2022年11月11日

事故から愛勝日まで、母と子の数日間?! 感動エピソード 《お母様と興進様B:池生蓮先生》




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池生蓮(チ センニョン 지생련)先生の
お母様の証しの続き、
興進様のエピソード最終回です。


事故が起きた後、まだ興進様と私の子供たちが
手術を受けていたニューヨークの聖フランシス病院で、
皆息を吹き返すようにと私は昼夜祈祷していました。

事故当時、韓国で「世界教授アカデミー」の
行事を主宰されていたご父母様が、
すぐにアメリカに帰ってこられた後、
病院に来られました。

到底お顔を拝見する勇気が出ませんでした。
お母様も何もお話しになりませんでした。

お父様は、お母様の心的な大変さを感じられて、
慰め続けられる姿を見ることができました。


翌日、お母様が再び病院に来られたのですが、
ブラウス、スカート、栗色の上着一つを手にされていました。
私に服を着替えるように言われたのです。

私は興進様の事故の報を祈祷会をしている途中に聞いて、
すぐに病院に駆けつけたので、冬の夜の祈祷会に着ていた
少しくたびれた服を数日の間、そのまま着ていました。

初日に病院に来られて驚き慌てられただろうに、
お母様はいつ私が着ていた服装を見られたのか、
イーストガーデンに帰られてからその翌日、
私が着替える服を自ら準備してこられたのでした。

私はご父母様の家庭の貴い息子であられる興進様の命が
危ぶまれる状態にあったので、
どうにかして息を吹き返されないといけないと思って、
到底気を確かにもつことができませんでした。

不安で気を揉んだのは、お母様が千倍万倍だったはずなのに、
お母様はそのような渦中にあっても
けがした2人の息子のために心を痛めているのではと
私のことを配慮されたのでした。


昏睡状態から到底意識が戻らない興進様に、
担当の医師は望みがないと判断を下しました。
ご父母様も決心をされました。

ご父母様は1983年12月31日、午前6時40分、
興進様が入院しておられた病院の2階の控え室で、
直系のご子女様たち、家庭代表、世界代表、
世界宗教代表たちを集められた後、
まだ息をしておられる興進様を中心として
皆が「一つになる式」を挙行なさいました。

ご父母様は、さらにこのような
崇高な興進様の昇華の基盤の上に、
1984年1月2日、愛でサタン世界に勝利した
「愛勝日」を宣布なさいました。

愛する息子を遠くに送る瞬間に、
天のみ旨のためにまた一つのみ旨の摂理を
気丈に押し進められるお父様とお母様の偉大な威容を、
私は限りなく罪深い気持ちで見守りました。

昇華式が終わった後、お母様は公式の席上で
それまで興進様のために精誠を込めた
祈祷の祭壇を築いてくれた食口たちに、
母として感謝するという礼節をお忘れになりませんでした。

最近でも時々、お母様は
私の2人の息子の現況に関心をもたれて
尋ねたりされますが、私は
本当に申し訳ない気持ちのために頭を下げるばかりでした。



お父様とお母様が素晴らしいのは、
一番困難な時、普通の者では
乗り越えられないような試練を
神様の前に、人類の前に、
お手本の如く、乗り越えていかれることです。

サタンが試練したとしても、
最悪を最善に変える道を歩まれる真の父母様。。。
貴い愛勝日を制定されたのも、
限界に限界を重ね、乗り越えてこられた
真の父母様の苦難の道があったことを感じます。

真の父母様に心から心から感謝いたします。





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