2023年01月05日

(証し)日本人だから情が遠い? 主を私の生身の親だと実感した日



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日本の情は忠孝の源


家庭連合では、文鮮明先生夫妻のことを、
親のように慕い、
人類の「真の父母」ということで、
「真のお父様」「真のお母様」と
お呼びしています。

しかし、教会の草創期(初期の頃)には、
真のお父様を、「大先生」と
呼んでいた頃があったといいます。

そして、真のお父様、真のお母様、
そう呼び始めた頃──
12双のお姉さんの貴重な証しを
紹介します。
(今から10数年前に語られたものです。)


私は教会に来て、もう50年になります。

1963年に修練会に出て、
み言を聞いて復活(≒感動、復興)して、
すぐに献身の道を行きました。

それから、様々な責任分担を与えられましたが、
真の父母様ご一行の食当をする
責任を担当したことがありました。
お父様が日本を巡回する約2ヶ月間です。

私はお父様のことを再臨主・メシヤとして信じてきましたが、
どうしても真の父母、私の親である
そのような感覚を持つことは出来ませんでした。

どうしても「大、大、大先生」
という意識になるのです。

食当をしながら、お父様に侍ると、
台所を通る真のお父様がいらっしゃいます。
その時も頭を下げている自分の姿があるのです。


あるとき、食事を作りながら、
本部の集会でお父様が
こんなことを語られているのを聞きました。

「みんな、お父様、お父様って呼ぶけど、
お父様って言われて、先生気持ちが悪いや」


これは、私のことを言っている。。。
本当に申し訳ない思いになりました。


そんなある日のこと。
その当時、まだ5歳だったか、
孝進様が部屋におられるお父様を見て、
飛び込んで抱きつく姿を見ました。

また、誉進様がお父様のおひざに乗られ、
またお母様のおひざに乗られ、
本当に喜んでおられるのを見ました。

「真の子女様は違うな、
私はこのように出来ないな」と思いました。

また、ある同胞(在日韓国・朝鮮人)の姉妹が祝福を受け、
お父様の元に行くことになったとき、
彼女は、本当に嬉しそうに、
お父様に感謝の手紙を書いていました。

私は思いました。
「この人は、韓国の血統を持っている。
だからお父様にすぐに情が行くんだ。
私は日本人だから駄目なんだ」

そんなことを思っていると、
集会でお父様がこんなことを語られたのです。


「日本の情は忠孝の源」なんだ。

主君に忠誠を誓う姿が本当に素晴らしい。
主人を愛する姿が日本人のいいところだ。
武士が生命をかけて主君を守っていく。

日本人は桜が好きだろう。
ぱっと咲いて、ぱっと散る、
これは日本の精神なんだよ。

また、昔の日本の女たちは、
お嫁になって結婚するとき、
みんな白無垢の衣装を着て、嫁いでいく。

白い着物であるというのは、
「私は夫の色に染まります」
そういうことを表しているんだよ。


主に侍り、従っていく姿。
日本人はそういうところが素晴らしい。


お父様は、日本人でもないのに、
日本人以上に日本のことをわかっていらっしゃる。
本当に日本人の私を
こんなにも愛してくださっているんだ。。。

そう思ったとき、本当に泣きました。
泣いて、感謝して祈ったとき、
突然、霊的に引き上げられた感じがしました。

そして、お写真のお父様ではなく、
生身のお父様を感じました。

また、いつもどんな時にも24時間、
お父様を感じるようになりました。

それで、私にとって「大先生」から、
「私のお父様」という風に変わることができたのです。

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(文責 ten1ko2)

*この証しにあるご父母一行のご来日は
1967年6月から8月のことだと思われます。
翌年、3月14日、韓国で
久保木会長が、上に掲載した
「日本乃情忠孝乃源」の揮毫を頂いたといいます。



10数年前、証しをされながら、
涙が止まらなかったお姉さんの姿を、
今でも印象的に覚えています。

日本人である私たち以上に、
日本のことを良く知っておられるお父様。
日本を愛しておられるからなのではないでしょうか。

日本を、そして日本人である私たちを
心から愛してくださる真のお父様。
それはお姉さんや当時の先輩方に対してだけではく、
今の私たちにも同じ思いを持ってくださっていることでしょう。

今は、真のお父様も聖和されましたが、
変わらず霊界から
私たちを見つめてくださっているでしょうし、
真のお母様が、そのようなお父様の遺志を
受け継いで、この地上で必ず果たそうと
尽くしておられます。

私たちの、お父様、お母様
心から感謝申し上げます。


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