池生蓮(チ センニョン 지생련)先生の
お母様の証しの続き、
興進様のエピソード最終回です。
☆
事故が起きた後、まだ興進様と私の子供たちが
手術を受けていたニューヨークの聖フランシス病院で、
皆息を吹き返すようにと私は昼夜祈祷していました。
事故当時、韓国で「世界教授アカデミー」の
行事を主宰されていたご父母様が、
すぐにアメリカに帰ってこられた後、
病院に来られました。
到底お顔を拝見する勇気が出ませんでした。
お母様も何もお話しになりませんでした。
お父様は、お母様の心的な大変さを感じられて、
慰め続けられる姿を見ることができました。
☆
翌日、お母様が再び病院に来られたのですが、
ブラウス、スカート、栗色の上着一つを手にされていました。
私に服を着替えるように言われたのです。
私は興進様の事故の報を祈祷会をしている途中に聞いて、
すぐに病院に駆けつけたので、冬の夜の祈祷会に着ていた
少しくたびれた服を数日の間、そのまま着ていました。
初日に病院に来られて驚き慌てられただろうに、
お母様はいつ私が着ていた服装を見られたのか、
イーストガーデンに帰られてからその翌日、
私が着替える服を自ら準備してこられたのでした。
私はご父母様の家庭の貴い息子であられる興進様の命が
危ぶまれる状態にあったので、
どうにかして息を吹き返されないといけないと思って、
到底気を確かにもつことができませんでした。
不安で気を揉んだのは、お母様が千倍万倍だったはずなのに、
お母様はそのような渦中にあっても
けがした2人の息子のために心を痛めているのではと
私のことを配慮されたのでした。
☆
昏睡状態から到底意識が戻らない興進様に、
担当の医師は望みがないと判断を下しました。
ご父母様も決心をされました。
ご父母様は1983年12月31日、午前6時40分、
興進様が入院しておられた病院の2階の控え室で、
直系のご子女様たち、家庭代表、世界代表、
世界宗教代表たちを集められた後、
まだ息をしておられる興進様を中心として
皆が「一つになる式」を挙行なさいました。
ご父母様は、さらにこのような
崇高な興進様の昇華の基盤の上に、
1984年1月2日、愛でサタン世界に勝利した
「愛勝日」を宣布なさいました。
愛する息子を遠くに送る瞬間に、
天のみ旨のためにまた一つのみ旨の摂理を
気丈に押し進められるお父様とお母様の偉大な威容を、
私は限りなく罪深い気持ちで見守りました。
昇華式が終わった後、お母様は公式の席上で
それまで興進様のために精誠を込めた
祈祷の祭壇を築いてくれた食口たちに、
母として感謝するという礼節をお忘れになりませんでした。
最近でも時々、お母様は
私の2人の息子の現況に関心をもたれて
尋ねたりされますが、私は
本当に申し訳ない気持ちのために頭を下げるばかりでした。
☆
お父様とお母様が素晴らしいのは、
一番困難な時、普通の者では
乗り越えられないような試練を
神様の前に、人類の前に、
お手本の如く、乗り越えていかれることです。
サタンが試練したとしても、
最悪を最善に変える道を歩まれる真の父母様。。。
貴い愛勝日を制定されたのも、
限界に限界を重ね、乗り越えてこられた
真の父母様の苦難の道があったことを感じます。
真の父母様に心から心から感謝いたします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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