2023年02月28日

「目の前の人を愛していくことだよ」 伝道が不安になったとき 《自牧プログラム》



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天正宮の花☆


自己牧会プログラムの体験談。
今回は、「『父母となる道』が一番の幸せ」です。


(女性 20代)

伝道に取り組んでいます。

ゲスト(伝道対象者)のかたとのやりとりを続けていると、
約束が流れてしまう、
前日までやりとりできていたのに、
急にアポイントの当日に連絡が取れなくなる、
という経験をたくさんします。

ゲストを待っている間にも
不安や恐れが生じてきます。

「今回もダメなんじゃないか、
やっぱりそうに決まっている」

「あの時、私がこう言ってしまったからかな。
でも、そもそもそれは…」

という感じで、妄想や言い訳が
ぐるぐると果てしなく湧いてきます。

以前はこれを繰り返すのがつらくて、
伝道自体がイヤになってしまった時もありました。

でも今は、「これは妄想に過ぎない」と気付いて、
「本当の自分とは何の関係もない」
と手放せるようになりました。


先日、同じような不安に襲われた時、
「心の目で見る」ワークをしながら、
「真の愛を中心として正しく見させてください」
とつぶやき続けていたら、

いつも伝道で使っているチラシの笑顔の女性の写真から、
「そのまま愛していけばいいんだよ、
大丈夫だよ」という返事があった感じがしました。

初めてチラシが慕わしく思え、
こんな身近な所にも神様がいるのだなと、
うれしくなりました。


それでも、いつもいつも前向きな気持ちに
なれるとは限りません。

最近も、ゲストと連絡が途絶えてしまった時、
「教会の皆に意識してもらっていたのに、
こういう結果になってしまった、申し訳ない」
と、気持ちが沈んでしまったのです。

そこで、街を歩きながら、
意識を「今ここ」に戻して、
自分本意の考えを手放していきました。


すると、祈ってくれている皆の顔が
心に浮かんできました。

そして最後に、真の父母様の顔が浮かんできて、
「みんな幸福になるんだよ!」と言われた感覚がしました。

「どうしたら幸福になれるんですか?」と尋ねたら、
「目の前の人を愛していくことだよ」
と心に返ってきたのです。

「父母となる道を進んでいる今が一番幸福だ!」
と、さーっと理解できました。

出会う一人一人と本性的な授受をし続けていけば、
必ず道が開けていくという希望と確信を得ることができました。

私の心の中にいる神様162
「父母となる道」が一番の幸せ
(Blessed Lifeより)


万民を家族のように愛する・・・
父母が子を愛するように愛する。
それがイエス様の道であり、
真の父母様の道です。

「目の前の人を愛していくことだよ」
という良心の声のごとくに、
「私」以外のすべての人を
貴く思えたら、どれだけ素晴らしいでしょうか。

「汝の隣人を愛せよ」
というイエス様のみ言は、
イエス様が実践されたからこそ、
実感をもって語られています。

私たちも良心の声に耳を傾けて、
周りの人を貴く思い、
愛することのできる者になっていきたいです。



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2023年02月27日

メシヤ、15歳 詩・「栄光の王冠」の境地は、すでに神 《蝶野部長*精誠篇2》F



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蝶野知徳(ちょうの とものり)本部家庭教育部長
「精誠篇(せいせいへん)

私たちが体験する全ての事は
「私の責任」として受け止めるのが、
復帰原理である──

それを、生涯実践されているのが、
真の父母様(文鮮明先生ご夫妻)です。



「私の責任」。
「栄光の王冠」を見たらそうですね。

【私が人を疑う時 私は苦痛を感じます。
 私が人を審判する時 私は耐えられなくなります。
 私が人を憎む時 私は存在価値を失ってしまいます。

 しかし もし信じれば 私はだまされてしまいます。
 今宵 私は手のひらに頭を埋め
 苦痛と悲しみに震えています。
 私が間違っているのでしょうか。】


そうじゃないけども、
【そうです。私が間違っているのです。】

私が信じて裏切られても
私が間違っていると言うんですよ。
これ、どう考えても相手が悪いじゃないですか。

(数えの)16歳でこの人格の基準を持っていたお父様。
もうねぇ 考えられないです、皆さん。
(お父様はやはり)実体み言ですよ。

(お父様と比較すると)私たちは人格がない。
だけども、私たちも、み言で
自分を作ることができるんです、皆さん。

かつては10年かかっていた体験が
3日でできる時代です。

ただし、原理がわからなければ、
何回生まれ変わってもできません。

どこかで、自分の悪口を言っているのを
小耳に挟んだ。
それで、(神様にこの人を)許してください
と言える人は、すごい人です。

でも復帰原理がわかったら、
私たちも案外簡単にできるんです。

このようなことを理解しながら、
最初は観念で始まりますが、
だんだん、だんだん、
心でできるようになりますよ。

蝶野知徳・精誠篇2 

父母による子女の家庭教育 精誠篇より
「内的蕩減と生活信仰」
摂理される私、実体基台のために
2018年に蝶野部長が広島の家庭教育部長だった頃
全国の教区から要請があり出張して語られた講義より
(文責:ten1ko2)

「栄光の王冠」
Crown of Glory


 私が人を疑う時 私は苦痛を感じます。
 私が人を審判する時 私は耐えられなくなります。
 私が人を憎むと時 
 私は存在価値を失ってしまいます。

 しかし もし信じれば
 私はだまされてしまいます。
 今宵 私は手のひらに頭を埋め 
 苦痛と悲しみに震えています。
 私が間違っているのでしょうか。
 そうです。私が間違っているのです。

 たとえ だまされたとしても
 信じなければなりません。
 たとえ 裏切られたとしても 
 赦さなければなりません。
 憎む者までも ことごとく愛してください。
 涙を拭いて 微笑みで迎えてください。
 人をだますことしか知らぬ者たちを
 裏切りながらも 
 悔い改めのできない者たちまでも・・・。

 おお主よ! 愛するという痛みよ!
 私のこの苦痛を御覧ください!
 熱きこの胸に 主のみ手を当ててください!
 私の心臓は 深き苦悩ゆえに 
 張り裂けんばかりです。

 しかし 裏切った者たちを愛した時 
 私は勝利を勝ち取りました。
 もし あなたも 私のように愛するならば
 私はあなたに 「栄光の王冠」をお捧げします。


(Rev. Sun Myung Moon 1935年、満15歳)


「栄光の王冠」
私もそうでしたが、
誰もがこの詩を書いたお父様の年齢が
15歳であったことに驚くことでしょう。

このような詩を書ける、ということは、
その心情基準がある、ということになります。

イエス様を慕い求め、「愛する」とは、
「許す」ことは、どういう基準なのか、
本当に求め求めて得た答えなのだと思います。




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2023年02月26日

「私は、自分が〇歳だと考えています」 私が見た平和の母・文鮮明師夫人の一日 《李成萬先生》



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李成萬(イ ソンマン)花鳥苑苑長の寄稿文、
「世の中で最も美しい言葉 オモニ」から
『私が見た真のお母様の一日』のその2を紹介します。



アメリカの感謝祭の日に当たる
2014年11月30日、天正宮博物館の訓読室で
忠孝家集会が開催されました。

そのとき、真のお母様が
「私は何歳に見えますか」と質問されました。
そして自ら、「46歳だと考えています」とおっしゃいました。

当時、満71歳であられましたが、
なぜそのようにおっしゃったのでしょうか。

世界平和青年連合の会員の年齢が48歳までです。
ですから、言い換えれば、
真のお母様は今、青年のように毎日旺盛に
活動していらっしゃるという意味です。

そして、今後なさることが
それだけ多いということであり、
その摂理を成し遂げるためには、
いつまでも若者のように
健康でなければならないというお話です。


真のお母様が侍墓(シミョ)三年精誠を
ささげられていたある日のことです。

真夜中に私のスマートフォンの
カカオトークの通知音が鳴りました。

その音で目が覚め、確認してみると、
懇意にしている天正宮博物館の職員が
写真を一枚撮ってリアルタイムで送ってきたのです。

時間は午前1時か1時半です。
満月でとても明るい夜でしたが、
真のお母様が天正宮博物館の一松亭(イルソンヂョン)の下で
黙想される場面でした。

私はその写真を見た瞬間、
ぱっと飛び起きて、ひざまずかざるをえませんでした。
目からは、すぐに熱い涙が流れ落ちました。

真の父母の子女であるはずの私が、
足を伸ばしてぐっすりと眠っているのに、
真のお母様は真夜中でも
安息することがおできにならないのです。

何か、おありなのだろうか。
何を心配していらっしゃるのだろうか。
どんな説教よりも強いメッセージでした。

ほかの言葉は必要ありませんでした。
真のお母様のご心情と
ご事情を少しでも知っているのか?

写真一枚が私の胸を熱くし、
私の魂を掘り起こしました。
お母様には夜も昼もない毎日だったのです。


今年(2018年)の2月11日は小正月、
すなわち天暦1月15日でした。
月が一年のうちで最も明るく、大きな日でもあります。

真のご家庭と指導者たちが真のお母様をお迎えして、
清平にあるヘブンGバーガーの屋上で
夜遅くまで月見をしました。
寒い夜だったので、より一層記憶が明確です。

翌朝7時、天正宮博物館の朝礼に参加しました。
真のお母様は、「昨夜、衣装だんすを
整理しながら徹夜をした」とおっしゃいました。

そして、聖衣30点余りを入れたかばんを
出してくださいました。
日本の忠孝家と、苦労する食口たちを
心配されながら、夜を明かされたのです。

「私は24時間休む暇なく考え、動いています。
全祝福家庭と74億人類のためにです」とおっしゃいます。

天の父母様と真のお父様の理想実現のために、
一瞬一瞬、切迫した生活をしておられます。

寝ても覚めても、座っても立っても、
ただ天の父母様の夢、み旨成就のために
完全投入の日々を過ごしていらっしゃいます。

文字どおり、一日を千年のごとく、
千年を一日のごとく暮らしていらっしゃるのです。

李成萬
「世の中で最も美しい言葉 オモニ」


真夜中の一松亭で、
深い瞑想をしておられたという真のお母様。。。
きっとその時だけでなく、
頻繁にある光景なのかもしれません。

神様だけにしかわからない、深い心情をもって、
神様と対しておられるお母様だと感じます。

朝も昼もなく、一日千秋の思いで
投入を続けてくださる
真のお母様と、一つとなっていきたいと思うのです。





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