2023年05月22日

光には影がある! 堕落性を脱ぐための二つの方法─影を避けるか、それとも 《史吉子先生》



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史吉子先生のみ言
今回は、「地上人の復活」からの抜粋です。


私たちが地上で生きる目的は、
自分の霊人体が完成して
生霊体(発光体)になることです。

それ故に、誰もが生霊体になることを望みます。

その光がどれくらい強いかが、
将来、真の父母様が霊界に行かれた後、
私たちが真の父母様の近くに行ける基準になるそうです。

自分の霊人体が明るければ明るい程、
真の父母様の近くに行けます。
暗ければ暗い程、下に下がり、
明るければ明るい程、上に上がります。

史吉子先生「原理に関するみ言の証」
地上人の復活 より


誰もがお父様の御元に行きたいし、
光り輝く霊人体を持ちたいと
願っているのではないでしょうか。

しかし、私たちはとかく自分の足りなさを
考えて、光り輝く姿にはほど遠いなと、
溜息などついていないでしょうか。

ある先輩の話です。

堕落性を脱ぐにはどうしたらいいか、
信仰の幼いときに悩んでいたといいます。
すると、そのことを
的確にアドバイスしてくださった方がいたそうです。

少し紹介してみます。


堕落性を失くすには二つの方法があります。

光には影ができます。
強い光に照らされれば、
影もはっきりと出来ます。
すなわち暗い影になります。

この時、暗い影だ、怖いから逃げたい、
そう思って、影から逃げようとして
光のある方に進んでいくという
そういう方法があるといいます。

もう一つの方法はこうです。
光を見て、暖かいなぁ、明るいなぁ、
こっちの方に行きたいなぁ、
そう思って、光の方に進んでいくと、
知らないうちに影がなくなっていきます。

この二つの方法
どっちがいいですか、と聞かれれば
誰もが後者だと答えるでしょう。

だから、堕落性を脱ぐことばかり考えて、
そのことを努力するのではなくて、
本性をいかに発揮するか、
そのことを考えて生活していけば、
自ずと堕落性がなくなっていくのです。



日々の生活の中でも、
「私ってなんでこうなんだろう・・・」
小さなことから大きいことまで、
思い悩むことが多々あるのではないでしょうか。

しかし、今、天一国時代を迎え、
今は特に創造性を発揮して、
み旨にまい進するときだと思います。

本性を発揮することを考えて、
そのために努力し、指導することが大切だ、
「自分は足りない・・・
しかし、それでも愛そう!」
そんな思いにさせられますね。




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posted by ten1ko2 at 07:01 | Comment(1) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月21日

義務感・使命感から脱却できない!──そういうあなたをよく知っています 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラム。
今回、「そういうあなたをよく知っている」です。

(女性・信仰二世 30代)

私はこれまで、伝道に限らず、信仰生活全般にわたって、
「父母様の願いを成就したい」
という思いまで至っていないと
感じることが多くありました。

決意しながらも、「口ばっかりではないか」
という思いが頭から離れないのです。

自己牧会プログラムを学ぶような
心情文化に至っていない、義務感・
使命感のかたまりという自分を自覚しています。


ある時、そのことを自己牧会プログラムの
恩恵交換の場で共有したところ、
「義務感・使命感からでも大丈夫!
それも天に喜んでもらいたいという気持ちから来ていますよ。
本当のあなたはそうなんですよ」
と励ましていただき、とても解放されました。

私の中に孝情あふれる良心がある──。
以前はなかなか、そのように
感じられませんでしたが、この一件以来、
「私の中に輝く良心がある」
とイメージできるようになりました。

 
伝道活動をする中で、いろいろな葛藤が湧いてきます。

「結果を出したいな。
出なかったらどうしよう」と心配する思いを
率直に良心に相談すると、
 
「そういうあなたであることをよく知っている。
天に美を返したい思いが
少しゆがんでいるだけだから大丈夫」

という返事が返ってきます。

なかなか受け入れられない、
愛せない人や場所についても良心に相談すると、
心が平安に満たされ、愛する力が与えられます。

そんな心情の解放を感じていると、
信仰を持って20年以上たつ母が、
ようやく父との既成祝福に導かれるという奇跡を見ました。

良心に何でも率直に相談することを
続けていきたいと思います。

私の心の中にいる神様 173
そういうあなたをよく知っている
(Blessed Lifeより)
わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集しました
さらに括弧書きで注釈を加えたり、
プライバシーに関わる部分は省略等することがあります
文責:ten1ko2


良心は第2の神様であり、
私だけの神様である。。。
そんなことを感じました。

一人一人抱えている事情圏、
心情圏は違いますが、
しかし、そんな思いを良心は知っています。

本当に切実に、懇切に求めていけば、
適切な回答を与えて下さるのです。

そんな日々の積み重ねの中で
必ずこの女性の家庭のように
奇跡的なことが訪れるに違いありません。

新しい一週間の始まりです。
良心に尋ね求めつつ、
御意に適う一週間となりますように。





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posted by ten1ko2 at 07:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月20日

神や人の悲しみに寄り添う人が、勝利できる 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李ヨハネ先生のみ言。
今回は、『主体者の悲しみと共にある自分』です。 


聖書をもう一度読んでみてください。
イエス様の話の中にどれほど悲しみが満ちているでしょうか。

旧約聖書の「創世記」を読んでみてください。
神様の悲しみがどれほど満ちているでしょうか。

お父様の祈祷文を読んでみてください。
お父様がどれほど悔しい、悲しい心情で祈祷されたでしょうか。


真を求める人は、ずっと悲しい路程を行きます。
悲しむ人を憐れみ、悲しい家庭を憐れみます。

家庭の中でだれが一番悲しむかというと、
夫人が悲しみます。

男性は自分勝手の実体です。
自分を絶対視して、相手を利用するのが男性です。
男性は、「自分がすべてである」という存在です。

女性は、その自分を一〇〇パーセント視する
男性という存在に、圧迫されて悲しんできました。

 
ですから、家庭訪問をする時、
まず自分たちが悲しい告白をして、
相手の悲しみを求めなくてはなりません。

家庭訪問をする人は、よく聞いてください。
自分の悲しみを告白すれば、
相手の悲しみを聞くようになります。

悲しみと悲しみが合います。
日本人はあまり自分のことについては告白しません。

韓国に来た人たちの中で、三年間同じ環境で生活しながら、
相手の故郷とか、何人兄弟の何番目が
統一教会に来たのかとかを、
お互いに知らずにいた人がいました。

私が訪問して尋ねた時に、初めて聞いたということです。


あなたは信仰歴は何年になりますか? 
(五年です)。
五年間で先輩とか、兄弟関係で
とても親しく交流した人がいますか? 

あまり告白しませんね。

新しく入教した青年たちと会った時に、
何について話すのですか。
自分を告白しないのですか。

自分が、み言を通じてどういうものを求めながら、
何を悟ったのか。
そして、それをなぜ悟り、
どういうふうに悟ったのかということを、
悔い改めなくてはならない人に証すのです。

これは、貴重な話ですが、実践は難しいのです。


夫婦がお互いに嫌なところを見て、
涙がすぐ出ますか。
出ませんね。

自分の子供がちょっと悪いことをした時、
気持ち悪くなる親は多いけれども、
悲しむ親はなかなかいません。

自分の子がわがままを言って勉強をしたがらない、
起きるのも自分勝手に起きる。

そのことで泣きながら、このままいったら
この子は滅亡だ、死亡の路程だと
悲しむ親はなかなかいません。


自分を否定することは、悲しみではなくなります。

主体者の悲しみと共にある自分にならなければ、
真は認められません。

負けて暮らしたくない。
勝利して暮らしたい。
その勝利の基準は何かというと、
自分の本性を誇らしくして暮らすことです。

勝利した人は自分の本性を絶対視して暮らします。
そして家庭であれば、相手を喜ばす基準を
絶対的なものとして、「ために」暮らします。

これが勝利者です。
「ために」暮らすのが勝利者です。

24・真理を求めよ
「主体者の悲しみと共にある自分」

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰

(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)



ヨハネ先生も極端に表現することがたまにありますね。
「自分を絶対視して、相手を利用するのが男性です」
ちょっとこれは、断定的過ぎる表現かな、と思いますが。。。

妻が言うには、
言いすぎだ、自分はそんなことない、
ということ自体が、そのことに
気づいていないのじゃないか
ということですが(笑)。

真を求める心というのは、
主体者の悲しみを自分のものとする、
ということなのだと思います。

そして、自分の本性を絶対視して暮らす人が
勝利者である、ということ。

朝の出発から本性を中心として、
ために生きることを誓って、歩んでいく。
そんな心情で今日の一日を
出発していきたいと思うのです。




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