2023年04月25日

人々から反対されるときは、もっと神と人に尽くしなさい…! 《金元弼先生》



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クリスチャンハウス1968.9.9


金元弼先生のみ言。
今回は、「怨讐を愛する」です。


先生が牢屋におられた時、一週間もの間、
口にもすることもできないような食事が出たことがありました。
その穀物の名前はよく分からないのですが、
皆さんよく御存じの、麦の皮がついたままの食事でした。

韓国ではそばを作る時の材料ですけれども、
皮をむかないものは非常に固く、刃物のように角張っているのです。
それを皮をむかないまま煮て揚げるのです。

今まで皆様にお話ししてきたように、非常にひもじかったので、
量が多いだけありがたいという心持ちで食べましたが、
非常に固いので胃に痛みを感じる日が七日間も続いたそうです。

その時に、先生はどういう気持ちで
それを受け取られたのかを話したいと思います。

先生は、たとえ看守たちが囚人を早く死なせるために
このような食べ物を出すとしても、
それは人間の先祖が神のおきてに背いた堕落の報いであり、
それがどんなに厳しいものかということを考えました。

先生としては、かえって感謝の心で
本当に真剣にみ旨の道、
復帰の道を勝利していかなければならない
という深い決意に燃えたそうです。


例えば、統一原理を人々に伝えていた時に、
反対してきたたくさんの牧師や政府の人たちに対して、
先生は何一つ弁明しようとされませんでした。

ある時、神様は先生に、「牧師たちのお祈りを
聞かせてあげよう」と言って、
スピーカーを先生の方に向けたそうです。

すると、「神様、どうか文を早く天にお呼びくださいませ。
早く死ぬようにしてくださいませ」という
祈りをするのを耳にしたのです。

先生は、彼らを恨むより、かえって
この人たちは分からずにそうするのだから、
愛をもって伝えるみ言を牧師たちがたとえ聞き入れなくても、
その牧師の子供たちは神の方に帰ってくるだろう、
という強い決意をされたのです。

その当時、私たちは麦飯を食べることもできない
という困難の中にいました。

犬が残した物を食べるような状態でしたけれども、
先生はお金を全部かき集めて、
反対する牧師をホテルに呼び寄せて、
立派な食事でもてなし、立派な部屋に泊めて
統一原理のみ言を教えたのです。

 
このように先生は人を憎むのではなく、
かえって迎えて愛していくというやり方をされました。

先生がそこで私たちに教えてくださったことは、
「お前たちは反対された時に、弁明しようとするな。
逆にその人たちが反対することによって喜びがわき、
神にもっと近づくというならば、
私たちは彼らが反対するのを願わなければいけない」
と、このような気持ちでした。

弁明しようとせず、やることだけきちんとやって、
実績を立てていこうというのが、先生の強い決意でした。

 
先生がアメリカに来られた時、
政府やキリスト教、ユダヤ教がそろって反対しました。

先生は、「私が三十年前にここに来ていたら、
こういうことはなかったはずなのに、
遅れてきたのでこういう目に遭うのだ」
と考えられました。

反対の声を、「なぜ早くこの国に
おいでにならなかったのですか」
と聞き取ったのです。

そこで先生は、遅れた分までも、
この時間に全部やらなければいけないという気持ちで、
何倍以上もの心をささげられたのです。

 
私たちが、色々やっていますと、自分としては
悪くないと思っても、私たちに反対する人がいます。

そういう時にでも、その声は私に対して
「あなたはもっと心を尽くして、
神のために実績を上げるようにしなさい」
と言っているように感じ取らなければいけないと思います。

兄弟から、三六〇軒の人から、街頭の人から
反対されるような時にも、もっと人のために
尽くしなさいという言葉として感謝して受け取って、
もっともっと尽くすならば、結局は反対する人をも
神に帰属させる大きな力となるだろうと思います。

普通、怨讐を憎しみや力で裁きますけれども、
私たちは反対に、神に人にもっと尽くすことによって、
裁いていくという点で異なるのです。

憎しみの代わりに愛で、恨みの代わりに
神のため、人のために尽くすことによって、
憎しみでいっぱいになっている世の中を
変えていかなければいけないと思います。

わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集し
括弧書きで注釈を加えることがあります
文責:ten1ko2


恩讐を愛する。。。
真の愛を持たれているお父様には、
「恩讐」という概念などないのだろう、と思います。

私たちは、昨年7月以来、
家庭連合に反対している人たちに対して、
あるいは、一般の人たちにも
多くの誤解を受けてきました。

その人たちを愛し、受け入れる、というのは、
本当に難しいことです。

しかし、お父様は、アメリカの政府、
キリスト教、ユダヤ教の人たちが
反対する姿を通して、
「私が三十年前にここに来ていたら、
こういうことはなかったはずなのに」
と考えていかれたのでした。

ですから、私たちも
「この人たちをもっと早く導いていたなら
このようにはならなかったのに・・・」
という心情姿勢を持たなければならない、
と思わされます。





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posted by ten1ko2 at 05:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする