金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
今回は、「四十日間の弟子訪問」です。
☆
先生はそれから後、平壌で因縁をもっていた
弟子たち一人一人を訪ねられました。
霊能者やメンバーたちが教会から離れていたことを
よく御存じでありながら、直接訪ねて行かれました。
直接行けない時は、人を遣わし、
私が行くこともありました。
年を取って病気になっている人にさえも、
「先生が無事に牢屋から出られた」ということだけでも、
一々全員に知らせるようにしました。
このことは、大変重大なことです。
なぜか分かりますか。
人と人の交わりではなく、神の前で
永遠を誓って交わった関係だからです。
☆
その人たちは一人も牢屋に訪ねて来ませんでしたが、
霊的にも先生は知っておられました。
面会に来る弟子から、メンバーたちが離れていった
ということを聞いて御存じでしたけれども、
先生は相変わらず二年八か月の間、
一日も抜かさないでお祈りされていました。
その人たちとは、先生が直接因縁をもったのですから、
直接会ってみて先生を受け入れるならば問題はないのです。
受け入れられなくても、直接会って確かめない限り、
因縁を切ることはできないのです。
それは本当に難しいことです。
☆
平壌にとどまっていた期間は四十日でしたが、
先生はお帰りになっても、どういう苦労の
生活をしたかということは全然お話しにならないのです。
その間ずっと弟子を訪ねて、先生が帰って来られた
ということを知らせて回ったのです。
中には反対する人もいましたが、
先生は全員を訪ねてお話しされました。
それゆえに、そういう人たちが霊界へ行っても、
讒訴することはできないのです。
☆
先生の父母、兄弟、親戚は故郷にいるのに、
そういうことは全然気にかけていないように
振る舞っていらっしゃいました。
三日もあれば訪ねていける所に
いらっしゃったのですが。
先生の心情の中には父母、親族を思う気持ちは
誰よりもあると思います。
けれども先生は、み言によって、
天の因縁で結ばれた食口たちを
見舞うということを先に立てたのです。
☆
先生は、刑務所から出て平壌に帰られてから
三日ほどして、二、三人を周りに集めて、
牢屋から持って来られた米の粉を出しました。
それは先生に外から差し入れられたものでした。
牢屋の中に米を差し入れる時には、
焼いて粉にしました。
牢屋での食事の問題は、非常に重要な問題です。
先生は牢屋を出て平壌に来るまでの道のりを、
ひもじくとも食べ残したものをそのまま持って来て、
私たちに分け与えてくださったのです。
普通の人だったら全部なくなっているはずなのに、
先生はそれを残したのです。
「牢屋の中ではね、名日(節日、祝祭日)なんかには、
米の粉でもちを作って、分けて食べるんだよ」
と説明されながら、先生御自身が
その米の粉に水を混ぜて練られました。
練るのは手ではなく、先生が刑務所の中で
作られたおはしで練ったのでした。
もちを作ってから、残っている食口に
一つ一つ分けてくださいました。
☆
こういうのを私たちに見せるのは、
御自分がそのように苦労なさった
ということを見せるのが目的ではないのです。
苦労の中にあっても、神が私たちを救おうとされるように、
御自分が食べたいものも全部食べずして、
食口たちに食べさせてあげたい
という心情で分けてくださったのです。
☆
それを見ていると、先生の刑務所での生活は
追われる生活ではなく、もっと苦しい生活を
追求する生活だったということをつくづく感じました。
苦しい生活の中にあっても、自分の生活、
生命はどうなるのだろうかという
危機迫る生活ではありませんでした。
人類をどういうふうに救おうかと考えられ、
また人類をして復活の忠誠を示させんがための
余裕ある生活をしたいという思いで
生活されたことが感じられました。
牢屋の中では、人類を救わんがために、
どういうふうにしなければならないのだろうかと、
ひたすら天のみ旨に走っておられた
ということをつくづく感ずるのです。
☆
先生が残っている者たちを呼び集めて、
その米の粉でもちを作って食べさせてくださった
という話をしました。
「ああ、そのようにしたんですね」と
皆さんは受け取るかもしれませんが、
そこには深い意味があります。
囚人たちは、生命よりも食べ物を大事にします。
けれども、先生は食べたくとも食べないで、
残っている者に何かをおみやげとして
あげたいという心をもたれたのです。
私たちはそのお心を
とても大事にしなければならないと思います。
死ぬか生きるかという中にありながら、
自分と因縁を結んだメンバーに、あるいは
霊の子女に何かをあげたいという心、
大事な物をおみやげとしてあげたいという
先生の心を、最も学ばなければならないと思います。
☆
皆さんが教会員に、あるいは兄弟に、
本当に大事にしているものをあげたとしたならば、
その教会員や兄弟は、どのように考えるでしょうか。
私たちは大抵、使って余ったものや、
持っている物の中から贈ります。
先生の場合は、ないところから
あげようとするお心なのです。
聖書の中にも、お金持ちのたくさんの献金よりも、
貧しいやもめのレプタニつの献金の方が、
もっと価値あるものだといわれているのは、
そういうところからなのです。(マルコ一二・四一〜四四)。
☆
レセプションなどに行ってみると、
ドネーション(寄付)という箱があります。
開けてみると中には何もありません。
これは神が喜びません。
そういう心を基台としては、
神は教会を祝福することはできません。
センターに行けば、ドネーション・ボックス(献金箱)もありません。
祝福を受けるためには、
受ける器を作らなければいけません。
心のドネーション・ボックスを作るのです。
☆
兄弟に与える先生の贈り物が、
どれほど貴重であるか分かると思います。
自分のポケットの中からというのは、
これはギフト(贈り物)ではありません。
ギフトというものは、あらかじめ
全部聖別して、人にあげる時にも、
「これは本当に少なく、足りないものです」
という心を合わせて差し上げるものです。
☆
先生のなさることは、すべて一つ一つが
原理的な生活であることが分かるようになったと思います。
私たちが子女の立場に立っている限り、
絶対に先生は安息できないということを、
皆さんは考えなければいけないと思います。
子女を持っている父母は、休む時間がないのです。
子女が父母の身代わりにならない限り、
父母を絶対に休ませることはできません。
父母の身代わりになるには、
父母の心情を自分のものにすることです。
そういう立場に立てば、
先生を絶対的に安息させてあげることができます。
ですからぜひとも早く私たちが、
先生自らが私たちに示してくださった
勝利の路程を勝利して、栄光を先生に
返さなければいけないと思います。
先生が御苦労されて得たこの栄光を、
神と先祖と子女に返そうというのが父母の心情です。
私たちは逆に、その栄光を
先生に返す心情をもちましょう。
平壌開拓から興南解放
第六章 興南解放と釜山伝道
「四十日間の弟子訪問」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第六章 興南解放と釜山伝道
「四十日間の弟子訪問」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
一部誤字誤植編集(文責:ten1ko)
神様を何よりも愛していかれたお父様。。。
だからこそ、神様との因縁によって出会った人たちを
貴く、大切にしていかれたのだと思います。
私たちも、この道に導かれなければ、
決して出会うことのできなかった人たちとの
交わりがあります。
私も公務をさせていただいていますと、
日常茶飯事的に、様々な人たちと
接する機会があります。
それは、とても感謝すべき環境ですが、
時には、人間的な思いで、見てしまったり、
裁きの思いで見てしまうこともあります。
その都度、反省はしていますが、さらに
もっと深く反省しなければならないと思います。
その人は神様が送ってくださった人である、
そんな思いで見つめ、
接していきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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