自己牧会プログラム。
今回は、「お便り&コメント」シリーズとして、
『子女に恵まれず寂しいです』
を紹介します。
☆
真の父母様が、「第二の神様」であると言われた“良心”。自分の心の中にいる神様―良心―と対話(瞑想、祈り)することによって、本然の自分を取り戻していくことができます。
今回は、「自己牧会プログラム」事務局に寄せられたお便りと、それに対する同事務局からのコメントをご紹介しましょう!
☆
3万双のマッチング家庭です。
私たち夫婦は子女に恵まれませんでした。
同年代の祝福家庭たちは、孫を持つ年代です。
最近、特に親しくしている姉妹に
初孫が生まれると聞きました。
口では「おめでとう」と言いながら、
心には耐え難い寂しさがあります。
どうして心から喜んであげられないのか、
自分の心の狭さに嫌気が差してしまいます。
どうしたら、青空のように澄んだ心で、
喜んであげることができるでしょうか。(女性 50代)
☆
あなたには間違いなく、
「他の祝福家庭に孫が生まれてくることを、
青空のように澄んだ心で喜んであげられる」
本性があります。
ただ、今、それを感じられなくなっているだけです。
では、このような本性を取り戻すためには、
どうしたらいいでしょうか。
あなたは、子供ができなかった自分を
責めていませんか?
もしそうであれば、まずそのことに気付き、
その囚(とら)われを下ろす*ことから始めてみましょう。
確かに、み言を知った私たちには、
「子供ができなければ、孫ができなければ、
三代圏ができなければ、理想家庭とは
言えないのではないか」という思考が巡ります。
理想はそうだとしても、そのようにできない家庭も
実際にはあるのです。
だから終わりかというと、そうではありません。
夫婦愛を豊かに育み、兄弟姉妹の子供たち、
孫たちをわが子、孫のようにして愛することによって、
また伝道して信仰の子女を育むことを通して、
父母の心情を復帰していく道があります。
同様の葛藤を抱えたご夫婦はたくさんいらっしゃいます。
そういうかたがたと交流を深め、
心の世界を共有するとよいと思います。
子供がいないということ以外にも、
祝福を受けたいと思っても生涯独身の場合もありますし、
相対者を早く亡くして
一人で生きていらっしゃるかたもいます。
子供はできたけれども障害があるという場合もあります。
生きている限り、私たちには心配が絶えません。
でも、そのことだけに囚われて生きていたら、
もったいないでしょう。
ないものを見て囚われるではなく、
今ここにあるもの、
与えられているものを数えてみてください。
そうすれば、神様の愛が至る所に
あふれていることに気付くはずです。
そのように生活していけば、いつか、
「比較しては寂しさを感じて喜べなかった」
ということが過去のことになります。
そして、人の喜びを「青空のように澄んだ心」で
喜べるようになると思います。
「神様に侍れば、全ての問題が解決する」
というのが真のお母様のみ言です。
神様の懐に帰るまで、私たちの人生には
「神様の愛」というレールが敷かれています。
全てが与えられているんだと信じて、
神様に侍り、励まし合いながら歩んでいきましょう。
私の心の中にいる神様 134
「お便り&コメント」シリーズ㉑
子女に恵まれず寂しいです
「お便り&コメント」シリーズ㉑
子女に恵まれず寂しいです
☆
*囚われを下す:自分のもつ固定概念(例えば「私だけが正しい」
という思い)に気づき、祈り(瞑想)によって
自分自身を解放する自己牧会プログラムのワーク。
「○○でなくて大丈夫」
「思い通りでなくて大丈夫」と唱え、
よい点を探し、感謝する。
さらに、相手を祝福する思いで祈る。
わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集し
()書きで注釈を加えることがあります
文責:ten1ko2
行区切りや段落等の区切りを再編集し
()書きで注釈を加えることがあります
文責:ten1ko2
私たちは、みな「こうありたい」という願いをもっています。
しかし、人を愛せない、同じように喜べない、
このような思いも、やはりあります。
いわゆる堕落性ですね。
そんな自分は嫌なのに、
よいことを思った次の瞬間に
別の思いが心をよぎります。
理想と現実、そのギャップを埋めるのは
簡単ではないですね。。。
マイナス的な現実に意識を奪われるのでなく、
また、周りと比較するのではなく、
心情を共有し、また、今の現実において、
最大限なせることを精一杯果たしていきたいです。
そのためには、「今のままで大丈夫」
「思い通りでなくて大丈夫」と、
凝り固まった自分の心を
ほぐすことも必要でしょう。
そうしたうえで、与えられているものを
感謝していく。。。
「神様に侍れば、全ての問題が解決する」
このみ言が希望です。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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