2023年03月10日

世界を束ねる主 段階に応じ適切に、春夏秋冬を知らない人に教えるように  《金元弼先生》



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金元弼(ウォンピル)先生の講話
「何よりも神のものを愛す」より、
『段階に応じて語られるみ言』です。



先生が語ってくださるみ言を聞く時、
それはただ頭や口から出るみ言ではない
ということを、まず分かってほしいのです。

長年、先生のみ言に接していますと、
先生は従来の聖人、哲人、神学者の話を
そのまま話しているのではない
ということが分かります。

先生は神学をよく御存じです。
神学者たちが今まで解決できなかった
いろいろな根本問題を、
聖書を通じて教えてくださいました。

どうしてそれが可能なのでしょうか。

統一思想を学んでみれば分かるように、
哲人たちが解決できなかったいろいろな
問題に対して、先生は的確に説明されています。


どうして先生が「科学の統一に関する国際会議
(ICUS)」を考え、主催できるのか
ということを考えてごらんなさい。

先生は博士の資格をもっていません(当時)。
そういう方がどうして、ノーベル賞を
獲得している学者を集められるのでしょうか。

日本で、我々はテレビとか街頭で共産主義者との
公開討論を提起しました。
どうしてそういうことができるのでしょうか。

先生はそれをいつ習ったのでしょうか。

 
韓国には、キリスト教系統、仏教系統、
儒教系統などの会合があります。

しかし今、韓国では霊界に通ずることを迷信視し、
非科学的なことだと言っています。
学校でもそう教えています。

それでも、最高学府を出た人であっても、
国会議員の選挙になると、占い師の所に訪ねていって、
「今度私が国会議員の選挙に出れば、
当選しますか」と尋ね、その占い師の話を聞いて
立候補したりすることがいくらでもあります。

結婚のことから事業のことまで、
全部を相談してやっています。
政治家はいわばそういう人を背景にもっているのです。

 
昔、王様が英国を治めていた時には、
必ず王様の近くに霊能者がついていました。
宗教家を顧問にして政治を行ったのです。

政治をする人たちは、宗教家が必ず隣にいて、
アドバイスを受けたのです。

雑道の霊能者も時代によっては
真理のごとく感じられ、受け取られたわけです。

 
現在、宗教と科学は相反するもののように
受け取られていますが、政治家は
宗教の教えに大変依存する傾向があるのです。

占星術の人たちは、人の運命をよく証してくれます。
それゆえに、何か自分に難しいことがあれば、
そういう人を訪ねるようになるのです。

韓国にはそういった人たちがたくさんいて、
それぞれ天から「私は仏様だ」「私は再臨主だ」
「党主だ」と、いろいろなお告げを受けます。

そういう人たちは、人の病気を治したり、
心霊の状態がよく分かっているのです。

そういう人によって、お金をたくさんもうけ、
成功した人もいます。
ですから社長であっても、霊能者のアドバイスを
常に受けていることがあるのです。

 
私たちの霊能者の中にも、霊能者たちの
集いである霊友会を指導している人がいます。

一週間に一度ずつの集会があり、
そこに行けば大変おもしろいことがたくさんあります。

彼らは自分のことだけを話し誇ります。
全然人の意見を聞きません。
自分の意見が絶対だという雰囲気なのです。

ところが不思議なことに、彼らは私たちの教会員である
一人の霊能者に対しては、そうではないのです。

「私たちの指導者はあなたです」と話します。
どうしてそうなるのでしょうか。

 
避難の路程の際に、そのことに関して
先生が話してくださったことがあります。

先生は私たちの知、あるいは心霊が成長するにつれて、
適切なみ言を下さいます。

未来に起こりうる理想の世界のことを
お話ししてくださり、私たちはそれによって、
明るい未来を見付けたのです。

また、それに反して、二つの現実に
厳しく適応するように教えてくださいました。

先生のなさっていることを見つめていると、
私たちには見えなくともある計画があって、
その計画どおりに進めておられるような感じを受けました。

 
一つの例えを言いますと、伝道しても
人が全然来ていない時に、先生は
「今年の十月になれば、人がたくさん入ってくるだろう」
とお話ししてくださいました。
そしてそのごとくになったのです。

それはちょうど春夏秋冬の季節をすべて体験してみれば、
春の次に夏が来て、その夏は暑く、
いろいろな花が咲いて、
厚い着物を着ることができなくなることを知ります。

そのようにして春夏秋冬のすべてが分かるのです。

先生が語られることは春夏秋冬が
全然分からない人に教えているようなものです。

 
その当時先生は、「これからは、
どうしてどうする」とは具体的に話されませんでした。

それで私たちは、時が過ぎて
その時が来てみないと分かりませんでした。

当時、私たちは「どのようにしたら神を
喜ばせることができるのだろうか」
「親の心を休ませることができるのだろうか」
と考えて、自分なりにみ言を応用して、
「こんなことをしたら喜ぶだろうか」
「ああいうことをしたら喜ぶだろうか」
というふうに気を遣った時期がありました。

ある時は、「先生が喜ぶだろう、神が喜ぶだろう」
と思ってやったところが、失敗した人たちもいました。

 
先生は、私たちに必要なことであれば、
必ず教えてくださいます。

しかしながら、人によって成長の段階が違うわけです。
旧約以前の人もいれば、新約時代に当たる人、
成約時代に当たる人もいるのです。

そういう人たちに同じ形で教えるということは、
大変難しく無理を生ずると思います。

先生は全体にお話しなさるほかに、
いつも個人的によくアドバイスしてくださいました。
そういう意味で日曜日の説教の時間よりも、
かえって平常の時間の方が重要でした。

U 先生の道は我々の伝統
第七章 何よりも神のものを愛す
「必要に応じて語られるみ言」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
わかりやすく読んでいただくため、
段落や節の区切りを再編集しています。
文責:ten1ko2


人類の誕生は
宇宙誕生の年月と比較すると
あまりにも短いものです。

ですから自然の法則、摂理は
私たち人類が誕生する、
はるか昔から存在していました。

人間の叡智を結集しても
神様には敵わない
とも言えるのではないでしょうか。

教会創立以前における
お父様と食口たちの心温まるやり取り。

今、お父様は地上におりませんが、
使徒行伝のように、貴い歩み、
歴史に残る歩みをしているのです。
一日一日を感謝していきたいと思います。




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posted by ten1ko2 at 11:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする