子に、原子の目的は分子に、
分子の目的は物質に、すべての物質の目的は
宇宙形成にあるのである。
それでは、宇宙は何のためにあるのであり、
その中心は何であるのだろうか。
それは、まさしく人間である」(『原理講論』59ページ)
☆
宇宙の目的は人間にあった──。
今から半世紀以上も前に発刊された『原理講論』に、
すでに最新の宇宙論が書かれているのです。
まさに「統一原理」が天啓によって
明らかにされた真理であることがわかります。
入山 聖基・著
(光言社・『幸福な人生には原則があった』より)
幸福な人生には原則があった 4
第1講座 神の実在
「宇宙の目的は人間にあった」
(blessed lifeより)
(光言社・『幸福な人生には原則があった』より)
幸福な人生には原則があった 4
第1講座 神の実在
「宇宙の目的は人間にあった」
(blessed lifeより)
☆
「人間原理」という言葉があります。
「宇宙は、人間が存在するために造られた」
という理論です。
「造られた」という表現は、
宗教を否定している科学者からは、
容認されない言葉でしょうけれど。。。
しかし、「人間原理」は、現在、
宇宙を研究している人たちの
最も最先端の学問であるといいます。
原理講論は、1966年に発刊されましたが、
真理自体は、文鮮明先生によって
終戦前の日本留学時代、1940年代初めには
解明されたと言われています。
最先端の科学の内容を、文先生は、
今から80年くらい前には、すでに
ご存じであったということになります。
いずれは霊界や神様に対しても
科学で証明されるかもしれません。
そういうことを考えると、
文先生は、偉大なる科学者である、
ともいえるかと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)