柴沼先生の誌上説教
今回は、「見捨てられる者は誰もいない
〜迷った一匹の羊」です。
☆
イエス様は、パリサイ人や律法学者たちに対して、
羊飼いが飼っている100匹の羊のうち、
1匹の羊が行方知れずになったなら、
残りの99匹を置いてでも、
その1匹を捜しにいくだろうと問いかけ、
その羊が見つかったときの喜びと感動が
いかに大きいか伝えようとされました。
1匹の羊は、自ら、羊飼いの目が届かない所に
行ったのだろうと思われます。
そのように自己の位置を失った羊であったとしても、
羊飼いは愛情を注いでいるがゆえに、
必死になって捜し歩き、そして見つけたならば、
友人や隣人と共に喜びを分かち合うというのです。
☆
ここで、羊飼いは神様、1匹の羊は
一人の罪人のことを表しています。
もし、罪人が自らの行いを悔い改め、
本来の位置、つまり神様のもとに帰るならば、
神様がどれほど喜ばれるかということを、
イエス様はお伝えになりたかったのです。
☆
その時代において、人々は神様のことを、
天地を創造された、偉大で唯一なる方として捉え、
ユダヤ民族を選民として導かれた方だと
あがめていました。
そして、誤った道に行った人々、
すなわち、律法に反した人々や取税人、
あるいは病気を患った人々を罰し、
お見捨てになる方だと考えていたのです。
☆
ところがイエス様は、世の中から
見捨てられたような者たちさえも、
神様は愛し、決してお見捨てにならないと
訴えられました。
神様のことを、創造主であり、ユダヤ民族を
選民として導かれた偉大な神〞としてではなく、
父母の愛で一人一人を包んでくださる
愛の神〞として証しされたのです。
☆
私たちは、親によってこの世に誕生させてもらいました。
もちろん、そのことに感謝してはいますが、
それ以上に、私のために人生を捧げ、
愛を尽くして育ててくれたことに対して、
ありがたく思っているのではないでしょうか。
同じようにイエス様は、神様を
単なる創造主として証しするのではなく、
一人一人を愛して育む親なのだ
と教えようとされたのです。
柴沼邦彦・天一国特別巡回師(777双)
『世界家庭』8月号
『世界家庭』8月号
☆
このイエス様の言葉を聞いて、
マザーテレサの言葉を思い出しました。
「あなたも、私たちと同じように、望まれて
この世に生まれてきた大切な人なのですよ」
神様を愛し、イエス様を愛され、
イエス様が実践していかれたように、
自らも実践していかれました。
ですからマザーテレサの言葉には
力があります。
イエス様もまさにそうです。。。
私たちは、もう一度原点に返り
自分が救われたように、
救いを求めている人たちに
愛をもって、接していきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)