金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
「自分から進んでやる人」を紹介します。
☆
私が韓国を留守にしていた時のことです。
ある家庭の婦人が教会を訪ねてきました。
彼女は全然霊体験のない人で、
また勉強もしていない人です。
(文鮮明)先生の霊が彼女を支配するのです。
もう普通の顔ではありません。
霊の主管を受ける人の顔を見たことがありますか。
はっきり区別がつきます。
その人は、すべてを先生のように行います。
名前も、「誰々さん」と呼びます。
教会長であっても部長であっても、
その人の前では先生の前に座るごとく座るのです。
そしてナショナル・リーダーであっても、
教会長であっても、「誰々」と呼ぶのです。
そしたらもう、ナショナル・リーダーでも、
ひざまずいて黙っているのです。
そして、「これが間違っている。
あれが間違っている」という話をします。
私たちはそういうことをたくさん経験しました。
☆
その人から先生の霊が離れますと、
本当に済まないという顔をします。
メンバーの中には、それがなかなか信じられない人がいます。
しかし、何回もそういう体験をさせられて、
やっと分かるのです。
☆
ワシントン大会(一九七六年九月十八日)の時には、
霊界がいろいろなことを具体的に教えてくれました。
条件祈祷をして、霊能者の言いつけを守って、
様々な条件を立てたり(し)ました。
そういう時には、こういうことを今やっています
という手紙を先生に出すのです。
こういう霊界の協助がないと、
私たちの一体化というのは難しいのです。
☆
リーダーが誤っていることを、
メンバーとしてはなかなか言えません。
カインはアベルを通じていくのですから、
アベルの批判をすることを喜びません。
そういう時には、霊能者を通じて、
リーダーの過ちを教えてくれるのです。
たまには(ときには)、メンバーに夢を見させて
教えてくれることもあります。
たまたま(ときどき)統一教会の霊能者とか
統一教会のメンバーを通じて教えると、
同じ教会員ですからなかなか言うことを聞かない時があります。
そういう時には、神は統一教会のメンバーでない、
ほかの宗教人を入れて教えます。
☆
親も同じです。
親の言うことを子供が聞かない時には、
ほかの人が教えるのです。
世の中でもそうでしょう。
自分の親の言うことを聞かない者は、
警察の人が来て罰を与えたりします。
自分の家で、「お前が聞かなかったら、
大変なことになるのに」と言いながら、
教えてあげても聞かないで、
社会に出て勝手なことをして過ちを犯したら、
今度は親の代わりに警察が罰を与えるのです。
☆
私たちが言うことをよく聞いていくならば、
今お話ししたようなことはないだろうと思います。
いつもいつも難しいことを言ってすみません。
皆様がこういう話を聞かないと、
先生は御自身のことを話されませんから、
先生は私たちと同じだなあと思ってしまい、
色々つまずくことがあると思いまして、
お話ししました。
☆
先生は原理を通じて、歴史的な神の心情や
すべてのことを教えてくださいました。
そして私たち自身がどれくらい誤っているのか、
よくやっているのかを、
自分で判断できるように教えてくださるのです。
先生は「お前、これが間違っている」
「これをしなければいけない」とは教えません。
御自身の行いを見せることによって
教えようとされるのであって、
言葉で話して教えることはなかなかされません。
ですから、自分で理解して自分でやるのを、
先生は一番喜ばれます。
☆
「これをやりなさい」と言われてやるのは、
神の喜びとなりません。
お礼を言う時にも、私は親のお陰で
このようにありがたいと、心から
「ありがとうございます」と言うのを喜びます。
そうでなくて、「おいお前、
親に礼をしなければいけないよ」
と言われてからするのでは喜びません。
言われたならばよく聞き、言わなかったら
やらないという人は、出世できません。
幼い時はそれでいいのです。
それから後は、親が、神が喜ぶのを知って、
自分から進んでやる人、
言われる前に自分でやる人、
それが神が一番喜ぶ人です。
平壌開拓から興南解放
第七章 何よりも神のものを愛す
「自分から進んでやる人」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第七章 何よりも神のものを愛す
「自分から進んでやる人」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
編集・補填 文責:ten1ko2
「自分から進んでやる人」・・・
このような人になりたいですね。。。
人に言われて正されても、
本心で本当に納得しなければ、
また、同じような課題に直面した時、
乗り越えることができなかったり、
失敗を繰り返したりするのだと思います。
自分で間違いに気づき、
課題を悟って乗り越えるとき、
新たな段階に入るのでしょう。
やはり反省と改善が重要ですね。
そのためには、神様に祈っていくことを通して、
神様の願いを知ることができるし、
良心によって、自ら気付いたり
悟っていくことができると思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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