史吉子(サ キルジャ)先生の
「原理によるみ言の証」より
『自己否定の意義と秘訣 』続編です。
☆
ある日、 お父様(文鮮明先生)に
「ある食口が熱心に活動していましたが、
教会を離れてしまいました」と報告すると
「そうか、その人は原理が
よくわからなかったんだね」とおっしゃいました。
なぜなら、原理が願うことは、
まさしく自己否定であるからです。
私たちが原理をよく知らなければならない理由が
何であるかというと、難しくてもやるべきことは
必ずやらなければならないためであるし、
それが神様に帰る道であるためです。
それで、私たちは原理を学んでいます。
それで原理を知れば、私たちは
不平不満を言うことができません。
私たちがやるべきことは、必ずやらなければなりません。
ひたすら全力を尽くして、やらなければなりません。
☆
お父様は
「神様は私ができないことをしきりにさせたが、
私はそのたびに、本当に死を覚悟して
耐えながらここまで来た。
私がどんなにたくさん泣いて、
どんなにたくさん身悶えしたかわからない。
楽に歩んで来たら、統一教会が
こんなにも発展することはできなかった。
神様がムチ打って押し出しながら、
やれと言われるのでここまで来た」
と語られたこともありました。
☆
お父様は監獄に行かれる時も、
運がいいとおっしゃるそうです。
普通の囚人たちは、監獄に行くと監房に入りたがらないので、
看守が背中を押してやっと入るのですが、
お父様は走るようにして行かれるそうです。
どこに行かれても、神様はいつも12名の弟子たちを
準備してくださるので、そこに行けば、
間違いなく誰かが待っているだろうと期待をして、
喜んで入られるのです。
「今回、神様が準備している人は誰だろうか」と言って、
懐かしい人に会いに行くようなワクワクする心情で、
飛び込むように行かれるそうです。
それは、お父様が蕩減法を知っているからです。
しかし、お父様も肉身を持った人間なのに、
どうして喜んでばかりいられたでしょうか。
☆
お父様はエバが12才になる時から、 天使長が
エバを誘惑しようと狙っていたとおっしゃいました。
それで、二世、三世たちを
12才の時から原理教育をさせなさいとおっしゃり、
定期的に原理教育を行って います。
☆
それゆえ、神様の救いの摂理は、
天の側とサタン側の愛の闘いなのです。
天使長は、不義の愛によってエバを誘惑しましたが、
私たちが 真の愛を実践するなら、
どうしてサタン世界にいる人たちにサタンを切り捨てさせて、
天の側に移ってくるようにすることができないでしょうか。
そのためには多くの精誠を尽くしてこそ、
彼らが天の側に来るのではありませんか。
草創期にお父様は、神様の真の愛、
すなわち犠牲奉仕をしながら、
為に生きる愛を実践してこられたので、
みんなが霊的に引かれたのです。
お父様に対しては女性たちだけではなく、
多くの男性たちも霊的に引かれて来ました。
☆
私はみ旨の道を歩みながら、だんだんと
自分という概念を忘れてしまうようになりました。
ある日お父様は、「あなたは誰か」
と尋ねられた時、自分の名前までも
忘れてしまう人にならなければならないと語られました。
天の側に近い人はどんな人であり、
サタンの側に近い人はどんな人か。
サタン側に近いほど、自分がとても強く、
悉(ことごと)く自分を中心とする人です。
自分を捨てて生きるということは、何なのか。
神様と真の父母様の対象の立場に立つということを意味します。
☆
お父様は、自分を忘れて生きる秘訣を教えてくださいました。
お父様は常に神様と真の父母様に待って、
一時も離れてはならないとおっしゃいました。
そして、いつも祈祷しなさいとおっしゃいました。
お父様は祈祷されるたびに、
常に三つの条件を立てて祈祷しなさいと語られました。
☆
第一は、祈祷する時はまず、
神様に挨拶をすることです。
子女である私たちが神様に祈祷する時、
当然、最初に挨拶をしなければなりません。
すなわち、祈祷する前に「私は誰々です」
と具体的に挨拶しなさいというのです。
そして、父母様の家庭に侍る私たちは
カイン的子女であるために、父母様の家庭のために
切実に祈祷することが、まさしく挨拶であるそうです。
父母様のご家庭のために祈祷をすることは、
父母様のご家庭が勝利された天運に
私たちが便乗してついて行くことになるので、
父母様のご家庭のために、
切実に祈祷を捧げなければなりません。
☆
第二は、報告をすることです。
「私はこのようにしています」と言って、
日課の中であったいいこと、 悪いことを
いつも報告しなければならないのです。
☆
第三は、神様に尋ねることです。
「神様、この問題はどうしましょうか」
と常にお伺いするのです。
私もこのような方法で暮しています。
いつも報告し、お伺いします。
また、お父様は神様に尋ねた後、
神様の答えを待ちなさいと語られました。
史吉子/ 著
「原理によるみ言の証」
「原理によるみ言の証」
☆
この道は、自己否定の道である。。。
まさにそうだな、と思います。
今も、日々自分の足りなさを感じますが、
私の器を見ると、
「この道に来なければ、絶対にこのようなことはしなかった」
という訓練を受けてきたように思います。
お父様ご自身も
神様に訓練されてこられたのだということですから、
自己否定される、ということは、
神様に愛されていることなんだと思います。
真の父母様が犠牲の道をいくことが
できたのは、常に祈られながら
神様と一つになっておられるから。
神様と通じるがゆえに
力を得ながら越えてこられたのでしょう。
私たちも、もっと原理を知り、
神様を知っていきたいですね。
真のお父様が教えてくださった祈祷、
神様に挨拶し、報告し、尋ね、
さらに神様の答えを聞きながら
感謝して過ごしていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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