李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言、
「結実時代」最後の章、
「復帰摂理が根本」。
ヨハネ先生が、私たちに遺してくださった
渾身を込めたメッセージです。
☆
結局は、アダムの家庭でエバが不信したのを、
神は再び信仰をもたせようとした。
これが六千年の歴史です。
それから、エバが心情を浪費した。
神から受けた愛を天使長に奪われた。
それが六千年の間、さかんに蔑視されながらでも、
神を愛する心を試練されてきた。
エバが失った愛を、私たちは、信仰をもって
その愛を求めて、神に返す場面の路程が今です。
それから、エバによってアベルを失ったので、
エバによってアベルを生ませようとするのが、
今の神の摂理です。
☆
カインがアベルを殺したのを、弟が長子復帰をする。
アベルがカインを感動させ屈服して、
カインに長子として認められるべき復帰摂理です。
未熟な者が夫婦生活をして未熟な後孫を
こんなに地上に生んだのを、
熟した夫婦を中心として、
本当に素晴らしい血統の実体を
生ませるための神の復帰摂理です。
アダムの家庭の根本問題を、歴史を通し、
象徴的、形象的に復帰しながら、
最後に私たち祝福家庭を中心として、
み旨のための血統をもった一男一女をもって、
み旨のための後孫を生むのです。
み旨しか知らない血統から、
み旨しか知らない後孫を生みたいのが今、
統一教会の家庭を中心としての神の願いです。
☆
ですから、牧会においても、復帰摂理が根本です。
皆さんの生活も、それが根本です。
この世の問題、自分の生活圏の心配事、
いろんな苦痛の問題は自分が抱えて、
供え物として救済しなければならないのです。
それが愛をもった人、先に来た人たちの責任です。
結論は、皆さんの実体が本当に正しい心情の作用、
心情の原動力をもつことです。
人間と付き合うときも日本的皮をむいて、
血統的な情を超越して、神の愛の本性の
主管性をもった自分にならないと、
自分のやっている仕事を、神の立場で、
神の代表者として責任を果たす可能性がないのです。
☆
自分が神様の立場での自分を知るのが生きた人、
正しい人です。
自分はあいまいな立場に立っていながらも、
神の立場に立ったと思ったら、
これは大変なことになる。
「自分は生きている。
自分は生命をもっている。
自分は喜んでいる。
果たしてこれは神の立場に立った
笑いなのか、自信あるか。
果たして、今私が存在している、
その自分の心情の判断が、神の判断と
ピッタリ同じか、同じでないか」。
こういうふうに考える皆さんは、
もう自分の立場を知るはずなのです。
その自信をもたないといけない。
☆
神様に否定されても、自信をもった人は、
アベルに否定されても不快心をもたない。
アブラハムの妻サラは、異邦の王様のもとにいても、
自信をもっていた。
安心している。
そこにいても、神様の心と同じだから
神様が主管することができた。
同じ判断だと、神様が責任をもつ。
だから祈祷の時間が必要なのです。
☆
私たちは転換しなくてはならない主人、中心人物です。
みな中心人物です。
だれかを信じる時ではない。
私たちでなくては転換できない時だ。
私でなくては転換できない時だと、
各々自分が自分の責任をもって、
自分の担当した場所で勝利しなくては
ならないようになっています。
私もそのように暮らす覚悟をしました。
16.結実時代
「復帰摂理が根本」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
「復帰摂理が根本」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
☆
今、与えられた環境は、
歴史的なもの、背景的なもの、
過去の清算のためでもありますし、
現在のすべての人類の救済のためでもあり、
未来のための投資でもありますから、
すべてを前向きに捉えていきたいですね。
さらには、中心人物である、
という自覚を持つこと。
神様の貴い子女として生まれた人間は、
誰であっても、大切でない人はいません。
神様から愛されている、という自負心をもって
今日も一日歩んでまいりたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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