2023年01月18日

逆境を喜んで越えていく人は、神が義人と認める 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》




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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言
「神のみ旨を推し量ろう」から後半です。

義のある人とは

世間はこのような法則を知らなければなりません。
皆さんは、これからこのような法則を知って、どんな逆境にぶつかっても、
それを喜んで受け入れて越えていかなければなりません。
整えられた良い環境で義人として扱われるのではなく、
差別されたり、苦しみを受ける環境にあっても不平不満を言わず、
すべてを受け入れて消化すれば、
神様も驚いて義人として扱わざるを得ないのです。

神様はみ旨の上で決して過ちを犯されませんでしたが、
現れた結果を見た場合には、過ちを犯したように見えるのです。
アベルを愛し、カインを憎んだということは、
矛盾した現実として思われるのです。

結果的にカインは過ちを犯しましたが、
神様は既にカインが愛の減少感を感じるだろうということを知っておられました。
しかし、カインがもし、そのようなことを全然表さずに
アベルよりももっと孝行息子になったならば、神様も感動するのです。

義のある人とはどのような人をいうのでしょうか。
それは冷遇されながらも、それを喜んで受け入れていく人です。
神様は、神様に忠誠を尽くす人に対しても、
罰を下したり逆境に押し入れたりされる場合があります。

家庭から追い出されたヤコブが、
ベテルで石を枕にして自分の生涯を考えたとき、
どれほど惨めであったことでしょうか。

ヤコブはいつも疎外されていました。
ヤコブは家では僕の生活をしながら、父母の前には孝行息子でした。
兄のエサウには、いつも心を痛めていましたが、
弟としての責任は果たしていました。
そのように真心を尽くして家事を手伝っていましたが、
兄エサウから追い出されたのです。

孝行息子であるヤコブに、このような不幸が起こるはずがありません。
しかし、ヤコブは兄から追い出され、
母方のおじラバンの家に行くようになりました。
その時でさえ、ヤコブは一言の不平も言わず、
疑いもせず、胸に希望があふれていました。
落胆せざるを得ない立場にあっても、むしろ希望をもっていたのでした。
これを見て神様はびっくりされ、ヤコブを訪ねてお供されたのです。
義のある人として扱われるには、
ヤコブのような行動を見習わなければなりません。

良い環境の中で義人として扱われることは、
だれにおいてもできる易しいことです。
価値を認められているのに、どうして義人として扱われないのでしょうか。
父母が子供を等しく愛していて、不平を言う子供がいるでしょうか。
不公平に扱われたとき、大方の人は、その心に悔しい思いがわいてきます。
これは正に、私たちの体の中に隠れていた
カインの性格の要素が、現れたものなのです。

主体者が不公平に扱うのには、理由があるのです。
神様が人それぞれに対して、
不公平な立場に立つのには理由があるということを知っていると、
義のある人生を過ごすのに非常に役立ちます。


お父様の行かれた道
 
信仰生活とは、計算するものではありません。
第一に、このことを心に深く刻んでおきましょう。
義のある人として扱われるには、まず疑わないことです。
疑う心をもつと、義のある信仰生活ができません。
「あの人はあんなに愛されるのに、なぜ私はこんなに軽んじられるのか」
と比較してはいけません。

これがアダムの家庭において見つかった秘密なのです。
世の中の人はこのことを知りません。
思想界においても、神学界においても、これを知らないのです。
ですから、不平や不満が起こるのです。
そしてそれらが原因となって、不和やデモが生じるのです。

神様がアベルをより愛されるようになった秘密を、お父様が発見されました。
皆さんはこのことをよく知らなければ、義のある人にはなれません。
お父様が平壌に行かれた時のことです。
その前には「栄光の路程である」と天から啓示を受けられたのです。
平壌にお父様に仕える霊能者たちが待っている、
ということで行かれたのです。

しかし、それは裏切られました。
栄光ではなく、監獄に入らなければならなくなったのです。
しかし、お父様は苦痛を栄光として、喜んで受け入れて監獄に入られました。
それを一生涯の価値を立てることのできる期間として考えられ、
監獄の中ですべてを投入されたのです。

義のある人として扱われる機会が、いつも与えられているのではありません。
普通の生活をする時は、平凡に見えても、
一度忘れられない義の道理を立てることができるのです。
ヤコブはベテルで、イエス様は十字架上で、
お父様は興南収容所で、苦痛の立場から勝利されました。
そうした時、天はびっくりするのです。

大きくなれる人は、苦痛の環境を克服できるのです。
大きな木になり、材木となれる人は、
差別されても天のみ旨を良く推し量ることができるのです。
差別されても、黙々と我慢していけば、天は必ず認めてくださるのです。
カインは、越えるべき蕩減法を正しく知らなかったのです。
今後、私たちはカインの前轍を踏むことなく、
苦痛の中でも天のみ旨を推し量る人にならなければなりません。

     
(『統一世界』一九九〇年八月号より翻訳転載)

20.神のみ旨を推し量ろう
「義のある人とは」
「お父様の行かれた道」

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰

(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


このみ言を訓読しながら、
「環境によって主管される葉となるな」
というお父様のみ言を思い出しました。

義人は、どんな環境にあっても
感謝していく姿勢が大事だと思います。

それが正にお父様の行く道であり、
私たちが目指すべき道であると思います。

今の状況を感謝して受け止めていく、
そのような信仰を持っていきたいと思うのです。


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posted by ten1ko2 at 08:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする