柴沼先生のメッセージ。
「真の父母様とはどのような方か@
神様を最もよく知るチャンピオン」です。
☆
■神様と同じ事情と心情を通過された方
私は統一原理を聞く前は、神様のことを、
愛の方であり、全知全能であり、
問題を抱える人間を救い出す
絶対者であると考えていました。
ですから、そんな神様がなぜ、こんなにも
不平等で、悲惨な世界を変えることができないのか、
特に、何も悪いことをしていない子供たちが
飢え苦しんで死んでいくのを見過ごしているのか、
不思議でなりませんでした。
また、堕落世界を救うために
メシヤが必要であるというなら、
アダムとエバが堕落した後、
すぐにイエス様を送ればよかったのに、
なぜ送ってくださらなかったのか。
そうしていれば、こんな悲惨な
闘争と分裂の世界が続くことはなかったはずなのに、
という疑問を抱えていたのです。
☆
そのような中で聞いた「原理」は、
私の疑問の全てに答えてくれました。
特に、アダムとエバが神様に反逆し、
神様から離れた後、神様の悲惨で
孤独な復帰の道がどのように進んできたのか、
そして、なぜメシヤをすぐに送ることが
できなかったのかなど、全てのなぞが氷解したのです。
そのときの驚きと感動、そして、
親なる神様の言うに言えない心情が
胸に迫って慟哭したことを、
きのうのことのように覚えています。
☆
神様の心情を解明できるのは、
神様が歩んでこられた復帰の道と同じ道を
通過した人であるはずです。
ですから真の父母様は、神様の復帰の道を
同じように通過され、その心情や事情を
つぶさに味わってこられたに違いないと感じました。
また真の父母様のみ言を通して、
イエス様の使命と、その使命を全うできずに
十字架の道を歩まなければならない
イエス様の苦渋の心情を知らされたとき、
特にイエス様のゲツセマネの祈りの
真意を知らされたとき、真の父母様は
イエス様と同じ「神の独り子」であると確信したのです。
このことは、私の生涯の歩む道を
決定づける衝撃となりました。
☆
■尊敬や賛美ではなく、無条件に涙の道を選ばれた
真のお父様は次のように語っておられます。
「先生が生来の実力を伸ばして
世俗的な分野に応用していったなら、
偉大な実業家にでも、大政治家にでもなれるし、
様々な分野で大いなる名声と尊敬を
勝ち得る人物になれるでしょう。
しかしそれだけの能力や実力をもっていながら、
そういう方向には行かなかった先生です。
そして、生涯において、先生より多く
涙を流した者がいるでしょうか。
苦難の道は避けられないものでは
なかったのですが、
神のために、無条件に、涙の道を選びました。
人々から尊敬と賛美を受けつつ
歓迎される道もありました。
しかし先生は、神御自身がそういう立場に
おられないことをよく知っていたのです。
では、先生は初めから何の個人的願望も、
青年のもつ青空のごとき夢も希望も、
もっていなかったかというと、そうではなく、
当然、大志を、夢を抱いていながらも、
それらをすべて自ら捨てて、
『いつの日かこういうふうに』という
希望の扉のすべてを自らの手で閉じて、
人生の最も悲惨なる道を選んだのです。
ただ悲しい神の友になりたかったからです。
あなた方もまた、ある意味では同様に
苦難を負って歩んでいるのですが、
それは過去において先生が既に通過してきた道を
引き継いでいるだけです。
そして私たちがこのように自ら進んで
苦難を引き継ぎ、それを負っていくのは、
ただただ神を知ったためです」(『祝福家庭と理想天国〈U〉』626〜627ページ)
このようにお父様は、神様の悲しみを解放するために、
無条件に涙の道を選ばれたのです。
☆
■真のお父様の温かい手に感じた神様の愛
1965年1月28日、お父様は日本留学以来、
初めて来日されました。
第1次世界巡回路程の初めに立ち寄られたのです。
私が入教して2か月余りのときでした。
ちょうど和歌山開拓をしていた私は、
2月2日に、聖地を決定するため大阪に来られた
お父様を大阪教会でお迎えすることができました。
このときのお父様との初めての出会いが、
私の人生をより深く、決定づけることとなりました。
☆
もちろん、お父様はメシヤであるとの
確信を持ってお会いしたのですが、
お父様は特別、神秘的ではありませんでした。
白いガウンのようなものを召されていると
想像していたので、背広を着て
登場されたときは、正直びっくりしました。
しかしながら、語られるみ言と
私たちに対されるお姿はまさしく真の父であり、
幼い私たちに分かりやすく語られるお姿の背後に、
神様の愛が感じられたのです。
特に印象に残ったみ言は、
「私は誰よりも日本を愛するために
日本に来たので、私は日本人だよ」
「エサウがヤコブに屈伏したのは、
愛による自然屈伏である」
という内容でした。
☆
お父様は、大阪を出発する前に
一人一人と握手をしてくださいました。
そのときの、私の手を包み込むような
温かな手の感触は、今でも生々しく残っています。
正に神様の愛にすっぽりと包まれたような感じでした。
そのとき以来、私は神様と真の父母様に愛されている
貴い存在なんだとの確信が芽生え、
これが私の信仰生活の支えとなりました。
☆
お父様は「平和メッセージ13」の中で、
「8つの分野でチャンピオンの呼称を
受けるようになりました」
(『平和経』1587ページ)と語られましたが、
その8つの分野の第1が
「神様を最もよく知るチャンピオン」です。
このみ言どおり、真の父母様こそが
神様を誰よりも知るチャンピオンであることを、
私は確信するのです。
天一国特別巡回師に聞く
神霊と真理に満ちた教会を目指して 第6回
真の父母様とはどのような方か@
神様を最もよく知るチャンピオン
天一国特別巡回師 柴沼邦彦
(中和新聞Online)
神霊と真理に満ちた教会を目指して 第6回
真の父母様とはどのような方か@
神様を最もよく知るチャンピオン
天一国特別巡回師 柴沼邦彦
(中和新聞Online)
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わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集し
括弧書きで注釈を加えることがあります
文責:ten1ko2
行区切りや段落等の区切りを再編集し
括弧書きで注釈を加えることがあります
文責:ten1ko2
「神様の心情を知る者は、同じ道を通過した人である」
それがイエス様であり、真の父母様であるのです。
お父様は何時間も何十時間も祈りに祈り、
神様に求めに求めていかれました。
そして、「ただ悲しい神の友になりたかった」
そんな思いを持たれて、この道を出発されたのです。
どんな困難な道も
乗り越えていかれた真の父母様。。。
私たちもそんな真の父母様に出会いました。
父母様のようには、なることは決してできませんが、
少しでも、孝情の心情で歩んでいきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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