2022年11月01日

「私たちの生命は、神様のもの」 神との父子関係が一番大切 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》




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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言、
「結実時代」から、『神と私の関係を生命視』を紹介します。


どんな仕事でも、人間は心情的にできるようになっています。

私に合うとか、合わないとかということはないのです。
自発的にやれば絶対にない。
なぜかというと、女性であれば、
みなお母さんにならなくてはならないのです。

お父さんとお母さんの使命は何かというと、
牧会者の使命なのです。
それは創造主の使命です。

ですから、何の仕事をやっても、
創造的に、自発的に、情にあふれて
暮らすようになっています。

もちろん、素質ということはありますが、
やればその面において、相当悟るべき、
あるいは心情を刺激すべきものがあるのです。


先生は、労働しながら、「自分はこの世に、
牢屋に入って一等を取るために来た」と思い、
毎月、一等を取られた。

何千人もいるので、それは本当に力を入れて、
熱心にやらないと難しいのです。

ヨセフも、十七歳から三十歳までの十三年間、
異邦の国で仕事をしながら、とても褒められました。


何を任せられても、自分の仕事のごとく、
自分がそのために生まれてきたように、
使命のごとくなす人は、本心で暮らす人です。

観念で暮らす人は、何を任せても、
自分の素質に合わないと言うのです。

ですから、統一教会に来た人は、
何をやらせても自分の素質に
ピッタリ合わなくてはならないのです。


それから、敏感になって、言わなくても
相手をピンと知るような人間にならねばなりません。
勘が鋭くないといけない。

鈍い人はなぜ鈍いのかというと、
方向性や目的、価値観がはっきりしないため、
使命感が鈍いのです。

み旨に徹した人は敏感で、
人を透視する目をもっています。
愛の強さ、愛着心とか、
そのアンテナで人を知るようになっているのです。

そんなに敏感に分からなければ、対話の中で
知る方法を知っていればよいのです。

親子関係の因縁と、入教してのみ言の体験と、
アベル・カインの関係、これを知れば、
その人の癖や本性を知ることができます。

親に心配をかけたりする人か、
み言を聞いて動機をもって、
それをどれほどもち続けている人なのか。

何が原動力となって、今いる人なのか。
それを見れば、その人を知ることができます。


価値基準をもつと、必ず、価値観を失う可能性、
崩れる可能性のある場面を通過するのです。
崩した人は、中心性が弱い人で、
環境に支配される人です。

相当苦痛の中を通過しながらも崩さなかった人、
信仰によって義を求めた人、
苦痛を通じて義をもち続けた人、
神と関係を結んでその関係を一度も崩したことがなく、
自分に関することで重んじなかったことのない人を、
義人というのです。

イエス様の十字架の精神がそれです。
死にながらも、神と自分との関係は、
他人に不信されながらも、それをもって
失わないことを示したのが十字架だったのです。

私たちは何を一番生命視すべきなのかといえば、
「私たちの生命とは、神のものである」ということです。
これ以上に価値あるものは地上にありません。

このこと、この因縁の価値、
それ以上に価値あるものはありません。

天宙をあげるといわれても、
その関係と交換できないのです。
今、こういう結実時代において、
自分は神のものなのです。

そして、本当に愛の心を高く、真剣に
アンテナをもてば、解決できないものはないのです。

16.結実時代
「神と私の関係を生命視」

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰

(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


文先生は、どんな環境、どんな困難の道でも、
神様の前に絶対的信仰をもって、歩み、勝利されました。
それがご自身の願わない道であっても、
神様が与えてくださったものとして、乗り越えていかれました。

私たちは、自分の願わない環境を与えられた時、
感謝して歩むことができるでしょうか。
神様が与えてくださったものとして、受け止めることができるでしょうか。

文先生のように、すべて神様の与えられたものとして、
真摯に受け止めることができるように、
今与えられた環境を乗り越えていきたいと思うのです。


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posted by ten1ko2 at 09:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする