自己牧会プログラムの体験談より、
「『任せます』宣言」です。
☆
(女性 40代)
二人の息子がいます。
難しい年齢を迎え、生意気な言動に対して、
冷静に対応できないことが多くありました。
しかし自己牧会プログラムに出合ってからは、
カッとなりそうな時、「真の愛を中心として、
父母の立場で正しく見させてください」
と唱える努力をするようになりました。
習慣になってくると、良心からの気付きが
単語で心に浮かぶので、その単語の意味を
考えながら対応するようにしています。
☆
高校生の長男が試験シーズンを迎え、
私のカリカリモードにスイッチが入りました。
勉強しない姿を見ると、つい大きな声で怒鳴りつけ、
それを無視されてまたイライラし…
という状態が続きました。
そういう中、長男について祈ると
「共有」という言葉が浮かびました。
それに従って長男と心を共有するよう努めていたら、
長男の良さが見え、尊敬心が湧くようになったのです。
そこで、「お母さんはもうガミガミ言わないからね」
と言って、「任せます」宣言をしました。
☆
たまに、このままでいいのかと
不安になることもありますが、
「真の愛を中心として、ふさわしい言動を
できるように」という祈りを積み重ねていたら、
「任せていいんだよ」という映像が
心に現れるようになったのです。
それからは、長男が勉強していても
していなくても、あまり引っかからなくなりました。
気付いてみると、長男はメモ帳に
30分刻みのスケジュールを立てるようになり、
夜もダラダラせず、11時には就寝するようになりました。
これまでさんざん「予定を立てろ!
計画を立てろ!」と言い続けてきましたが、
過去3年間一切やったことはなかったので、驚きました。
その立派な予定表について、「これ、いいね」
と長男に伝えたら、「ママ、時間どおりご飯作って!」
と、うれしい逆襲に遭いました。
☆
一方、中学生の次男は反抗期真っただ中です。
部屋は散らかり放題で、私が少し注意しただけでも、
「うるせえ、このババア」と言ってきます。
それに対して私も罵詈(ばり)雑言で反撃してしまい、
後から反省する毎日でした。
☆
自覚を取り戻して心に尋ねると、次男に対しては
「共感」「目を」「言葉」という
三つのキーワードが与えられまました。
共感し、目を見て話し、言葉遣いに
気を付けるということを意識しました。
意識するようになった後は、
お笑いやおふざけが好きな次男なので、
「○○ちゃま、いつ片付けるの?」
と緩めな対応になりました。
すると次男も「かあちゃま、それは…」など、
ほぐれた返事をするようになったのです。
「理科が分からない」と言う次男の勉強を
見てやっていたのですが、先日、
中間試験の答案を「28点だった」
と言いながら見せてきました。
一瞬、「えっ」と囚(とら)われかけましたが、
「よくそんな点数を自分で言ったね〜」
と落ち着いて応じることができました。
次男はいつになく穏やかな私の反応にびっくりしたのか、
「お母さん、疲れている中で勉強見てくれたのに、
ごめんね」と謝ってきました。
私も「あなたは、やればできるんだから」
と答えて、温かいやりとりになりました。
こういう小さな変化が、
最近ちょこちょこと起こっています。
親子共々、成長させていただいていることが感謝です。
私の心の中にいる神様 145
「任せます」宣言
(blessed lifeより)
「任せます」宣言
(blessed lifeより)
☆
子供に対して、『任せます』ということは、
本当に難しいですね。
厳しく主管することも本人に任せることは
基本的には『愛』が中心であるとは思います。
ただ、任せる、ということは
勇気のいることであり、
信じることである、と思います。
先日も、子供とあることで口論になりました。
お互いの事情はあったので、
冷静に対処すれば、なんでもないことでしたが、
感情的になり、お互い反省することになりました。
愛し、信じる歩みをしていきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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