ずいぶん古い記事になりますが、
金起勲(キム・ギフン)アメリカ分苑長が、
北米大陸会長だった頃、ニューヨーク家庭教会で
語られた説教から抜粋します。(2014年のみ言です)
☆
「お母さん」−世界で最も美しい言葉
「お母さん」−世界で最も美しい言葉
皆さん、ヨハネ3章16節を御存じでしょう。
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして
滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』
私たちは御子なしに救いを受けて
神の国に入ることは誰ひとりできません。
6000年間、私たちは待ち続けてきました。
天の父母様は2000年前、
独り子、イエス・キリストを送って下さいました。
☆
独り子
イエスを中心にキリスト教は2000年の間、
迫害を受けながら発展してきました。
私たちは天の父母様とイエス様に栄光を
帰してきましたが、キリスト教徒は
何百年もの間迫害を受けてきました。
2000年前のキリスト教の宣教は
「神様の独り子」を証することでした。
私たちはそのお方を「独り子」、
「メシア」、「救い主」と呼びます。
今、真のお母様は「独り子」の使命を
―「独り娘」を見つけること―であると話されます。
わたしはこの「独り娘」という言葉について、
真のお父様が600巻の講演集の中で
400か所以上の所で話しておられるのを見出しました。
真のお父様は2000年前のイエス様と同じく、
救い主として来られましたが、
わたしたちは良く理解できていませんでした。
しかし真のお母様はより深くより鋭く理解しておられました。
神様の摂理と独り子、メシア、救い主について
理解を進める必要があります。
近頃、「メシア」「救い主」という言葉は
世間であまり使われなくなりました。
我々の教会の中でもあまり使われなくなっています。
ところが真のお母様は真の父母を証する時は
いつもこの言葉を用いられます。
☆
「独り娘」とは何者なのか?
現在、数多くの学者が「独り娘」をとりあげ、
その意味を研究しています。
真のお母様の位置です。
お父様は信じるけれどお母様は・・・と言う人がいますが、
それは間違っているし、愚かしいことです。
☆
世界で一番美しい言葉は何だと思いますか?
英国のある文化調査機関が多くの人を対象に
調査したところによればそれは「お母さん」
という言葉だといいます。
わたしの母はいつもわたしを信じてくれました。
風邪を引けば最初に気付いてくれました。
成績が良かった時最初に気がついてくれたのも母でした。
何でも家族の誰よりも先に気付いてくれるのです。
真のお母様も同じです。
☆
統一原理は終末には救い主が父母として来られる
と明言しています。
真の父母がいなければ誰も救われません。
真の父母は独り子、独り娘であると私たちは信じています。
2000年前、神様はイエスを独り子として送られました。
彼を通してのみ救いを受け、神様の愛を感じることができます。
今日、私たちは真の父母の生涯路程を知り、
真の父母がイエスの立場で来られたということを理解しました。
真の父母は人類と世界の救い主であられます。
統一家の食口の皆さん、私たちは
神の歴史の新しいページを書いているのです。
☆
歴史を貫く救い主の必要性
どのように天一国が実現するのだろうと考えてみる時、
どのように、またどれくらい
時間がかかるのだろうと思いましたね。
2020年に出来るのか、
100年、200年あるいは300年後か。
「神様、感謝します。
今日、私は喜びと愛と平和を得ました。
幸せです。
私は本当に天国にいます。」
このように、生命の源となる4つの要素、
喜び、愛、平和、幸福を実感できる時こそ
天一国が実現する時です。
これは真の父母様、メシア、救い主なしには不可能です。
☆
キリスト教はどのように当時の世界最強国家、
ローマ帝国を征服したのでしょうか。
どのように国家宗教の位置を勝ち取ったのでしょう。
イエスの弟子である彼らは苦労し、迫害を受けました。
キリスト教はペンテコステ(聖霊降臨)の体験から始まりました。
120人の弟子に復活したイエスが顕れ
「私はまた来る。私はあなた方と共にある。」
という約束をしました。
その約束と聖霊降臨を通してメシア降臨を信じました。
弟子たちはそういう関係をイエスと結んだのです。
彼らは100パーセント、イエスを救い主として信じました。
パウロや第2世代のキリスト教徒も
イエスとの出会いを体験しました。
イエスは神の下に帰ったにもかかわらず、
イエスに出会い霊的覚醒を体験しました。
説教、実践、他を助けることを通して
彼らは霊的存在であるイエスを信じ、
イエスの愛で他を愛しました。
他の為に生きることで、新しい文化を形成し、
400年後に神様に勝利をもたらしローマを勝ち取りました。
☆
天一国実現まで400年待たなければなりませんか?
私たちの路程を含め、歴史的中心家庭の失敗の
教訓を通して私たちは多くを学びました。
真の父母様を再臨主、メシア、救世主と信じ、
実践するとき、霊的に覚醒し、
祝福家庭の理想を維持できるのです。
真の父母様は「為に生きる」文化を
打ち立てて欲しいと願っておられるのです。
☆
家庭の価値を理解する
かつて私はミネアポリス(ミネソタ州)地区の
責任者をしていましたが、その時、
真のお父様がテキサスで地区長会議を招集されました。
朝食会でその場の最年少だった私に、
お父様がUTS(統一神学校)に行くようにいわれました。
ミネアポリスで真の父母様の講演を
計画しているところだったので
UTSに行くどころではありませんでしたが、
お父様が言われる通りにしました。
簡単ではありませんでしたが、
地区責任者抜きでミネアポリスに
ご父母様をお迎えするということは
素晴らしい結果をもたらしました。
「どうして今日、私はここにいるのですか。」と、
UTSの聖地で40日間祈り続けました。
私の祈りに対する答えは次のような問いかけでした。
「お前はUTSを卒業した後、どうしたいのか。
大きな教会の素晴らしい牧会者になりたいのか、
それともNGOの責任者になって
偉大な経営者として大金を稼ぎたいのか、
あるいは統一教会の良き牧会者になりたいのか。」
私は統一教会の良き牧会者になりたいと答えました。
すると「おまえは真の父母がお前を統一家の
最高の牧会者にできることを知らなければならない」
と答えがありました。
神学課程と真のお父様の家庭理想に関する
論文の執筆の過程で、真の父母様と
祝福家庭についての理解を深めることができました。
真の父母様は私たちのために
祝福結婚を与えて下さると皆思っていますが、
神様のために与えて下さっているのです。
☆
私たちの使命
私たちは単にニューヨーク家庭教会の
メンバーではありません。
私たちの使命はただ教会員にとどまるのではなく
天一国の主人になることです。
天一国が見えますか。
天一国の主体はだれですか。
私達です。
私達が天一国の主人です。
これこそ神の国であり主体は私の家庭、
あなたの家庭です。
☆
真のお母様は、許し、愛し、
一つになることを強調されました。
お父様がニクソンのウォーターゲート事件で用いられて以来、
久しぶりにこの言葉を聞いて衝撃を受けました。
許すことなしに授受作用はできません。
そして授受作用なしに力を得ることができません。
愛は力です。
神様を中心とする愛こそ最強です。
その愛で一つになれるのです。
真のお母様が再び神様の独り子、独り娘を中心として、
このみ言を統一運動と世界に与えて下さいました。
70億人類を救う道はこれしかありません。
今年(2014年)初め、真のお母様は尋ねられました。
「今、私たちの目的地はどこでしょう。
どのようにすれば皆が同じゴールにたどり着くことができますか」
☆
天聖経によれば私たちは3つのことをしなければなりません。
1)真の父母様の伝統を相続すること。
命を懸けて、父母様の遺業と伝統を
実践しなければなりません。
これが神様の第1祝福です。
2)真の父母様の教えに従って家庭理想を
完成しなければなりません。
UTSで学んでいる時、カトリックの神父さんが
「統一教会の理想は素晴らしすぎて実現不可能だ」
と言ったことがあります。
実践するにはあまりに理想主義的だというのです。
しかし深く慎重に学べば、
理想的すぎる事はないことが分かります。
3)氏族メシアの責任分担を果たして
自分の家庭から神の国を実現しなければなりません。
このことなしに天一国に飛躍することはできません。
自分と自分の家庭が備わっていなければ、
氏族が整うことはありません。
真の父母様と神様が天一国を用意して下さっていたとしても、
まず自分と家庭を省みなければ実現はできません。
「お母さん」−世界で最も美しい言葉
2014年9月7日、ニューヨーク家庭教会
Family Forum.Jp より
2014年9月7日、ニューヨーク家庭教会
Family Forum.Jp より
☆
わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集し
括弧書きで注釈を加えることがあります
文責:ten1ko2
行区切りや段落等の区切りを再編集し
括弧書きで注釈を加えることがあります
文責:ten1ko2
2014年のみ言ですが、
今なお、大切な内容ですね。
独生女として立たれている
真のお母様がおられる、というのは、
どれだけ貴いことでしょうか。
天一国は、まだ地上に実現していません。
そのためには、まずは、私自身が
堕落性を脱いで、主人にふさわしい者となるよう、
日々精誠を捧げていかなければなりません。
そのためにも、何よりも
お母様と一つになっていくこと、
それがすべての原点であることを
意識していきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)