2023年05月28日

妻も私も仕事を休めない! 意見のぶつかり合いの中、祈ってみると《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラム。
今回は、「互いの正義がぶつかるとき」です。

(男性 40代)

業務の関係で、電車での移動が多い日々です。

電車の中では、以前はLINEを送ったり、
ニュースを見たりとスマホに向かい合う時間でしたが、
「自己牧会プログラム」に出合って以降は、
「自覚を取り戻す」修練の時間になりました。

「今ここ」で見るもの、聞くもの、
感じるものに意識を置き続けていると、
思考が停止し、心がすっきりとしてきます。

窓の外の景色を見れば、
季節の小さな移り変わりに喜びを感じますし、
電車に乗っていること自体にありがたさを感じます。

普段、いかに妄想に走って生活しているかが
はっきりと分かるのです。

 
子供が5日間にわたって40度以上発熱しました。
アデノウイルス感染症によるもので、
当然、学校を休むことになりました。

夫婦共働きのわが家では大問題です。

どちらかが仕事を休まなければならないのですが、
私は「この会議に出ないと大変なんだ!」と訴え、
妻は「時給制の私が休んだら、
来月が大変になるからダメよ!」と主張し、
互いの“正義”がぶつかります。

口論が激しくなると、とにかく何かを責めたくなり、
「ウイルスのせいだ」
「どうして感染したんだ。おまえを
ウイルスに負けるような子に育てた覚えはない」
など、いろいろな思いが湧いてきます。

ところが、以前と違うのは、
ここでふと立ち止まることができるのです。


「真の愛を中心として、父母の立場で
正しく見させてください」と祈っていくと、

「妻も家計を支えるために必死なんだな」とか、
「子供もたまには家でゆっくりしたいんだな」とか、
普段気付かない家族の心に気付くようになります。

結局、夫婦交替で休むことになりました。
私が休んだ日には、久しぶりに
子供と一緒の時間を過ごすことができ、
全てが感謝だなと感じました。

子供が病気から回復した後、
家族でお菓子を囲む時間がありました。

目を見て共に喜んでいると、
この何気ない場面がとても輝いて見えました。

(とら)われのない心が共鳴すれば、
自然と喜びは拡大するんだなと感じています。

私の心の中にいる神様 174
互いの正義がぶつかるとき
(Blessed Lifeより)
わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集しました
さらに括弧書きで注釈を加えたり、
プライバシーに関わる部分は省略等することがあります
文責:ten1ko2


囚われの心、というのは、
結局、過去のこと、未来のことに
主管されていることなのだと思います。

今、ここにいることを感謝できれば、
周りのことに囚われないのだと思います。

しかし、現実には、本当に細かいことに主管され、
気持ちが落ち込むことが多いのです。

私自身もちょっとしたミスで落ち込み、
その思いを引きずったり、
いろんなことで現実から
自分の思いが別のところに行ってしまい、
囚われいることがあったりします。

自己観察をして、
意識を「今ここ」に戻して、
自然万物に目と心を向けて、
感謝の心情をもって、
今週を出発していきたいと思います。



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無断転載はお断りいたします。
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posted by ten1ko2 at 09:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月27日

「生涯、み言を記録するのが私の使命」 制作の舞台裏から  《小山田先生》



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光言社のU-ONE TVの撮影・編集をされてこられた方が
制作の裏話を語るシリーズより、
小山田秀生先生に関するお話です。

 
小山田秀生先生が語る
「自叙伝 真の父母様のみ跡を慕って」の
シリーズ全28回が配信されたのは、
2017年3月から2019年6月のことだ。

インタビューの内容は、後に書籍化され、
『自叙伝 真の父母様の御跡を慕って』(小山田秀生・著)
として発行されている。

日本の家庭連合(旧統一教会)を代表する
大先輩の歴史的な自叙伝として評価が高い。

 
動画コンテンツの撮影と編集を担当した筆者は、
小山田先生に大変感謝している。

なぜかというと、撮影の日、毎回
完璧な原稿を準備してくださっていたので、
撮影と編集がやりやすかったからだ。

打ち合わせの時、「次回のテーマは
これについて話してください」とお願いすると、
「はい、分かったよ」と言われ、撮影日には、
ほぼ20分間で語れる内容が的確にまとめられていた。

「小山田先生というおかたは、
コンピュータのような記憶装置と
情報をまとめる能力を持っていらっしゃるな」
と驚いた。

まさに真の父母様と統一運動の
生き証人であることに間違いない。

 
十数年前、小山田先生が
真のお父様(文鮮明〈ムン・ソンミョン〉総裁)のみ言を
録音するために、使いやすい録音機が欲しいと
言われたので、機材を購入し
使い方を説明したことがある。

その時、小山田先生が
ぽつりとおっしゃったことが忘れられない。

「私の使命は生涯、お父様のみ言を
記録することなんだよ。
お父様のみ言が私の全てなんだ」

 
真のお父様が小山田先生に
「おまえは何も持たない男だ。
何もない男だから、先生について回った
ことだけが、おまえの宝物だ」と語られたという。

お父様について回るということは、
なんと光栄なことだろうか。

お父様とどれほど深い心情の因縁を
結んでこられたのだろう。

 
小山田先生はまた、
「私は、ボストン、アラスカ、南米で
真の父母様から直接訓練を受けた。
海の上で私の人間性が変わったんだ」
と語られている。

雨の日も風の日も、揺れる船の上で
釣りの訓練を受け、お父様と長い間一緒に過ごし、
多くの苦労と試練を乗り越えられた。

 
真のお母様からは、
「あなたはお父様から
たくさんのことを学んだでしょう。
それを後輩たちに相続させなさい」
と言われるほど信頼されている。

小山田先生は、真の父母様から教えられた
真の愛の精神・孝情の精神を次の世代に伝え、
伝統として残すために語り続ける。

制作の舞台裏から 12
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=19719
「自叙伝 真の父母様のみ跡を慕って」
次世代に伝統を残すために
(Blessed Lifeより)
わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集しました
さらに括弧書きで注釈を加えたり、
プライバシーに関わる部分は省略等することがあります
文責:ten1ko2


小山田先生の著書は、このブログでも
何度か紹介したことがあります。

本当に事細かに、過去のことを記憶されている
小山田先生の素晴らしさを感じるばかりです。

やはり、真の父母様と寝食を共にされ、
同じ空間で過ごされた方に、
実際の体験、証しを聞くことは
どれほど、貴重なことでしょうか。

その使命を肌身で感じておられる
小山田先生に感謝するとともに、
今後も生き証人として、ご活躍されることを
切にお祈り申し上げます。


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2023年05月26日

異邦人の女性が、イスラエルの信仰を勝ち取るまで *ルツとナオミの物語1 《金元弼先生》



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金元弼先生のみ言、
「ルツとナオミの物語」について
3回シリーズでお話されています。

ルツとナオミの物語

異邦人の女がイスラエル民族の血統を
なぜ引き継ぐことができたのでしょうか。

イスラエルとは選ばれた民族です。
その民族の血統を異邦の民が
どのようにして受け継ぐことができたのでしょうか。


皆さんは、よくアベルとカインの話をします。
たまにはアベルがアベルを生むことも
ありますけれども、カインを生むこともあります。
反対にカインがアベルを生むこともあるのです。

人間は元々アベルの立場にいたのですが、
堕落することによってカインの立場になったのです。
人間が堕落しなければ、カインという子供を生むはずがないのです。

そこで、堕落していない立場を
アベルという立場で考えてみた場合には、
アベルを生まなければならないアベルが、
カインの子供を生むようになったのです。


堕落した人は、カインの立場にいるのです。
その人が蕩減という道を通じて復帰された場合には、
どんな立場に帰るのでしょうか。

復帰されたアダムというのは何ですか。
それはアベルの立場です。
つまり、カインがアベルの子を生むということになるのです。

メシヤはアベルとして人類の前に現れます。
私たちはカインの立場ですから、
アベルを通じてアベルの立場に帰りたいのです。

アベルを通じて復帰されたカインというのは、
アベルの位置に帰るのです。


メシヤを受け入れた人から見れば、
まだ受け入れていない人は、カインの立場になります。

しかし、アベルの立場にある人でも、
落ちていくことがあります。
落ちていって子供を生めば、
どういう子を生むのでしょうか。

次にカインの立場にある人でも、
アベルを通して復帰されたカインとなった場合には、
アベルの立場に立つのです。
子供を生めば、アベルの子供を生むようになります。

 
例えば、イスラエル民族をアベルの民族とすれば、
それ以外の民族は異邦の民、カインの民族となります。

神がイスラエル民族を立てた目的は、
それを通じて異邦の民族を
全部復帰しようとしたところにあるのです。

ところがイスラエル民族が神のみ旨を
損なった場合には、代わりに
第二イスラエル民族を立てなければなりません。
それがキリスト教徒です。

すると第一イスラエル民族から見ると、
キリスト教信者は全部、異邦の民族となります。

ところが、第一イスラエル民族が
使命を果たしえなかった時に、
神は異邦民族であるキリスト教信者を、
第二イスラエルとして選んだのでした。

もし、第二イスラエル民族も自分の使命を
果たしえなかったら、どういうことが起こるでしょうか。

神は第三イスラエル民族を訪ねなければならなくなります。

第二イスラエル民族を中心として見ると、
第三イスラエルは異邦の民族の関係になります。

第一イスラエル民族が、
イエス様を中心とする群れを異端視したのと同じように、
第二イスラエル民族も、
第三のメシヤを中心とする群れを
異端視するようになるのです。


こういうことを念頭に置いて、
聖書を調べてみましょう。

イスラエル民族は、エジプトから解放されて後、
土師の時代に入ります。
その四〇〇年の間に起こったルツの話をしましょう。

ユダヤのベツレヘムという所に住んでいた人が、
大変な飢餓が迫ってきたので、
妻と二人の息子を連れて、モアブに行って
滞在することになりました。

その人はエリメレクといい、妻はナオミといいました。
ところがモアブに滞在中、夫は死に、
二人の息子はモアブの女を妻に迎えました。
モアブ人は異邦人です。

そのうちに二人の息子とも亡くなり、
ナオミは二人の嫁を連れ立って
ベツレヘムに帰ろうとしました(ルツ一・六)

その途中で、ナオミは二人の嫁に話しかけました。

「お前たちは、生みの母のところに帰るように」
と勧めました。
けれども嫁たちは泣きながら、
ついていくことを約束します。

ナオミはもう一度同じことを言います。
その時に、兄の嫁は別れの接吻をして、
自分の家に帰るのですが、
弟の嫁のルツだけはついていくのです。

ナオミはさらにもう一度、
家に帰るようにとルツに勧めます。
ルツはそれをも受け入れなかったので、
彼女を連れてナオミは自分の故郷に帰りました。

 
ナオミは非常に貧しく、食べる物も十分でなかったのです。
故郷に帰った時がちょうど収穫の時でした。

ナオミには夫の親戚で、エリメレクの一族に属する
一人の有力者がいました。ボアズといいます。

嫁のルツがナオミの許可を得て
落ち穂拾いに出掛けますが、
はからずもボアズの畑に来ていました。

それで彼女が落ち穂を拾っているところに、
ボアズが地方から帰って来て、若者の下僕たちに、
「これはだれの娘ですか」と聞きます。

ナオミの次男の嫁だと分かり、ボアズの親切で、
ルツはたくさんの落ち穂を拾い、
それをお金に換えて家に帰り、ナオミに侍りました。


そんな中で、ナオミは嫁のルツに、
非常に難しいことを話します。

ルツ記三章一節から見ますと、
「収穫の夜、あなたは身を洗って
ボアズの寝る場所を見定めて、
ボアズの寝所にひそかに入ってその足元に寝なさい」
という内容があります。

女としては、これは大変難しいことですが、
ルツはナオミの言うことを絶対的に信じて、
そのとおりにしました。

それでルツがボアズの妻として
迎え入れられるようになり、
ユダの長老たちの祝福を受けて結婚します。

ルツは一人の子供を生みました。
名をオペデといいます。
オペデはダビデ王のおじいさんに当たります。
ですから、イエス様やヨセフの血統もルツから出てくるのです。

こういう話をするのは、異邦人であるルツが、
いかにしてイエス様の先祖の血統、
イスラエル民族の血統を受け継ぐことのできる
祝福を受けたのかを知るためです。

U 先生の道は我々の伝統
第七章 何よりも神のものを愛す
「ルツとナオミの物語」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題

わかりやすく読んでいただくため、
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イスラエルでは、信仰を受け継いでいくのは
女性、母親だと言います。

また、イスラエルには、兄が亡くなったら(子供がない場合)
兄嫁を弟がめとる風習がありました。
ルツの夫も亡くなっていますから、
親戚であるポアズが責任を取ったわけです。

ルツは、旧約聖書で
その名をタイトルに掲げられた
たった二人の女性の一人であり(ルツ記とエステル記)、
新約聖書にもその名前があがっている
貴重な存在です。

マタイによる福音書、第一章に、
以下の記述があります。
「ボアズはルツによるオベデの父」

ルツは異邦人でありながら、
イスラエルの系譜の中で、ダビデ王が生まれ、
ヨセフが生まれるという、
重要な血統の中に存在しています。

この系図は、基本的に男性(父親)ばかりですが、
女性(母親)の名前が少しでています。
今、紹介したルツをはじめとして、
タマル、ラハブ、ウリヤの妻
そして、マリヤ。

イエス様を誕生させる背景において、
鍵を握っているのが、この女性たちです。

御父様は、おそらく、このことも含めて、
堕落論を解明され、
復帰の奥義を解明されたのだと思います。

神様は、この系図を残されたのですし、
この意図がわかる人こそ、
メシヤ以外の何者でもない、
ということなのです。

問題は、異邦人であったとしても、
血統を残していく、という信仰、
生命を超えて、血統を守る信仰、
そこに天の祝福があったのでしょう。

今、真のお母様が天の独り娘、
独生女として、立たれています。
その奇跡の時に、私たちはともに生きて、
ともにみ旨を歩んでいる、ということに、
改めて感謝したいと思います。



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posted by ten1ko2 at 07:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする