金元弼(ウォンピル)先生の講話
「何よりも神のものを愛す」より、
『段階に応じて語られるみ言』です。
☆
先生が語ってくださるみ言を聞く時、
それはただ頭や口から出るみ言ではない
ということを、まず分かってほしいのです。
長年、先生のみ言に接していますと、
先生は従来の聖人、哲人、神学者の話を
そのまま話しているのではない
ということが分かります。
先生は神学をよく御存じです。
神学者たちが今まで解決できなかった
いろいろな根本問題を、
聖書を通じて教えてくださいました。
どうしてそれが可能なのでしょうか。
統一思想を学んでみれば分かるように、
哲人たちが解決できなかったいろいろな
問題に対して、先生は的確に説明されています。
☆
どうして先生が「科学の統一に関する国際会議
(ICUS)」を考え、主催できるのか
ということを考えてごらんなさい。
先生は博士の資格をもっていません(当時)。
そういう方がどうして、ノーベル賞を
獲得している学者を集められるのでしょうか。
日本で、我々はテレビとか街頭で共産主義者との
公開討論を提起しました。
どうしてそういうことができるのでしょうか。
先生はそれをいつ習ったのでしょうか。
☆
韓国には、キリスト教系統、仏教系統、
儒教系統などの会合があります。
しかし今、韓国では霊界に通ずることを迷信視し、
非科学的なことだと言っています。
学校でもそう教えています。
それでも、最高学府を出た人であっても、
国会議員の選挙になると、占い師の所に訪ねていって、
「今度私が国会議員の選挙に出れば、
当選しますか」と尋ね、その占い師の話を聞いて
立候補したりすることがいくらでもあります。
結婚のことから事業のことまで、
全部を相談してやっています。
政治家はいわばそういう人を背景にもっているのです。
☆
昔、王様が英国を治めていた時には、
必ず王様の近くに霊能者がついていました。
宗教家を顧問にして政治を行ったのです。
政治をする人たちは、宗教家が必ず隣にいて、
アドバイスを受けたのです。
雑道の霊能者も時代によっては
真理のごとく感じられ、受け取られたわけです。
☆
現在、宗教と科学は相反するもののように
受け取られていますが、政治家は
宗教の教えに大変依存する傾向があるのです。
占星術の人たちは、人の運命をよく証してくれます。
それゆえに、何か自分に難しいことがあれば、
そういう人を訪ねるようになるのです。
韓国にはそういった人たちがたくさんいて、
それぞれ天から「私は仏様だ」「私は再臨主だ」
「党主だ」と、いろいろなお告げを受けます。
そういう人たちは、人の病気を治したり、
心霊の状態がよく分かっているのです。
そういう人によって、お金をたくさんもうけ、
成功した人もいます。
ですから社長であっても、霊能者のアドバイスを
常に受けていることがあるのです。
☆
私たちの霊能者の中にも、霊能者たちの
集いである霊友会を指導している人がいます。
一週間に一度ずつの集会があり、
そこに行けば大変おもしろいことがたくさんあります。
彼らは自分のことだけを話し誇ります。
全然人の意見を聞きません。
自分の意見が絶対だという雰囲気なのです。
ところが不思議なことに、彼らは私たちの教会員である
一人の霊能者に対しては、そうではないのです。
「私たちの指導者はあなたです」と話します。
どうしてそうなるのでしょうか。
☆
避難の路程の際に、そのことに関して
先生が話してくださったことがあります。
先生は私たちの知、あるいは心霊が成長するにつれて、
適切なみ言を下さいます。
未来に起こりうる理想の世界のことを
お話ししてくださり、私たちはそれによって、
明るい未来を見付けたのです。
また、それに反して、二つの現実に
厳しく適応するように教えてくださいました。
先生のなさっていることを見つめていると、
私たちには見えなくともある計画があって、
その計画どおりに進めておられるような感じを受けました。
☆
一つの例えを言いますと、伝道しても
人が全然来ていない時に、先生は
「今年の十月になれば、人がたくさん入ってくるだろう」
とお話ししてくださいました。
そしてそのごとくになったのです。
それはちょうど春夏秋冬の季節をすべて体験してみれば、
春の次に夏が来て、その夏は暑く、
いろいろな花が咲いて、
厚い着物を着ることができなくなることを知ります。
そのようにして春夏秋冬のすべてが分かるのです。
先生が語られることは春夏秋冬が
全然分からない人に教えているようなものです。
☆
その当時先生は、「これからは、
どうしてどうする」とは具体的に話されませんでした。
それで私たちは、時が過ぎて
その時が来てみないと分かりませんでした。
当時、私たちは「どのようにしたら神を
喜ばせることができるのだろうか」
「親の心を休ませることができるのだろうか」
と考えて、自分なりにみ言を応用して、
「こんなことをしたら喜ぶだろうか」
「ああいうことをしたら喜ぶだろうか」
というふうに気を遣った時期がありました。
ある時は、「先生が喜ぶだろう、神が喜ぶだろう」
と思ってやったところが、失敗した人たちもいました。
☆
先生は、私たちに必要なことであれば、
必ず教えてくださいます。
しかしながら、人によって成長の段階が違うわけです。
旧約以前の人もいれば、新約時代に当たる人、
成約時代に当たる人もいるのです。
そういう人たちに同じ形で教えるということは、
大変難しく無理を生ずると思います。
先生は全体にお話しなさるほかに、
いつも個人的によくアドバイスしてくださいました。
そういう意味で日曜日の説教の時間よりも、
かえって平常の時間の方が重要でした。
U 先生の道は我々の伝統
第七章 何よりも神のものを愛す
「必要に応じて語られるみ言」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第七章 何よりも神のものを愛す
「必要に応じて語られるみ言」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
わかりやすく読んでいただくため、
段落や節の区切りを再編集しています。
文責:ten1ko2
段落や節の区切りを再編集しています。
文責:ten1ko2
人類の誕生は
宇宙誕生の年月と比較すると
あまりにも短いものです。
ですから自然の法則、摂理は
私たち人類が誕生する、
はるか昔から存在していました。
人間の叡智を結集しても
神様には敵わない
とも言えるのではないでしょうか。
教会創立以前における
お父様と食口たちの心温まるやり取り。
今、お父様は地上におりませんが、
使徒行伝のように、貴い歩み、
歴史に残る歩みをしているのです。
一日一日を感謝していきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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