李相軒(イ・サンホン)先生が霊界から
送ってこられたメッセージ。
今日は、家庭連合の信徒たちがいく
「統一霊界圏」についてです。
☆
統一霊界圏を説明するなら、
「ここは、本当に天国です。
ここは、本当にエデンです。
ここは、本当に平和です。
ここは、本当に幸福です。
ここは、本当に希望があふれる所です。
ここは、本当に愛の園です。
ここは、本当に恍惚(こうこつ)です。
ここは、本当に愛の芽が芽生える所です。
表現できない美しさの絶頂をなした至聖所です」
と言うしかありません。
☆
ここで興進(フンヂン)様は、いつも静かで謙遜に、
そして細やかに、すべてを先頭に立って
なさろうとしています。
そして、すべてのことは、いつも
神様に尋ねながら解決なさっています。
階層別にもれなく回られながら、
事情を聞いて、慰めたりもなさいます。
ここでは、朴鍾九(パクチョング)宣教師が、
いつも興進様に仕えて随行して回っていますが、
あまり大変な所は行かれないようにしながら、
代わりに仕事を処理したりしています。
☆
また、大母様(テモニム)はいつも祈って、
興進様のために精誠を捧げていらっしゃいます。
ただひたすらに、父母様の寿命が
永遠なることを願われる一念で暮らしていらっしゃいます。
忠母様(チュンモニム)は、いつも大母様のそばに
ついて回られながら、「大きなお母さん」と言い、
一つ一つ小さなことまでも習おうと努力されています。
☆
ここで実に興味深い光景がありました。
大母様御夫妻と忠母様御夫妻が集まって
話を交わされて、互いに見つめながら、
「サドン(姻戚)同士、互いに楽しく過ごしましょう。
互いに気兼ねするので、私たちの間に
あまりにも距離があるようです」
と大母様の夫が言われるのです。
すると横にいらっしゃった大母様が
「サドンがどうしてさらけ出して
過ごすことができる間柄なのですか。
気兼ねして過ごすのが当然ではないですか」
と言われました。
忠母様は、いつも気兼ねしながら、
学ぼうととても努力していらっしゃいます。
☆
劉孝元(ユヒョウォン)協会長は、
立っても座っても原理講義をなさいます。
食口(シック)同士、楽に座って話をしても
再び原理講義をする姿に戻ってしまう方であられます。
原理講義それ自体が、その方の生命だといいます。
☆
このような良い雰囲気の中でも、
良くないこともあります。
また、食口たちがここにたくさんいても、
すべてが幸福ではないのです。
あらわにされた自分の罪名をぶら下げて回るので、
それが蕩減(とうげん)されるまでに
経験するその蔑視と痛みは、
口に出して言えないものです。
☆
天国に高低がないのではありません。
そこにも、いくつかの高低があります。
しかし、これ以上のことは省略します。
簡単に言えば、地上生活の延長が天上生活です。
霊界という所は、自分の人生の実をもって、
倉庫に入っていくことに例えることができます。
ところで、穀物より貴重なものは、
相手のために生きようとする姿勢です。
原理で習った授受作用の根本が、
相手のために生きることです。
自分より他のために生きる人生に
ならなくてはならないのです。
(1997年8月21日)
☆
李相軒院長が終わりに下さったメッセージ霊界の法は、地上のように値引きは全くありません。
この法度に引っ掛からない基準となるのは、
天上の生活ではなく、地上の生活です。
いつも霊界の生活を準備する心で、
私が行くべき霊界はどこだろうか
という心で生きなければなりません。
もし、この法度から逸脱すれば、
自分の霊魂が行くべき所は、天道に従って、
そのまま落とし穴に引っ掛かるしかありません。
ですから、地上の生活を正しく生きなければなりません。
李相軒(1914〜1997)(光言社刊
『霊界の実相と地上生活』【霊界の様相編】より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第三章 原理から見た霊界の暮らし
十八 統一霊界圏
霊界の実相と地上生活(35)
統一霊界圏
Blessed Lifeより
『霊界の実相と地上生活』【霊界の様相編】より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第三章 原理から見た霊界の暮らし
十八 統一霊界圏
霊界の実相と地上生活(35)
統一霊界圏
Blessed Lifeより
☆
わかりやすく読んでいただくため、
段落や節の区切りを再編集しています。
文責:ten1ko2
段落や節の区切りを再編集しています。
文責:ten1ko2
天国というところは、
言葉で表現できないくらい
素晴らしいところである、といいます。
また、統一霊界圏、というところも
素晴らしいところではありますが、
李相軒先生は、「高低がある」と言われています。
やはり、地上生活の歩みが
重要であるということなのですね。。。
毎日毎日を感謝の心情をもって、
ために生きる生活、
悔いのない歩みをしていきたい、
今日もそんな心情をもっていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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