2023年01月02日

自分に勝つ。 欲望に負ければ、幸福と縁がなくなる?! 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》




230102.JPG


李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の
1990年のみ言、「自分に勝とう」の〆です。

戦いの対象は自分

「何の条件もないのに鞭打たれた」と言って、
悔しく思ってはならないのです。

善なる人は、心がすべてを
分かるようになっているのです。

最初、自分が失敗したように、
負けたように、
無視されたように思えるのですが、
心は強くなるのです。


お父様は迫害された時に、
「よし、あとで見よう。
時間の問題である」と思われながら、
ずっと耐えてこられたのです。

「善を行ったなら落胆してはならない」
と聖書では証しています。

善とは何でしょうか。
物事に誠を尽くし、すぐに良い結果が
出ないといっても慌てずに、
与えられた環境を立派に勝利することも
善なる行為の一つなのです。

 
人には忍耐心がなければなりません。
マラソン選手が競技中に息が苦しいといって
休んだのでは、勝つことはできません。

マラソンは自分との限りない戦いなのです。
ですから、他人と競い合って勝つのではなく、
自分と戦って勝たなければならないのです。

信仰生活も同じです。

お父様は、「天宙を主管する前に自己主管」
と言われました。
自己主管ができれば、天宙主管ができる
というのがお父様の生活信条です。


自分に勝つことです。
自分自身に負けると、すべては失敗です。

ゆえに、このような生活信条をもって
私たちは、信仰生活に臨まなければなりません。

自分に勝とう、眠ることに勝とう、
食欲に勝とう。
情欲の奴隷になってはいけません。

精神力をもって肉身を克服しなければなりません。
このように日常の小さなことまで
勝利しなければなりません。


人の一生とは、考えてみれは短いものです。
あっという間に三十歳、四十歳になるのです。

そのような人生なのに、
この肉身の欲望に負けていては、
本然の価値を取り戻すことはできません。

それゆえに私たちは、自分と戦って
勝利しなければなりません。

 
このように考えると、戦いの対象とは
回りの環境や他人ではなく、
正に自分であるということができます。

そして、本心(良心)に順従すれば、
愛の実体となり、
本心に逆らって生きれば、怨讐となるのです。

私たちの肉身は、「眠りたい、遊びたい、
自分勝手にやりたい」と思うのです。

しかし、秩序を守ってこそ
自由が得られるのです。
秩序を守らなければ、私たちは
不自由に苦しむようになるのです。

そればかりではありません。
秩序を守らなければ、私たちは、
拘束されるようになるのです。

秩序を守らない人は、一生、
福とは縁がなくなるのです。


父親よりも優れた子供になるには、
父親の姿を見て子供が感動し、
子供の姿を見て父親が感動するように
ならなければなりません。

父親の社会的身分が低いといって、
後ろ指を指すことは、子たる者のすることでしょうか。

「私がお父さんのような歳になった時には、
お父さんのような貧しい生活はしたくない」
と思うとしましょう。

しかし、その父親は貧しい人生が
好きでそのようにしているのでしょうか。

父親が世の中の環境にぶつかってみると
そのようになったのに、
それを子供が讒訴すれば、
父親にとってそれは刃物で胸を突くことよりも
ひどいことになるのです。

父親の胸から血の流れる音がするようになるのです。
子供が父母に対して、どうして
後ろ指を指すことなどできるでしょうか。

 
今日の世の中のことは、すべて霊界が引っ張っていくために、
悪なるものはすべて断ち切られ、
より善主権を中心として動くようになっています。

歴史を振り返ってみると、
神様の一貫した摂理歴史であることが分かります。
歴史の背後に、神様がおられる
ということを否定することはできません。

トインビーは、人類歴史を顧みながら、
神様がこの世の歴史を導いてこられたことを知りました。

歴史学者たちは、歴史を研究しながら、
人類の背後には、
神様の働きがあることを知ったというのです。

私たちは、秩序の中で
主従関係をよく守らなければなりません。

そして、自分に勝って、
神様の前に褒められる
信仰者にならなければなりません。
(『統一世界』一九九〇年六月号より翻訳転載)

19.自分に勝とう
「戦いの対象は自分」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰

(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


「天宙主管の前に自己主管」

私自身を正しく主管(自制、コントロール)することが
私の内的な成長につながります。

しかもこれが世界の平和のため
天の「摂理」に貢献することにもなる。。。

このことは何よりも、
真のお父様、お母様が
成してこられた歩みに表れています。

いつも私とともにおられる
神様の声を聴く、つまり私たち一人ひとりの
良心に、神は働きかけてこられるので
良心に基づいた歩みを心掛けつつ
取り組んでいきたいと思うのです。



にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)

posted by ten1ko2 at 10:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする