自己牧会プログラム。
今回は、『手をつながないつもりだったけど』。
家庭をもつ前の4日間のセミナーに
参加した女性の体験談です。
マリッジブルーというのがありますが、
祝福結婚であっても、
やはりあるようですね。
☆
(女性 30代)
家庭修練会に参加しました。
本当はボイコット計画も立てていたくらい、
葛藤を抱えていたのですが、
それでも良心の導きで参加することになりました。
講義の合間に毎回、
「私はこういう恩恵を受けた」という話を
主体者(夫となる相手)にしていたところ、
彼の堪忍袋の緒が切れて、
「感想なんてない!」と言い出しました。
それが家庭修3日目の午後でした。
感想がないなんて!
心も頭もあるでしょ!
理解できない!
「明日はもう閉講式なのに、どうしよう」
と、心の迷路にはまりました。
いろいろと祈ってみるのですが、
「ごめんなさい」が言えない私でした。
☆
そこで、「私は今、自分本意の考えに
囚(とら)われている」と唱えながら、
「自覚を取り戻す」ワーク*を始めました。
すると次第に、「家庭というのはこうありたい」
「変な道にそれてしまいたくない」
「み言に即して思い描いた理想的な姿になりたい」
「間違ってはいけない」
「だからこうしてほしい」
という、たくさんの“正しさ”で
自分の理想を守ろうとする思いが
強く強く働いていることが分かってきたのです。
ようやく心の霧が晴れて、
本当は自分に尽くしてくれている
主体者の優しさ、思いやりが見えてきた感じがしました。
☆
しかし実際は、主体者は私を無視、
私も彼を無視──。
その状態のまま最終日になり、
講話の時間に43双の大先輩をお迎えしました。
よりによって私たちの席は一番前!
主体者の反応が心配でした。
しかし隣の主体者の波動は穏やかで、
どうやら講話に聴き入っているようでした。
「え? 感想も何もないって言っていたのに、
なんなのこの人!」と思っていたら、
やがて携帯をいじりだす彼…。
「講話中に何やってるの!」
注意してやろうかと思いましたが、
今はお話に意識を集中する時だと思い直し、
言うのはやめました。
☆
そんなこんなで、最後の祝祷も
手をつながないつもりだったのですが、
導かれて手をつなぎ、思いがけず涙の場となりました。
後から彼に聞くと、携帯をいじっていたのは、
大事な話だから私のために
録音をしてくれていたのでした。
すったもんだありましたが、
主体者を心の目**で見つめ、
一つになる方向に導かれています。
自己牧会プログラムの実践のおかげだと
感謝しています。
私の心の中にいる神様 164
手をつながないつもりだったけど
手をつながないつもりだったけど
☆
*自覚を取り戻すワーク:
自己本位の思考をしている自分を
客観的に眺める位置に立ち(自分を客観視)、
今ここは、自由・平和・統一・幸福な
世界があるだけだとイメージする。
ワークは、ここでは祈り、瞑想
**心の目:神の目。
自己中心的な一方的な見方ではなく、
万民を愛する神の視点、愛情をもった広い視点。
自己本位の思考をしている自分を
客観的に眺める位置に立ち(自分を客観視)、
今ここは、自由・平和・統一・幸福な
世界があるだけだとイメージする。
ワークは、ここでは祈り、瞑想
**心の目:神の目。
自己中心的な一方的な見方ではなく、
万民を愛する神の視点、愛情をもった広い視点。
携帯をいじっている男性の姿。
見た目とは違い、奥様のために録音していたとは。。。
どんな動機で行動しているかは、
外見では全くわからないな、と思います。
「感想なんてない!」という言動も、
本当は違っていたのでしょう。
男性側の感想も聞いてみたいですね。
特に結婚前の女性は、結婚というものに
淡い理想をもっているといいます。
本人は淡いものだと思っていても、
いざ結婚、とそれが現実になると、
さまざま具体的になってきます。
すべてを丸呑みできないので、細かい所で
いろんな葛藤がおきているのかもしれません。
男性と女性は本当に違いますし、
育った家庭環境も違うのですから、
当然と思っていることが
お互い違っていたりすることでしょう。
話し合って理解していくことも
とても大切でしょう。
お互いに知って理解することも必要でしょう。
より理解し合う関係を築くためにも、
物事を平面的、外見で捉えるのではなく、
その背後の深い心情を求めていけるよう、
良心に尋ね求める習慣を持ちたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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