史吉子(サ キルジャ)先生のみ言、
「原理に関するみ言の証」より、
『霊人体の成長と完成』の部分を抜粋して紹介します。
☆
私がお父様に近くで侍りながら見ると、
お父様はこんな事実をよくご存じです。
青坡洞の旧本部教会で礼拝を受けていた頃は、
いつでもお父様にお部屋でお仕えして、
み言を聞きました。
毎日お父様が朝7時になると、
2階から朝御飯を召し上がるために
下りて来られます。
その時から私たちは一か所に集まって、
昼夜関係なく、お父様に侍って生活しました。
15人程度がお父様を中心に
ぐるっと車座になってみ言を聞くのですが、
一日中、一言も言葉をかけない人がいます。
それだけでなく、
「来たのか?」ともお聞きになりません。
ところが、ある人にはお話もよくしてくださり、
どこかに行かれる時は、
誰々には一緒に行こうと言われながら、
座っている人たちの中から
選んで連れて行かれます。
人間的に見ると、人を差別されるのです。
私も始めは、どうしてこのように
人を差別されるのかと理解ができませんでした。
☆
ずっと後になってお父様は、
「私が直接主管して、直接愛せる立場にいられない人たちは、
霊人体の形がまともな人の形を備えていなかったからだ」
とおっしゃいました。
私はそのみ言を聞いて初めて、理由がわかりました。
例えば、ある人の霊人体は目が一つで
本来の位置になく、目が頬の上に
落ちて来てくっついているとか、
それでなければ、鼻がねじ曲がっているとか、
口が曲がっているのです。
想像もできないくらいに
険しい形相の霊人体を持っている人もいるそうです。
そういう時にお父様は、
「そっとしておこう、
もし霊人体がちゃんとしていない人に
言葉をかけたり干渉したりすると、
本来の位置についていない目と口と鼻が、
永遠に元の位置に戻れない」とのことです。
お父様が言葉をかけないのは、
その人を愛しているからです。
そのような人たちは、語ってあげる
み言を聞いて本人自らが悟り、
悔い改めてどんどん復活し、
霊人体の姿が本来の姿に戻るまで、
そっとしておくのが、お父様が
その人を最高に愛することなのだそうです。
☆
お父様って、本当に霊界のわかる方であり、
食口を愛しておられるのだな、と感じます。
私たちの霊人体は、ちゃんと人間に見えたのだろうか。
祝福を受けたりして、今は、
少しはまともになっているのでしょうか。
気になるところです。
それにしても、お父様といつも一緒にご飯を食べるなんて。。。
初期の大先輩たちの姿は、本当に羨ましいですね。
きっと、いずれ私たちも、後孫から
羨ましがられる立場になるかもしれません。
ですから、今この瞬間を
貴重視しなければならないと思います。
また、愛の減少感を感じるようなことがあっても、
それは、私たちの愛の成長、
霊人体の成長と完成のためなのだということを
肝に銘じていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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