金元弼先生のみ言
「何よりも神のものを愛す」より
『勝利基盤の上で語られるみ言』を紹介します。
☆
先生は時々、「あなたの顔を
鏡で見て御覧なさい」と言われます。
「お前の顔は、上向きになるのが美しい」とか、
「笑う時には、こうした方が美しい」とか、
色々気を配ってくださいます。
心はそうでなくとも、顔つき、座り方、
いろいろなことによって、
人々にいい感じを与えたり、
良くない感じを与えたりすることがあるのです。
☆
皆様の中にも、顔を変えなければいけない人が、
たくさんいます。
顔が上向きになるのと、下向きになるのと、
正面向きになるのとでは、表情が全然違ってきます。
例えば、私がここにきちんと立って話すのと、
近寄って話すのとどう違いますか。
笑顔を作って話すのと、厳かな
恐縮した形で話すのとまた違います。
先生はそういう点まで非常に細かいのです。
私は初めて会った人でも、笑いながら話す習慣があります。
私が笑顔でやっていくものだから、
気持ち悪く感じたらしく、言葉も通じないから、
誤解されてにらまれたこともありました。
「あまり笑顔で話しかけると軽く見られるんだ」
と先生が教えてくださいました。
また髪の毛を真ん中から分けた時も、
「こちらの方から分けなさい」と言われました。
☆
そのように先生は女性会員でも、男性会員でも、
一々そういうところまで気を付けて、
人のたくさんいるところではなく、
先生と二人でいる時に、静かに教えてくださいました。
ですから、中心に立つ者は
メンバーを嫌いになってはいけません。
いやになったら、もう何もできません。
先生がそのようにしてくださると、
私たちは先生を好きになって、
どんどん話したくなります。
初期のころ先生は、若い人の話も
年取っている人の話も、
おじいさんの話もおばあさんの話も、
よく聞いてくださいました。
そのころはおじいさん、おばあさんを
仲間にして話し合ってくださった時期だと思います。
中間期には、壮年の方とよくお話しされました。
今の時期は青年の時代です。
☆
先生は、「人のために尽くしなさい。
指導者はこういうものです」
と色々話してくださいますけれども、
それは御自身が勝利された上で
話してくださるみ言なのです。
先生のみ言がどこからどのようにして出てくるのか
ということを考えた時の結論です。
心情という言葉も、一九六〇年の
二、三年前から初めて使われました。
そういうのはたくさんあります。
U 先生の道は我々の伝統
第七章 何よりも神のものを愛す
「勝利基盤の上で語られるみ言」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第七章 何よりも神のものを愛す
「勝利基盤の上で語られるみ言」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
わかりやすく読んでいただくため、
段落や節の区切りを再編集しています。
文責:ten1ko2
段落や節の区切りを再編集しています。
文責:ten1ko2
一人一人の食口に対し、
ただみ言を語られるだけでなく、
生活面でもご指導された
お父様であったと思います。
また、身なり服装は、
自分のためではなく、回りの人のために
整えていかなければならない、
そのことを改めて感じます。
身近な食口に対して、
愛をもって接してくださるお父様が、
恋しく、懐かしく思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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その限りではありません)