2023年05月31日

お母様が指摘した、李ヨハネ先生の課題とは? 勝つ人は、誰よりも早く起きる 《信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言、
「真理を求めよ」の
今回は、最終回になります。

小題は、『自分を「真」化しましょう』です。


起きるのもだれよりも先に起きよう。
集会にもだれよりも先に参加しよう。
これが勝利の生活です。

体の弱い人は、負けて暮らした証拠です。
体の強い人は、勝利して暮らすからです。
簡単です。

心の基準、関係の基準を下げずに
勝って暮らしましょう。
毎日競争するのです。

毎日、私たちは競争心をもって暮らしているのです。
それは、負けたくないからです。
その精神で暮らさなければなりません。


けさ、あまりにも貴重な話をしました。

だれよりも先頭に立って暮らしながら、
後ろの人のために泣きながら、
自分がまず「真」化しましょう。

やはり勝利すれば、負けた人のために
心を尽くさなくてはなりません。

朝早く起きると、自分が起きたのちに
みなぱーっと起きてくるのを願うのに、
だれも起きない。

その起きないのを見て批判したり、
讒訴したりすべきでしょうか、
泣くべきでしょうか。

自分が先頭に立って勝ったなら、
ちょっと傲慢になる面もあります。

「こいつ。お前たちは毎日負けている」、
こう言って傲慢になりやすいのですが、
負けた人の重荷、何か精神的に引っ掛かったものを、
自分の心で、憐れみでもって
痛みを感じてあげるのは、勝った人の悲しみです。

メシヤの悲しみ。
夫婦の悲しみ。

悲しみをもたないと勝利することはできません。
それだけは頭に入れておいてください。

これは、一生の秘訣です。
聖書をもう一度読みながら、
神様の悲しみをもう一度感じてください。

 
お母様は食口たちの姿勢に対して、
電話で私に「激励することはできないのか」
と話されました。

それが私の課題です。

お父様が私を日本に派遣された理由は何でしょうか。
「原理」を教えに来たのではないのです。

皆さんが、分かっていながら何か発動できないので、
心情を発動させるために来たのです。

どこか故障した人であり、故障した家庭、教会です。
それをはっきり指摘して、直してあげれば
自動的に発動できるはずなのに、
それがなぜできないのか、
というのがお母様の質問でした。

その問いかけから逃げることはできません。

私が来ていても、皆さんが直らなかったならば、
結果的に私は邪魔者になります。

修理センターに自動車を任せて直せなかったならば、
その修理センターには再び行きません。

その例えと同様に、皆さんの中で
直る人が出てこないと、私が来た意味がなく、
何もプラスになっていない立場になるわけです。

何か皆さんのためにならなくてはいけない。
それが私の心配です。
皆さんが正しい姿勢で、正しい生活をすることが
できるようにしなくてはならないのです。

 
夫人たちが、多くの難問題をもって
私のところに相談に来ました。

その相談の中で、ある夫人は、家庭環境、
主人との関係、自分の事情がいくつも重なって、
重荷になって葛藤していました。

それに対して、私は「それが歴史です。
あなたの家庭が歴史を縮小した事情であり、
それが神様の事情なのです」と話しました。

ですから、神様が今問題視しているものが、
そっくりそのまま現れているのです。

神様なくして自分の心配だけがあるから、
重荷になって、自分が死にそうになったのです。

ですから、「その悲しみや心配を見て、
神様につなげれば自分が生きる」と話しました。

自分の事情が神様の事情であると頭で分かれば、
神様も同じ事情を抱えて悲しんでおられる方だ
ということが理解できます。

そうすれば、通じます。
ですから、涙が出ます。
すっきりします。

自分の事情にいつまでも
沈んでいるのではなく、超越します。

これが歴史的問題であり、
これが世界的問題であると悟った時に感激します。

神様を慰めなくてはならない自分です。
そうしなければ、自分自身が超越できません。
自分自身が復活できないのです。

悲しみを神様につなげることによって、
その夫人は重荷から解放されました。


けさの祈祷も同じことです。
歴史的苦痛や神様の悲しみの同伴者になるのです。

同伴者という考えは、子供が親を捨てて、
故郷から離れて苦労する時に、
お父さんの苦労と子供の苦労は同じだ
ということと同じです。

子供は親の愛を失って寂しい。
一方、親も子供の愛を失いました。

親は子供が家を出たあと、
一時も子供のことを忘れることはできません。
苦痛の同伴者なのです。

ですから、私たちは歴史をさかのぼって、
神様と真の父母の悲しみはこれだと、
自らお父様の悲しみを慰めていきましょう。

そこで神様と連結し、天運が動くのです。

24・真理を求めよ
「自分を「真」化しましょう」

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰

(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)

再編集 文責:ten1ko2


「自分の事情が神様の事情である」
私たちは、自分の事情は誰にもわからない、
と思い、心ふさぐ時があるのではないでしょうか。

しかし、その事情は神様の事情なのです。
そのことをはっきり実感すれば、
「神様につなげれば自分が生きる」と
ヨハネ先生は、語られています。

神様に自分を結び付けて、
天運によって歩む、私となっていきたいです。





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2023年05月30日

一時は大反対、亡き母が確認した統一教会の真実 「マスコミの言うこと、たいしたことなし」 《私たちの「声」》



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家庭連合が発刊した
「私たちの声を聞いてください」

一時は大反対し、娘を連れ戻そうとしたという
お母さんが、
教会の真の姿を知ったとき──。

遺された生前のメモの言葉とは。

(60代女性)

私は、大学卒業の半年前に友人を通して
「統一原理」を聞き、それまで
疑問に思っていた死後の世界の存在や
世の中の矛盾や自分の中にある矛盾など、
人生の問題を解決できる真理に出合ったことに
大きな希望と歓喜を感じ、卒業と同時に、
家庭連合で献身的に歩むようになりました。

家庭連合の信仰をもつことを
親は簡単に容認してくれませんでしたが、
私は真摯(しんし)に親と向き合い、許可をもらいました。


約半年経ったころ、母から
「父が倒れたので帰るように」と言われ帰ったところ、
父が倒れたというのはウソで、
家族からの猛反対を受けたのです。

理由は、新聞に投稿されていた元信者の手記を
母が偶然読み、私を連れ戻す決意をしたようです。

親がちゃんと納得してくれたと思ったのは、
私の思い込みに過ぎず、
親はただ私の強い決意に押されて
しかたなく許可したのだとわかりました。


それから、母との激しい論争が始まりました。
私にとって大切な母に、私の人生を捧げて
取り組もうとしている「統一原理」を
正しく理解して欲しいと思いました。

「私が学んで正しいと思ったのに、
母さんは私の話を聞かずに
新聞や霊能者の言うことを無闇(むやみ)
信じるのはおかしいでしょう。

自分で『統一原理』を勉強してみて、
その上で間違っていると思ったら
反対したらいいでしょう」

すると、母は「じゃあ勉強する」
と言うので驚きました。


地元の教会に行き、「統一原理」を
全部勉強した母は「あんたが正しい」
と賛同してくれたのです。

それから母も地元の教会に繋がって
さまざまな行事に参加したり、
他の信者との交流も深めていきました。

母は父と共に専業農家をやっていて
多忙な毎日でしたが、(')90年代半ばの
2泊3日の済州島修練会に参加したりしました。

そして、1999年の韓国での祝福結婚式で
既成祝福を受けて、
真の父母様にお会いすることもできました。

一度は大反対をして、私を引き戻した母が
わざわざ教会に行って「統一原理」を学び、
祝福結婚まで受けるようになるとは、
私にとっては本当に奇跡としか言いようがありません。

導いて下さった神様にただただ感謝です。

 
3年前に他界した母の遺品の中に、
済州島修練会で講義をメモしたものがありました。

「文鮮明先生。
 人の為に尽くすのにどこが悪いか。
 つっこんで行けと言う。
 マスコミに堂々と言え。
 マスコミの言うこと、たいしたことなし」

今から約30年前なので、
やはりマスコミに大騒ぎされたことに
関連したメモの内容でした。

テレビなどのマスコミの一方的な報道を
鵜呑みにして振り回されるのではなく、
私の母のように自分の目と耳で
教会の中身を知ろうとする人が
一人でも多く現れることを願うばかりです。

世界平和統一家庭連合 発行
『私たちの声を聞いてください』

私たちの「声」4
「マスコミの言うこと、たいしたことなし」
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


立派なお母さんですね。。。
噂やデマではなく、
ちゃんとした情報を直接聞けば、
誰もが理解してくれるに違いないのが、
統一原理なのだと思います。

もちろん、統一原理は、素晴らしくても、
それを信じている私たちが問題なのかもしれません。
原理通りに正しく歩んでいるか、
それが一番の問題です。

組織的な問題も、反省する部分もあったかと思います。
そういう意味で、本部も「教会改革推進」を掲げて
取り組んでいるところであります。
https://ffwpu.jp/reformation/index.html 参照)

変わらずに真実の道を歩んでいく、
私達でありたいと思うのです。

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2023年05月29日

一人では、天国に行けない どのように生きて死ぬべきか 《方相逸大陸会長》



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方相逸大陸会長が昨年、尾瀬霊園で開催された
聖和祝祭で語られたメッセージ、
「よく生まれ、よく生き、
よく死ぬべき地上生活」を紹介します。

霊界での永生と比べると
あっという間≠フ瞬間

真のお父様は、人間は腹中生活十か月、
地上生活約百年を経て、
永遠の霊界生活に至ると語られました。

皆さんも、耳にタコができるくらい、
このようなお話を聞いたと思います。

赤ちゃんがおなかの中にいるとき、
母親がお酒を飲んだり、タバコを吸ったり
不摂生な生活をすると、赤ちゃんの成長に
悪影響を及ぼすので、母親は
そのようなものには手を出しません。

同じように、私たちは霊界での永生に備えて、
地上に誕生してから死ぬまでの間、
天から与えられた使命を果たし、
やってはいけない≠ニ戒められていることを
行ってはなりません。

真のお父様も常にそのことを強調されました。

霊界での永生と比べたら、この地上生活は
あっという間≠ナす。
だからこそ、天の原理原則に従って、
よく生きなければなりません。

人類歴史上初めて、霊界の
詳細を明かされた真の父母様

皆さんは「四大聖人」をご存じでしょうか。
四大聖人とは一般的に、孔子、釈迦、
イエス・キリスト、ソクラテスを指します。

私は、聖和祝祭を迎えるに当たり、
四大聖人が「死」について
どのように考えていたのかを調べてみました。


孔子からとても愛された子路という弟子がいます。
彼が孔子に「先生、死とはどういうものですか?」
と尋ねると、孔子は、
「生のことも十分に分かっていないのに、
どうして死のことが分かるだろうか」
と答えたそうです。

お釈迦様は、生・老・病・死の「四苦」を、
人間として逃れられない必然的な苦しみ
と捉え、どのようにしたら人生の苦しみを
克服することができるのかを説きました。

私たちを悩ませる煩悩から解放される
「解脱」を強調し、悟りの境地で
生き生きと暮らすための知恵≠授けようとしたのです。


孔子は七十四歳、お釈迦様は八十歳で没したのに対して、
イエス様は三十三歳という若さで、
十字架に架けられてお亡くなりになりました。

現代において、高齢者が死後の世界について話せば、
聞く耳を持つ人は多いかもしれませんが、
若者が話したらどうでしょうか。

クリスチャンをはじめ、聖書に感動した人々は、
「イエス様、イエス様」と慕いますが、
あの時代に、三十代の若者が、
「神様とはこのようなお方だ」
「人生とはこういうものだ」と、
いくら熱心に説いても、
信じる人は多くなかったと思います。

しかも、姦淫を犯した者は石で打ち殺してもいい
と言われた厳格なユダヤ教社会で、
イエス様は未婚の女性からお生まれになったというのです。

イエス様は、霊界のことを含め、
神様から託された、人類に伝えるべき内容を
胸に秘めておられたはずです。

しかし、「わたしには、あなたがたに
言うべきことがまだ多くあるが、
あなたがたは今はそれに堪えられない」
(ヨハネ一六・12)とあるように、
全てを伝えることはできませんでした。

その悔しさ、もどかしさは、
いかばかりだったでしょうか。


ソクラテスは、古代ギリシャの哲学者で、
西洋哲学の基礎を築いた人物の一人とされています。

彼は自らの無知を自覚することが、
真の認識に至る道である≠ニして、
「無知の知」を説き、
人はいかに生きるべきかを深く探求し続けました。

そして、弟子のプラトンが著した
『ソクラテスの弁明』の中に、
「死とは人間にとって福の最上なるもの
かもしれないが、それを知っている人はいない」
と記されています。


このように、四大聖人といえども、
霊界について細かく説いている方はいないのです。

イエス様は、ある程度まで触れておられますが、
真の父母様が私たちに教えてくださった内容には及びません。

聖書には、先祖解怨や
先祖祝福については記されていませんね。

そのことを考えても、家庭連合の食口たちは、
本当に恵まれた立場にあると思います。

ここでは、霊界の存在を感じる≠ヌころではなく、
映画のように見える≠フです。


皆さんは、李相軒先生(36双)が
霊界から送ったメッセージを聞いたことがあるでしょう。

『霊界の実相と地上生活』という書籍に
まとめられていますが、私はかつて、
この書籍を深く読み込んで、一年間、
ずっとこの内容を説教の題材にしたことがあります。


また、天一国経典『天聖経』の第七篇に、
真のお父様が霊界について語られたみ言が
たくさん掲載されています。

今回、ひととおり読んでみましたが、
霊界についての詳細な教えに驚き、
改めてお父様の偉大さを実感しました。

天国は夫婦、家族で一緒に行く所

天の父母様は、目には見えません。
ですから、多くの人が、信じることができないのです。

しかし、目に見えないものにこそ、
大切な価値があるということを知らなければなりません。

空気は目に見えませんが、
全くない所に数分、数十分でもいたら、
私たちは全滅してしまうでしょう。

そのように貴重な空気を頂いているにもかかわらず、
私たちは何のお返しもしていません。

他にも人の心など、目には見えませんが、
私たちは常に感じながら生活をしています。

真のお父様は、目に見えないものの中でも、
いちばん重要なのが霊界の主人であられる
神様であると教えてくださいました。

神様は真の愛の方です。
真の愛とは、他のために生きることです。


「真の愛は、誰でも願うものですが、
愛というものは、ために生きることによって
可能になるというのが原則です。

相対のために奉仕し、
犠牲にならなければなりません。

『私のために生きよ』という心で
人に対するようになれば、皆が逃げてしまいます。

利己的な個人主義は、サタンの
戦略であり、目的であり、道具です。
その結果は、地獄です」
(天一国経典『天聖経』278ページ)


愛がない所が地獄であり、お互いがために生き、
愛があふれている所が天国です。

皆さんも、家庭の中で
愛を感じることができれば幸せでしょう。
家庭に愛がなければ、たとえ家族が
一緒にいたとしても、地獄にいるようなものです。

キリスト教会では、「私自身が神様、
イエス様を信じれば、天国に行くことができる」
と教えますが、真のお父様は
その教えを明確に否定されています。


「今までの宗教の目的は、
 個人を救うことでした。

 しかし、統一教会は
 個人の救いよりも家庭の救いを目的とします。
 救うとしても、家庭を救い、
 天国に行くとしても、自分一人では行きません。

 統一教会の救援観は、
 夫は天国に送り、妻は地獄に
 送ろうというものではありません。
 二人とも天国に行こうというものです。

 また、父母を地獄に送るのではなく、
 父母に侍り、また息子、娘も連れて
 天国に行こうというものです」

(同587ページ)

天国は夫婦が一緒に行く所です。
真のお父様は「一緒に」という言葉を強調されました。

たとえ、私個人の信仰が素晴らしかったとしても、
一人では天国に行くことができません。

もし、妻が信仰を持っていなかったら、
天の娘として大切に育ててあげましょう。

反対に、妻が一生懸命に教会活動をする信仰者で、
夫が信仰生活に対して前向きでないのなら、
愛して尽くして、み言を伝えてあげましょう。


それでは、夫婦が信仰を持っていても、
子供が信仰を持っていなかったらどうしますか。

親だけが天国に入って喜ぶことはできないでしょう。
ですから、親が立てた信仰の伝統を子供に相続させ、
一緒に連れていかなければなりません。

そして、祝福家庭の中には、
親が教会から足が遠のいていても、
子供は信仰をしっかり持っている家庭もあります。

その場合は、子供が親を導いて、
天の前に一緒に帰るのです。

このような話を聞いて、
心に痛みを覚える食口もいるかと思います。
しかし、これが行くべき道、原理原則の道です。

たとえ今は、教会から離れている家族がいても、
その一人一人を心から大切にし、
天の前に導くことを決して諦めず、
愛を投入していきましょう。

第40回「神日本聖和祝祭」
2022年11月3日
方相逸・大陸会長の記念説教
https://familyforum.jp/2021122945617

抜粋して紹介しました
文責:ten1ko2


ちょうど今日は、ある食口の聖和式があり、
参加させていただきました。

ささやかながら素晴らしい聖和式でしたが、
遺された奥様を思うと、
とても胸が痛んでなりません。

少し話す機会がありましたが、
「一人でこれからどうやって生きていくか・・・」
と、心細げに見えました。

先立たれたご主人は
さぞかし、ご心配だろうと思います。
霊界からお守りください、
と祈らざるを得ませんでした。

いつもこういう時に思うのは、
私自身も、正しい人生、負債なき人生を
送らないといけない、ということです。

天国に行ける者となるため、あらためて
私自身だけでなく、妻も、
子供たちも、ともに正しい道を
愛を育みながら
歩んでいきたいと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 13:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする