毎回感動を呼んだ
「ドクター神明の信仰エッセー
UTS時代の神体験」より──
神明(しんみょう)先生が、統一神学校(UTS)で
教鞭をとることになるまでの
エピソード、「自分を無にしたとき、
お父様が干渉してくださった」
を紹介します。
☆
私は1977年にUTS(ニューヨーク州ベリータウン)を卒業しました。
その後、他の大学でさらに神学の勉強を続け、
1984年の春、無事に神学博士号を取得しました。
その直後の6月末に、イーストガーデンに来るようにと
真のお父様からお呼びがかかったのです。
真のお父様はあと2、3週間後に
ダンベリー連邦刑務所(米国・コネティカット州)に
収監されることになっていて、
どちらかというとイーストガーデンの中は
緊張感が漂っているようでしたが、
お父様がわざわざ個人面接をしてくださったのです。
結論として、「これからUTSで教鞭を執るように」
と言ってくださいました。
☆
神明先生は、7月初めのUTSの卒業式の日に、
当時の総長にあいさつしたのですが、
あからさまな無視をされ、傷つきながらも
静かにUTSを去ることにします。
その際、誰もいないサッカーフィールドの中央で
快晴の青空を見上げながら祈ったといいます。
☆
「神様、UTSは決してこの私のものではありません。
あなたのものです。
ですから、誰か私よりもっと優れた人がいれば、
その人をここに呼んで、教えるようにしてください。
そしてUTSをりっぱな神学校にしてください。
UTSがりっぱになるのなら、
何も私はここで教えなくてもいいのです」
こう祈ると、涙があふれ出てきました。
そのときの切ない祈りが
時空を超えて神様と真のお父様に
伝わったことは後で知りました。
☆
それから5か月たった12月のある日、
突然UTSから手紙が舞い込んできました。
これは後に総長から直接聞いたことですが、
総長がダンベリーのお父様にUTSの報告をしに行くたびに、
お父様は何度も語気を強めて
「神明はUTSで教えているのか」 と言われたとのことです。
それで、さすがの総長もこれ以上は
そのままにしておくことができず、
まだ私を雇っていないのに、
パートでもいいから雇ったという形にしたというのです。
それで、その翌月から、すなわち1985年1月から
正式にパートの講師の立場で、
UTSで教えることになりました。
まだフルタイムの助教授の立場は許されませんでした。
☆
そんなある日、朝拝担当を頼まれました。
「カインの救い」 と題する説教を通して、
忍耐は必ず神様に通じるという内容を話したら、
参加していた数人のカイン的な学生が、
感動のあまり、すすり泣き始めたのです。
その渦は広がって、当時はほとんどの学生が
白人の米国人食口でしたが、
「ドクター・シンミョウの手にかかると
全ての悩みが解決される」という
うわさが流れ、次々に学生が相談しにきました。
私も、最も悩んでいる学生がどこにいるかと気になり、
神がかり的になって探し回り、
そのためには自然に足が動き出していました。
それを聞いた総長は驚いたらしく、
その月の終り頃には、私を
フルタイムの助教授に任命してくだいました。
☆
最終的には、それから9年後の1994年に、
思いがけず私自身が真のお父様から
UTSの総長に任命されることになるのですが、
そのときお父様は、
「UTSは自分のものではないと祈った
その祈りによって自分を無にしたので、
総長に任命されたのだ」とおっしゃったのです。
そのように祈ったのは自分が全面的に
拒否されたからだったのですが、
その祈りは時空を超えて神様に通じ、
ダンベリーの真のお父様にも通じ、
お父様が干渉してくださることになったのだと思います。
今は霊界におられる真のお父様が地上の真のお母様と共に
神様の実体として立っていらっしゃるので、
そのような私たちの祈りと努力は
もっと敏感に感じられるに違いありません。
ならば、私たちのところに必ず来てくださり、
全ての問題を解決してくださるはずだと思います。
UTS時代の神体験:ドクター神明の信仰エッセー
「自分を無にしたとき、お父様が干渉してくださった」
神明忠昭
(世界家庭2019.6月号)より
「自分を無にしたとき、お父様が干渉してくださった」
神明忠昭
(世界家庭2019.6月号)より
☆
中ほどの一部など割愛させていただきました。
ご了承ください。
文責:ten1ko
ご了承ください。
文責:ten1ko
自分を無にする祈り、それがお父様の思いに通じたのですね。
お父様の霊的直観力に改めて感動するとともに、
私たちの精誠、真なる心情は、
天に通じるのだな、と思います。
そして、一番の試練の時に、
どのように受け止めていくのか、
これがターニングポイントなのだ、と思います。
私たちは天願うとおりにできないことがあります。
逆に天の願いだと思っても、そうならないこともあります。
そうだとしても、感謝して受け止め、
天を優先し、公的なものを優先していく、
それは、必ず天の父母様が見つめておられるのです。
しっかりと肝に銘じていきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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