2022年11月16日

迷える子羊が帰ってきたら、天がどれほど喜ばれるか 《柴沼先生*誌上説教》




221116.jpg


柴沼先生の誌上説教
今回は、「見捨てられる者は誰もいない
〜迷った一匹の羊」です。


イエス様は、パリサイ人や律法学者たちに対して、
羊飼いが飼っている100匹の羊のうち、
1匹の羊が行方知れずになったなら、
残りの99匹を置いてでも、
その1匹を捜しにいくだろうと問いかけ、
その羊が見つかったときの喜びと感動が
いかに大きいか伝えようとされました。

1匹の羊は、自ら、羊飼いの目が届かない所に
行ったのだろうと思われます。

そのように自己の位置を失った羊であったとしても、
羊飼いは愛情を注いでいるがゆえに、
必死になって捜し歩き、そして見つけたならば、
友人や隣人と共に喜びを分かち合うというのです。


ここで、羊飼いは神様、1匹の羊は
一人の罪人のことを表しています。

もし、罪人が自らの行いを悔い改め、
本来の位置、つまり神様のもとに帰るならば、
神様がどれほど喜ばれるかということを、
イエス様はお伝えになりたかったのです。


その時代において、人々は神様のことを、
天地を創造された、偉大で唯一なる方として捉え、
ユダヤ民族を選民として導かれた方だと
あがめていました。

そして、誤った道に行った人々、
すなわち、律法に反した人々や取税人、
あるいは病気を患った人々を罰し、
お見捨てになる方だと考えていたのです。


ところがイエス様は、世の中から
見捨てられたような者たちさえも、
神様は愛し、決してお見捨てにならないと
訴えられました。

神様のことを、創造主であり、ユダヤ民族を
選民として導かれた偉大な神〞としてではなく、
父母の愛で一人一人を包んでくださる
愛の神〞として証しされたのです。


私たちは、親によってこの世に誕生させてもらいました。
もちろん、そのことに感謝してはいますが、
それ以上に、私のために人生を捧げ、
愛を尽くして育ててくれたことに対して、
ありがたく思っているのではないでしょうか。

同じようにイエス様は、神様を
単なる創造主として証しするのではなく、
一人一人を愛して育む親なのだ
と教えようとされたのです。

柴沼邦彦・天一国特別巡回師(777双)
『世界家庭』8月号


このイエス様の言葉を聞いて、
マザーテレサの言葉を思い出しました。

「あなたも、私たちと同じように、望まれて
この世に生まれてきた大切な人なのですよ」

神様を愛し、イエス様を愛され、
イエス様が実践していかれたように、
自らも実践していかれました。

ですからマザーテレサの言葉には
力があります。
イエス様もまさにそうです。。。

私たちは、もう一度原点に返り
自分が救われたように、
救いを求めている人たちに
愛をもって、接していきたいと思います。



にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)