自己牧会プログラムの体験談より、
「み旨はもっと感動的だ」です。
☆
(女性 50代)
自己牧会プログラムを基台(教会の小グループ)のメンバーと共に
学ばせていただき、実践を始めています。
心が解放されて、16年ぶりに伝道しよう
という気持ちになった姉妹もいて、
実践すれば何かが動き出すと感じています。
私が今、心掛けているのは、光を投げ放つことと、
自分の心情を実況中継しながら、
自覚を取り戻して心の整理をすることです。
日曜日の朝、1週間の出来事を自分で
実況中継しながら整理しています。
1週間を思い出すと、
「この時は心が痛かったな、痛みを感じているな」
「この時うれしかったな、喜びを感じているな」と、
その時の自分を客観的に見つめることができます。
☆
ある日曜日、いつものように
1週間を振り返っていたときのことです。
知り合いのかたが出演するコンサートに行った時の
感動を思い出し、「素晴らしい演奏だったな、
感動的だったな」としみじみ思っていたところ、
その瞬間、良心が
「あなたが歩んでいるみ旨の道は
もっと感動的だ」と語りかけてきたのです。
ああそうなのか……。
過去、映画や音楽、いろいろな素晴らしいものを
見たり聞いたりしてきたけれど、
「そのどれよりも、み旨はもっと感動的だ」
と言われた気がしました。
改めて思い起こすと、これまでもずっと、
感動的な出来事のたびに、
「み旨はもっと感動的だ」という
心の声を感じてきたように思います。
全て神様に導かれてきた道であり、
良心の声に導かれてきた道であると実感できました。
私の心の中にいる神様 146
み旨はもっと感動的だ
(blessed lifeより)
み旨はもっと感動的だ
(blessed lifeより)
☆
過去は変えることはできません。
しかし、心においては、過去に戻って、
振り返り、反省、改善することができます。
そういった意味では、一週間を振り返るというのは、
いいことだな、と思いました。
「み旨はもっと感動的だ」まさにその通りです。
困難な今この時こそ、「あの時を乗り越えて良かった」
と思えるように、希望と喜びをもって歩んでいきたいです。
そして、今この時にも
天は私たちを摂理しておられます。
例えば、伝道する時だけが
み旨ではないでしょう。
美しい音楽を聴く時にも、
それを見つめる神様を意識すれば、
み旨の一部となり、
さらに感動的なものとなると確信します。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)