金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
「み言を実践すれば神が分かる」です。
☆
み言も、先生が勝利された後で、
私たちに与えてくださるものです。
試験をし、勝利して初めて、
一つ一つ与えてくださるわけです。
人から聞いた話を語るのではありません。
だから先生は、尽きないで
何回でもみ言を語ることができるのです。
☆
頭で習ってやったものは、
何回かすればやりたくなくなります。
そういう言葉は、人の頭の復興は
できるかもしれませんが、生命の復興はできません。
そこが違うのです。
「人のために尽くしましょう」という同じみ言でも、
語る人によって感動は違うのです。
あなたとメンバーと同じことを言っても、
受け取る内容は違ってきます。
☆
まずみ言を自分のものとする過程が
必要であることを忘れないでください。
統一教会で長年やってきても、
そういうことをしなければ、喜びがなく、
み言の価値が分かりません。
よく語る人がいいですか、
話さなくてもよく行う人がいいですか。
言葉で「愛する、愛する」という人より、
「愛する」とは一度も言ったことがなくても、
愛してくれる人が好きでしょう。
☆
例えていいますと、話をする時は
全部を話さないで、十あれば
三ぐらいを残しなさいということです。
話をたくさんすると、その後で
おなかが空いたように、何かむなしさを感じます。
自分にいっぱいあったものも、
全部あげてしまえばなくなるでしょう。
例えば一〇〇〇ポンド持っていたとしましょう。
それを与える時は気持ち良くても、
全部与えた後は、何もなくなるから
むなしいのです。
それと同じです。
そのむなしさは、満たされなければいけません。
そしてそのためには、基盤がなければいけません。
お金を稼ごうとしたら資本金、
種になるお金が必要です。
それがあれば、すぐまた増やせるのと同じです。
☆
昔、聖パウロが天上の情景を見ました。
それを十三年後になって人々に証したのです。
なぜか分かりますか。
貴重さというのは全部分けてあげると
感じなくなります。
自分だけがもっている時にこそ、宝石なのです。
この人もあの人も持っていたら、価値がなくなります。
それゆえ彼は、十三年前に見た
天上の情景の感激を、自分一人でもっていたのです。
伝道に出掛けても、たくさんの迫害を受け、
自分自身がダウンするような時にも、
その情景を思い出して、また力を出して
勝ち抜いていくことができました。
☆
人を教えるのは、それ以上のものをもっている時です。
そうでないのに、どんどん出してしまうと、
何もなくなるから、ほかの人のところに行って、
力を補ってもらわなければいけなくなります。
神はまず、自分のものにしなさい、
その次に人に分け与えなさいと言って、
祝福を与えたのです。
そうすれば、神の祝福は全部、
全体に行きわたります。
☆
ところが、自分が一致化せずに、
つまり自分のものにせずに、
ほかの人に与え、その人自身も
自分のものとせずに、また人に与えたら、
その人たちは全部空になります。
そしてその一番末には誰がいるかというと、
そこにはサタンがいるのです。
そうすると、この人たちは
全部がサタンの側に入ってきます。
神は愛する人にみ言と祝福を与えたけれども、
自分のものとしなかったがゆえに、
その祝福を誰がもっていくかというと、
サタンがもっていくのです。
☆
皆様がいろいろな兄弟たちに教えたり、
お話ししたりする時には、
まず自分のものとする努力、
一致化させる期間が必要であることを
忘れないようにしてください。
み言をそのまま行ってみると、
神のみ言、人格、心情も全部分かってきます。
☆
わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集し
括弧書きで注釈を加えることがあります
文責:ten1ko2
行区切りや段落等の区切りを再編集し
括弧書きで注釈を加えることがあります
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み言は人に話すためのものではなく、
自分自身のためにある。。。
そして、話すよりも実践すること。
このことを肝に銘じていかなければ
改めて思わされました。
私自身は話すのは本当に苦手なのですが、
そういうことに気を取られるのではなく、
言葉少なくても、実践して、体恤する。
これが何よりも大事なことだと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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