朴普熙(パク・ポーヒ) 先生の「青年よ行け、そして世界を救え」
今回は、『原子物理学から見た神の実在』です。
☆
それでは、20世紀の原子物理学の観点から、
神を考えてみましょう。
皆様。19世紀までの宇宙観は、
「結局、宇宙は分けようとしても、
もうそれ以上分けることのできない根本的な、
微小な個体で形成されている」
と、信じていました。
宇宙に最小基本単位になる物質個体がある
ということであります。
それを究極粒子と申します。
その究極粒子が合わさって、物になり、
それが合わさって、
宇宙が形成されたという宇宙観であります。
これはニュートンの宇宙観等からくるものであります。
カール・マルクスはこの19世紀の宇宙観から、
弁証法的唯物論の基本理論を樹立しました。
だから、共産主義の主張は、
「宇宙の根本は物質以外の何物でもない」
(The essence of the universe is mater)
と、主張したのであります。
☆
そして、共産主義者たちは、
分子から原子が分解された時、その原子が、
この宇宙の究極粒子であろうと予測しました。
もう物質はこれ以上砕けきれないと思ったのです。
ところが、1938年にドイツで彼らの予想を裏切って、
その原子をまた、分解するのに成功しました。
そして、1942年、アメリカのシカゴでは、
その原子のコントロールされた分解に成功しました。
これが今の原子力発電所の始まりであります。
すなわち、物質は分子、原子に分解されたのが、
今度は原子がまた素粒子に分解されたのでございます。
そして、その素粒子をまた砕いてみると、
どうなったでしょうか?
あとに残ったのは、もう素粒子ではないエネルギーの電波、
または波長だったのでございます。
エネルギーはもう物質ではありません。
そうだとすれば、物質が非物質になったということになります。
突然、物質というものが消えてしまったのでございます。
これは大変な問題であります。
物質を分け、さらに分けてみたら、
その物質が消えてしまった。
ここで宇宙の根本は物質であると叫んだ宇宙観が、
一遍に崩壊してしまったのでございます。
☆
▲物質の究極はエネルギーという非物質に行き着く
ここで有名なアインシュタイン博士の相対性理論の
E=M×C2の公式が出てきます。
エネルギーは、質量×光の速度の二乗と
同じということ。
言い換えれば、「物質とエネルギーは、
相互変形的であり、相互交流的である」
ということであります。
もう少し分かりやすく言えば、
すべての物質はエネルギーから成り、
物質を砕けば、莫大なエネルギーに
変わるということであります。
原子爆弾のあの莫大なエネルギーは、
ほかならぬ、この物質の一部が
エネルギーに変形した、その力なのです。
朴普熙(パク・ポーヒ)
(光言社・刊『青年よ行け、そして世界を救え』より)
一、神の実在の問題
原子物理学から見た神の実在
青年よ行け、そして世界を救え
21世紀の青年運動への提言3
(Blessed Lifeより)
(光言社・刊『青年よ行け、そして世界を救え』より)
一、神の実在の問題
原子物理学から見た神の実在
青年よ行け、そして世界を救え
21世紀の青年運動への提言3
(Blessed Lifeより)
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わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集し
括弧書きで注釈を加えることがあります
文責:ten1ko2
行区切りや段落等の区切りを再編集し
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お父様は、宗教の究極を求めて、
神学を追求したのではなく、
科学的に研究するために、
あえて、電気科を選ばれたのです。
ですから、科学を追求することを通して、
神様を証しする、ということを目指していかれました。
すなわち、統一された一つの課題として解決しうる、
新しい真理を発見されたのです。
現代科学の最先端で解かれた内容を
お父様は、先駆けて解明しておられました。
真のお父様に心から感服いたします。
朴普熙(パク・ポーヒ)先生:(1930〜2019)36家庭。朴普熙先生は1957年入教後、1961年に駐米韓国大使館の陸軍武官補佐官として米国に赴任。1972年以降、38年間にわたり文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁の特別補佐官を務め、「ワシントン・タイムズ」社の初代社長をはじめ統一運動の重職を歴任されました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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